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私は一個の他者である。の意味がわかりません。

mamuku-の回答

  • mamuku-
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回答No.5

>時として、本人でありながら判断、決断ができないスザマシイ葛藤を引き起こす素のようにも思え、浮かんできたのは、世間体、という言葉でした… この理解は正しいと思います。自己の中での「スサマジイ」葛藤というのは、 まさに、自己の中に「他者」が存在するからです。世間体という理解も 的をいているように思えます。他者=第三者性が存在するので、本人でも判断、 決断できない葛藤があると思います。本人の意志で何でも出きるのならば、 そのような葛藤は生まれないでしょう。自己の中に本人では、認識できない 他者=社会規範(日本社会ではこれを”世間体”といっても良いかもしれません)が存在するということではないでしょうか? また感想なり、レスなりください。 ところで、「自己の統合」というのは、どういう考えから出てきたのか、 教えてくれるとありがたいです。

nigi
質問者

お礼

今回の質問に対し、ご回答頂きありがとうございました。補足をお願いしておきながら誠に恐縮ですが…申し訳ありません…締め切らせていただく事に致しました。社会学の上からのご説明大変参考になりました。ありがとうございました。

nigi
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。ご親切に感謝しています。又、正しい理解と言って下さり、ホッとしています。だのに、唸っています…。何故唸っているのか…。難しいです…。本人でありながら決断、判断が出来ない時スザマシイ葛藤の中で、自分が二人いるような感覚になります。その、もう一人(他の)の自分は、世間体という一つの名前では呼び切れない感覚があるのです…そして、どちらか一方を優先(決断)した後、何故そうしたのかしっかり認識できない不安定さや後悔が出てきて、自分の決定に自信が持てなくなり→自分、自己がアヤウイと感じます。自己の統合というのは、感覚として二人いる様な自己が一致している、又は、少なくとも握手している→決定に自信があり、自己がアヤウクない状態、というところから出てきました。それは、不可能な事なのでしょうか…?それから、何かを決断する時、~に突き動かされたかのように、という表現があると思うのですが、この~についても、どのようにお考えになりますか。あわせてお聞かせ頂ければ幸いです。拙い文章お恥ずかしいですが…よろしくお願いいたします。

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