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生きていてよかったなぁと
「生きてて良かったなぁ」と思ったことはありますか? それは、どんな状況でそう思えたのかも教えて頂けませんか?
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- ametuchi
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こんにちは。私もこれで最後にしますね。 人や、人が作った物や、人が関わったものを信ずると、失敗します。 ですので、私は、まあまあ信ずるという程度にとどめています。 自然はいいですね。太陽は、必ず東から昇ってきます。 その太陽でさえ、私は完全には信じていないのです。 ひょっとして、いつか西から昇るかも? と。(地球のポールシフト) 私が信ずるものは、完璧に信じているものは、 私です。 長所・短所、出来・不出来、そのまままるごと、その時その時の私を信じています。 私を認識しているのは、私に他なりません。 しかし、ここが肝心の所なのですが、 私は、今の私は仮の私だと思っています。不完全で制約(知識による思い込み)がいっぱいの私です。 私は、本当の私は、完全で、自由で、光り溢れる存在だと思っています。 と、仮の私が思っているのですから、本当はどうなのでしょうか? 大切なのは、私が心からそう思っているということです。 私は、物事をとことん追求タイプでした。元は? 根本は? と追求してきました。 ある日、私を越えるものは、私には理解が出来ないことに気付きました。 それ以来、私は私を上げないと駄目なんだなあと、努力が始まりました。 ははは、今もその道中です。きっと一生続くでしょう。終わりはないのですから。 変人の私の言葉でも、真摯に読んで下さって有り難うございました。 最後に、物(知識)の世界の逆の世界として、心の世界があります。 心の世界を形にしたものとして、「芸術」の世界があります。 これは、奥が深いですよ。 私は、ベートーベンさんの気持ちが、全部の曲ではありませんが、手に取るように感じられるのですよ。 お元気で。(返事無用。でもご自由に。)
- ametuchi
- ベストアンサー率47% (9/19)
こんにちは。あめつち(天地)です。 詳しく書いて下さって有り難うございます。よく分かります。 おっしゃる通り、知識の世界は大変ですね。 情報、ニュース、様々な物事や現象、なにからなにまで、知識ですね。 そして次から次へと沸いてて出てきますね。 追っかけるのは大変ですね。大変でしょうね。 ご理解なさっているとは思いますが、私は、知識は決して重要ではないとは思っていません。 知識なくして人々の生活は成り立ちませんね。 しかしその奥、知識は何の為にあるのでしょうか? 例えば、ネットはこのように使い方次第では、とても素晴らしい働きをしますね。 パソコンは、道具だと思うのです。道具は、使い方が大切ですね。 知識も、道具みたいなものと私には思えるのです。 私達が関わる全ては、大きく言って全て、人の為といえると思います。 何が人の為かは、人の数の何倍もの価値観があって難しいですが。 その「人(集合の社会も含む)の為」を忘れると、知識のための知識みたいになって、 迷路に入るような気がします。 私は、真実とは、簡単で分かりやすいものと思っています。 下記の皆さんのように、お腹が減れば食べます。食べる喜びがあります。 眠くなれば、眠ります。お布団の中で幸せを感じます。 愛する人か出来れば・・・・・いっぱいありますね。 みんな、生物としての自然な姿だと思います。 人は、生物なんですよね。 人という生物は、生きるのに知識を必要としていますが、 知識の為に生きているのでは決してないのですね。よくお分かりと思います。 ただこんな風に簡単に言ってしまえない何かご事情があるかも知れませんが・・・。 私の存在は代用が効くとのこと、気になりました。 「今」は私しかいないのですね。いつかの将来は代用が現れるかも知れません。 いつもいつも常に「今」しかないのですね。 私達は、今を生きているのですよね。 未来のかもしれない不安を、わざわざ今に呼び込んで、多少はよいかも知れませんが、 不確定なものに大きくとらわれていては、せっかくの「今」が暗くなりませんか? もしもそうなったらそれはその時、その時の今になったら考えたり対処すればいかがでしょうか? 今考える未来とは違う未来の今があるかも知れません。 今を明るく前向き前向きに生きることによって、 未来の今は、今よりはるかに明るいものになっていると思います。 そしていつか、「ああ、生きていてよかった」と思える日が来ると思います。 万一、来なくても、旅の終わりの逝く前の瞬間には思いましょう。 きっと、素晴らしい知性と行動力溢れる方だと拝しています。 益々いきいきと頑張られますよう念じています。
