- 締切済み
心の優しさに自信を持ちたい。「優しさ」って何だと思いますか?
お世話になります。 私は自分の内面で、「優しさ」に自信を持ちたいと思っています。 優しさって何だと思いますか? 励ましてあげたり、相手が傷つくことは言わなかったり、etc色々ありますが、どうしたら優しさに自信が持てるようになるのでしょうか? よろしくお願いします。
- みんなの回答 (11)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yokkayokka
- ベストアンサー率36% (55/151)
人に対して優しくあるためには、自分がまず強くなければならないのではと思います。心にゆとりがなければ優しく接することはできません。自分自身が確固たる信念を持つことが出来るよう、人生に真摯に立ち向かい、いろんな経験を踏み人間としての器を大きくすることが優しさを持てるようになることかもしれません。 優しさに自信を持つという考え方がよく分からないのですが、優しいと人に判断されたいということじゃないですよね。人に優しくありたいと考えるよりも、人に対してどんなときも真摯に対することが優しさにつながっていくように考えます。何かをしたからとか、何かを言ったからまたは言わなかったから優しいということではなく、己の許容を知り、その場だけのものではない言動をすることが優しさに通じていくのではと考えます。
- batata
- ベストアンサー率37% (6/16)
こんばんは。20代の男です。参考になるかどうかわかりませんが、私個人の「優しさ」というものの捉え方を書かせてもらいたいと思います。(他の回答者さんの内容と重なっている部分があったらスミマセン)私はよく周りの人間から「あなたは優しいね」と言われているのですが、私自身は自分自身が優しい人間だとは思いません。というのも私は「周りの人間に対して甘い」だけなのです。 そんな私が考える「優しさ」とは、大きく言ってしまえば「相手にとってプラスになることを考えること」だと思います。そして、相手にとってプラスになることをすることが、いつも相手に好感を持たれるわけではないと思います。 たとえば「子供が自転車に乗る」ということ。補助輪付きの自転車から補助輪を外して自転車に乗るとき、私はよく親に自転車の後ろを持ってもらい「離さないでね」と親にお願いしていました。でも親は途中で離して、うまく乗れない私はコケて泣きながら親にあたっていた記憶があります。でも、今振り返ると、これってきっと優しさなんだろうなって感じています。私の親はきっと、私に泣かれているとき、心が痛かったのではないかと思います。できればいつまでも後ろを持っていてやりたかったのではないかと思います。ですが「頑張って自転車に一人で乗ってほしい」という、私の成長に関してプラスとなることを考えて、あえて「甘さ」を捨てて、傷つく覚悟で「優しさ」を私にかけてくれたのだと感じています。 長くなっちゃいましたが、一言で「甘さ」と「優しさ」の違いを言うと「甘さ」は誰も傷つかないという上辺だけの優しさの類似品。「優しさ」は相手も自分も傷つくという覚悟や勇気をもって初めて起こせる行動だと私は考えます。 そして、優しさに自信を持つにはどうすれば良いかとのことですが「甘い」人間の私に足りない「自分が傷つくという覚悟を持ち、相手と向き合う」ということができれば、自然に自信がついてくるのではないかと思います。 非常に、長ったらしく読みにくい文章でスミマセン
- a080010
- ベストアンサー率14% (60/423)
私もやっぱり相手を思いやることだと思います。 発言だけでなくて、態度や仕草なんかも含まれると 思います。 それがどういう表現であっても、それらが相手を 本当に思いやって相手のためになることなのであれば それが優しさになるんじゃないかと 私は信じています。 いかがでしょうか…?
