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仲介役の旗本
江戸時代、大名家は幕府に争訟したり、他家と折衝する際に、親しい旗本(細川越中家が頼りにした加々爪民部とか)に仲介を頼むのが普通だったようですが、このような旗本はどういうメリットがあって、こういう仲介役を引き受けていたのでしょうか? 二重スパイというと聞こえが悪いですが、大名家から内々に相談された内容を時には幕閣に注進・報告したりもしていたのでしょうか。
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細川越中家と加々爪民部の関係については知りません。 ただ質問者さんがおっしゃるように、やっかいな交渉ごとについて、間に人を立てるということは、何時の時代でも行われていたように思います。 とくに面子を重んじる殿様クラスですと、間に人を立て、ワンクッション置いた形にしないと、まずいことが起こりやすいでしょう。 大名家がそこいらへんの相場カンに通じた親しい旗本に依頼するということは、少なくなかったのではと思います。 荒木又右衛門の36人斬りで有名な「鍵屋の辻の決闘」のもととなった、河合某の旗本安藤家への逃げ込み事件ですが、池田家は河合引渡しの仲介を旗本の久世、安部に頼んでいますが、成功せず、逆に相手方の味方についてしまいました。 久世、安部は幕府から百か日の寺入りというお仕置きを受けますが、これには頼まれた側を裏切った罪、という意味合いがかなり入っているのではないかと想像します。 クライアントに対する背任行為ですね。 クライアントに対する背任や守秘義務に対する考え方は、当時も今も変わらないと思います。 クライアントは謝礼をし(成功すればさらにハズム)、仲介人は受け取ったと思います。 >大名家から内々に相談された内容を時には幕閣に注進・報告したりもしていたのでしょうか。 ・・・原則ないでしょうね。クライアントが違法行為を企んでいるのであれば別ですが、秘密は守ると思います。頼む方もオオゴトにしたくないので、こっそりよろしく頼むということが多いでしょうから。 こういうところの倫理観は、むしろ江戸時代の方が強かったかも知れません。裏切り行為は特別嫌がられた時代だったと思います。(以上は大分小生の想像が入っています(笑))
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- hazu01_01
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それぞれの家に恩を売ることができるわけですので、メリットはあったと思います。江戸時代は付届けの時代でありますので、金銭面もあるでしょう。 質問者さんが言及しています加賀爪忠澄ですが、江戸町奉行、大目付と歴任していますので、何かあったときには昔の恩義をもとに相手の大名や旗本にお願いすることもできるでしょう。 大名としても相手と直接交渉すると角が立ったり、場合によっては抜き差しならないところになったりしますが、彼ら交渉上手の旗本を間に入れると交渉も楽になります。
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恩を売っておけば何かの時に役立ったのでしょうね。 毛利家も、名前は失念しましたが頼みの旗本から「屋敷を手入れするので人を貸してほしい」と頼まれると、即座に手配していたようですから頼られた旗本側にも大名と良好な関係にあるのは好ましいことだったのでしょうね。 大大名から仲介を頼まれること自体も、頼りにされて悪い気はしなかったのかもしれないですね。大名家にとっては本当にありがたい存在だったようですね。 ありがとうございました!
お礼
荒木又右衛門が助太刀したあだ討ちの際も、池田家は旗本に仲介を依頼していたのですね。 両名は寺参りというお仕置きを受けているのですね。逆に相手方に付いたというのは武士にあるまじきですね。 書院番衆・松平外記が殿中で、自分をいじめていた同僚に斬りかかった際も、応戦せずに背を向けて逃げ惑った者も武士にあるまじき行為と罰せられていたと思います。当時の倫理観・価値観として、見苦しい所業を武士がするとそれも処罰事由となったのでしょうか。 ありがとうございました!