- ametuchi
- ベストアンサー率47% (9/19)
こんにちは。あめつちです。 この頃月並みな言葉になってしまいましたが、 「おんりーわん」の私達ですよね。たった一つしかない貴重な自分ですよね。 生物としては、体的にはたぶん一番複雑な私達。 その体的には親子など似ている方もいらっしゃるでしょうが、 一つしかないと認識しているのは、頭、心、己、自分ですね。 一つしかない私、私とは何でしょうか? 私と他を分けるものは何でしょうか? そして、私らしさとは何でしょうか? 私は、知識と感覚を分けています。 私達は、幼い頃からいっぱい学習してきました。 学習は、知識による学習と、感覚による個の学習に分かれると思います。 私は、この感覚による学びが、オンリーワンそのものと思います。 今は、知識の洪水の中に皆さん生きています。ちゃんと意識で立て分けないと溺れてしまいそうです。 私は、変わっているのかも知れませんが、 知識の世界は、真実とは思っていないのです。世間のお付き合い上、ただ話を合わせて話したり暮らしたりしているだけです。 私が真実と思う、感じるのは、「私が感じたこと」なのです。 私は、何に感じるでしょうか? 何が快いでしょうか? どんな言葉が素敵に思えるでしょうか? などなど、ジッと自分の内側を観察していくと、なんとなく自分というものが見えてきます。 自分が見えてきたらしめたものです。 他から理解されるされないに限らず、自分というオンリーワンの生が始まります。 オンリーワンが分かってくると、貴重な一人一人、大切な一人一人ということが分かってきますね。 自分が見えますから、当然に他の人も見えてきます。 自分という鏡に映った他の人が見えてきます。 感覚の学びが積み重なると、この鏡の精度が上がってきます。 その上で、色んな人々との交流で、 「ああ、生きていてよかったなぁ」となるのだと思います。 難しかったでしょうか? 頑張りましょう。
お礼
あめつちさま、お返事をありがとうございます。 内容は正直なところ、すこし混乱してしまいました。おそらく良い意味でです。 知識と感覚を分けていること、知識の世界は真実ではないというあめつちさんの考え方は、私には衝撃的です。 私は知識を追うものとして存在してきました。そして気が付けば、それを纏め使いこなすことを要求される世界に身を浸しています。今でも取捨選択をしながら知識を追って生きています。 感覚がないつもりではないのです。感情も多少はありますが、それを無理強いしてコントロールすることが「正」であると思ってきました。 これが、何かを鈍らせているのかもしれません。 また(どうか怒らないで下さいね)、私は「オンリーワン」の理解が出来ないのです。 たしかに素敵な言葉だと思います。 私はこの世界に一人しか存在しないし、あめつちさんもですよね。 ただ、この事実を飲み込めない理由が眼前に聳え立ちます。 私の存在は代用が効くということです。 これも感覚の世界でみれば違うことになるのは理解できるのですが、知識の世界では「知識を持つもの」なら誰でもいいのです。 つまり私の存在は、自らの足跡を消すために存在する何かであると考えることが出来ます。いつ消えてもいい。代りは幾らでもあるから。いや、むしろ消えることを望まれ、望んでいる存在と捉えることも可能です。 刹那的で悲観的な世界こそが知識の世界である、と言い換えることもできるのかもしれません。 私はこの世界に身を浸しすぎてしまったため、価値観が澱んでいるのか歪んでいるのか。何かに自分を投影するか寄りかからないと「自分の価値」を量ることが出来なくなっているのかもしれません。 そう考えると、自分が如何に虚であり愚かであるかが解ります。 実のところ、最近は知識の世界に疑問を感じ始めています。身体と心の行きたい方向が180度違っているようです。 感覚で生きることは、リスクを伴います。知識の世界から離脱したら、一体何が残るのかという不安もあります。 あめつちさんのように、素敵な考え方で前へ進めれば良いのに、と感じました。知識は人を臆病にしますね。
- rikorino
- ベストアンサー率0% (0/0)
子供が中学受験で志望校に合格した時です。 小学生の受験勉強は、それはそれは大変なものでしたから。 「親の受験」と言っても過言ではありません。 公立小学校の教師の邪魔やお弁当作り、送り迎え等々、親の身体的・精神的な負担はかなりのものです。 本当に途中で何度も挫折しそうになりました。 でも、一生懸命に頑張っている子供の姿を見て何度も励まされ、最後まで投げ出さずやりとおせたのです。 そして、合格の暁には「あ~~生きててよかった~」と心から、そう思いましたよ。 「苦あれば楽あり」です。 その「苦」が苦しければ苦しいほど、本当に夢が叶った時の喜びは大きいものです。 ありふれた言葉のようですが、実際体験した者としては、声を大にして言いたいです。 「生きててよかった」。。そう思える瞬間がたくさんある人生にしたいものですね。