- dice889
- ベストアンサー率23% (5/21)
そもそも「優しさ」に自信を持つべきなのだろうかと思うのです。 優しさはいろんな経験から積みあがっていく、醸成されていく ものと思います。優しくありたいと思い、経験を積み成長し続ける 人が最終的に優しく強い人ではないかと思います。 主観的に自信を持っても優しさは役立たずともいえるでしょう。 周囲がどう受け止めるかの問題ですから。 ですので、自信を持てるようになる必要もないでしょうし、 #6さんの言われるような厳しい優しさというのも身につけられたら 素敵なんじゃないでしょうか。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
50代既婚、妻と2人の子供を持ち、父に先立たれた母と同居しています。 「優しい」というのは大切な資質ですが、「危険」な感覚でもあります。 何故なら、優しいという感情は「無責任」に転化しやすい部分があるからです。 僕は小さな会社を起業して約20年近くになるのですが、部下から「優しい」と言われる中間管理職に「無責任」さを感じることが多々あります。 「優しさ」には2種類あるように思います。 極端な言い方をすれば、 ○愛する者、我が子の全てを受け入れて許す母親的な「優しさ」 ○たとえ愛する相手であろうと、我が子であろうとも、自分の考えに照らしてズタズタに傷つけようとも許さない父親的な「優しさ」 男も女も、このどちらの「優しさ」も兼ね備える必要があります。 ただ、「割合」はそれぞれ違って良い。 貴方は男性でしょうか?女性でしょうか?願わくば若い20代くらいの女性であって欲しい。そうであれば好感が持てます。 僕は、人の気持ちを敢えて傷つけることが仕事以外でもよくあります。 こういえば相手が心地よいことは百も承知でも、言えないときもある。 今の世の中、特に日本の社会では、人の気持ちを傷つけると言うことは無条件で「悪い」とされかねないところがあります。 しかし、優しさって残酷な部分がないと、20年・30年は生きられません。 僕は、世間的な意味で「優しい」よりも「無責任」でありたくない。 世の中のルールを外れても、自らの考えに筋を通す、「筋の通った理不尽」が生きるために不可欠なことを後輩や子供達に教えるためには、あえて傷つけることを厭わない。 だから、「優しさ」には全く自信がないです。(笑)
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
歳を重ねてわかった(つもりの)こととして「優しさ」とは「相手のため」と思うあまり、結果的に相手に都合のいいことばかりを言ってしまわないことだと思います。こういうことに関しては「自分の意見を言うにとどまる」「結論は自分の責任として考えてもらう」でいいと認識します。例えば、 ネットでの相談は最初から責任がない世界での相談ですので、省かれますが、顔を合わせてする相談事って、本当に迷ってる時は相談する余裕を持たない思うんです。つまり心の底で同意を求めたい、つまり自分の本意に「No」が大半だろうとうすうすわかってるんだけど、「Yes」を聞きたいがために相談してしまうことが多いのではないかと。そういうときは付き合いが長いほど、相手の考えてることがわかってしまって、私の本意を言ってしまうことで「嫌われたくない」気持ちが勝れば、イエスマンになってしまう。後で自己嫌悪。これは相手がその時に「ありがとう」と喜んでも「優しさ」ではないと私は思います。 所詮最後は誰も相手の人生責任持てません。また付き合い上、他人を傷つけずに生活するのはどだい無理です。考え方や常識の違いもありますから。私が正しいと信じることが他の人にも正しいとは限らない。だから「今までの経験上の自分の意見」としてストレートにはき出し、それはただのアドバイスとして、自分のことは自分が決めていただく。このスタンスが私は大事だと信じます。故にその瞬間に相手が涙を流して傷つけたとしても、自分のポリシーに自信があれば、動じないようにいたいと思っています。後でわかってくれればいいと。わかってくれなくてもいいと。経験的に今のところ私はこれでうまくいってます。「他の意見も意見として聞き、有効なら取り入れ、その経験によってまず自分に自信を持つこと」そこから行動を発し、意見を言うことが本当の「優しさ」だと40歳になっての今のところの結論です。
- kyoutoukyo
- ベストアンサー率6% (97/1560)
こういう場で怒ってみせることができる人は自信を持っていて優しい人ですよね。 なので、甘っちょろいことを言っている奴やヤマシいことをしている人には怒るというか叱ってあげようと考えれば自分の慈愛心にも自信がついちゃいます。
- tent-m8
- ベストアンサー率19% (724/3663)
人に対する「優しさ」は、とても大切です。 でも、それに自信を持つことは難しいと思います。 「優しさ」とは、相手を思いやる気持ち、相手の立場に立って考えてあげられることではないでしょうか。 時には、励ましてあげたり・・・ 時には、黙って見守ってあげたり・・・ でも、相手の心の中は、見ることができません。 だから、難しいのです。 コミュニケーションをとったり、よく観察することが大切だと思います。
- sakura--
- ベストアンサー率30% (13/42)
こんにちは。 優しさかどうかはわかりませんが自分が人に物を言うときはまず自分が言われたらどう思うか考えてから発言するようにしています。特に部下に注意する時はこの点に気をつけていますね。 議論・討論はまた別の話ですが。 最後に、一つ言わせてもらいますと 真に優しい方は『自分は優しい』などと自負はしないものだと思います。
- mat983
- ベストアンサー率39% (10265/25670)
相手を思いやる「心」です。 その「心」があれば、いたわり、おのずと優しくなれるのです。
- 1
- 2