- ametuchi
- ベストアンサー率47% (9/19)
こんにちは。 私の場合は、人から感謝された時に、 ああ生きていてよかったなあと思います。 感謝も色々あるのです。 浅い感謝、普通の感謝、深い感謝。 それが、その程度が感じられるのです。 深い感謝の場合は、その方の生き方が変わるかも知れないと思えるほどです。 このようにして、人は多くの人々と影響をしあって生きていくようです。 尚、感謝されるには、 こちらは、素直・自然・大きな愛。あちらは、受け入れの器、その時期。 などが関わってくると思います。 私達は、ほんのわずかなことでしか体験したり勉強したり出来ませんね。 そんなわずかのことでも、誰かに深く感謝されると、 本当に「ああ、生きていてよかった」と思ってしまうのです。 頑張りましょう。(56歳の男性より)
お礼
とても深いお答えをありがとうございます。 ametuchiさんへは本音を言えそうです。 私は生きてて良かったと思えることがありません。だから時々、ものすごく自分の存在を疑問を感じることがあり、このような質問を致しました。 皆様からのお答えを読むと、どうやら自分以外の誰かの為に強く感情的になった場合、そのように思うことができるのだろうか、と感じました。私も誰かのために働いたり、考えたり動いたりしていますが、何も感じないし、感謝の言葉も嬉しいとは思えません。 もしかして、何も信じてないからかもしれませんね。 ありがとうございました。
子供が「とうちゃん」とぎこちなく発声した日です。 どちらかと言えば、むしろ「生きねば」に近いかな。
お礼
そうですね。お子様のためにも父親として責任が発生しますものね。 生きるって、誰かの為であり、「生きててよかった」と感じるのは、どうやらかなり感情的な部分が強く働くのだなと思いました。 ありがとうございます。
- yuyuyunn
- ベストアンサー率41% (20359/48650)
こんばんは 単純でスイマセンが おいしいものを食べた時です 思わず涙目になるようなおいしいものを食べた時に 思わず、同行者などと顔を見合わせて おいしいいぃぃぃぃ、って思えたとき 生きていてよかった。と思います あとは、友達やお客様やこちらの質問者さんに「ありがとう」って言われた時ですね
- ye28
- ベストアンサー率0% (0/1)
3年前に妻が白血病になりました。告知されたときはもの凄いショックでした。二人で泣きました。が、妻のお姉さんと骨髄のタイプが同じで移植が成功。今では一緒にジムに通えるほど元気になっています。ふと食事の時、(テレビを見ながら食べるのですが)何気ない妻の笑顔を見ると、「ああ生きてて良かった」と思います。妻がもし死んでいたら後を追ったかもしれません。
お礼
大変な経験をなされたのですね。 そして、奥様を大切に思う気持ちが素敵だと思いました。 「生きててよかった」と感じるのは、どうやらかなり感情的な部分が強く働くのだなと思いました。 ありがとうございます。
- r-4415
- ベストアンサー率15% (3/19)
私は好きな人と一緒にいるときにいつも思います。 あとは…すごくお腹が減っているときに美味しいものを食べたときですかね。すごく単純ですけど。笑
- j-r-n
- ベストアンサー率13% (8/58)
すごーく単純ですが… 好きな人と話せたり、進展があるだけで 「生きてて良かった」と思ってしまいます。。
お礼
天地さん。親切なお返事をありがとうございます。 天地さんにはお礼を言いたいです。どうもありがとうございます。 私の話を聞いてくれる方が、少なくとも世界に1人はいるとわかったのも収穫です。 お返事を頂いて、私なりに色々と考えてみたのですが、結論は光あるものではありませんでした。 知識は道具というのは、本当ですね。 知識を追う私も、道具なんだと感じました。 道具ですから、古くなれば買い換えて、気に入らなかったら捨てられるのです。そう閃いた途端、やはり消えるべき存在なんだろうと苦笑しました。 これでも、数年前までは天地さんと似たような感性や思いはあったのですよ。自分は幸せだなぁとか未来は絶対明るいに決まってると信じて疑っていなかったのに、人間、変わるものですね。 今、その気持ちを思い出せとか取り戻せとか命じられても、とてもとても。お返事いただいてから、当時の自分を思い返してみたりしましたが、無理みたいです。戻れません。 揺ぎ無く信じられるものや、頼れるものがあるうちは幸せなんだと思います。 私の場合、ある日突然にそれらを打ち砕かれる経験をしたため、過去にも未来にも、そして現在にも光は見えません。 旅の終わりの瞬間には、「まぁ、よかった・・・かな?」と疑問符付きでも思えることが出来ればいいと思います。 最後に、私の質問を読んで下さったこと、親切で丁寧なお返事を下さったこと。 天地さんにはとても感謝しています。ありがとうございました。