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私は一個の他者である。の意味がわかりません。

aonekoの回答

  • aoneko
  • ベストアンサー率52% (65/125)
回答No.3

こんにちは、補足読ませていただきました。 >…難しいです… って正直に書いていただけて嬉しかった! 嬉しかった、てのも不謹慎なのだけど^^;、ヘンに読みにくい文章にもかかわらず、一生懸命読んでいただけたんだーと思うと、私こそ大切なことを教えてもらえた気がするの。ごめんね。本当にありがとう。 >私を私と決めるのは、他者? >私が私の言動を決め、動かしていると思っているけれど、そうではなくて、実は、私という者は何かに動かされている他者である? >私は、私の思っているとうりには人にうつらない? >私が、私と思っているのは私ではない? >私は、私の思うように動かない、いきられない? どれも的を射ていると思いましたよ。私なりに補足を加えてみます。 たとえば、自分自身のことを心に思い描くときに、きっと誰もが「誰かといるときの自分」「社会と関わっている自分」が浮かんでくると思うの。 「私ってどう思われてるのかな」「私はお父さんとお母さんの子」「私は大学で勉強しています」「俺は誰よりも美しいィー(笑)」みたいに、他の誰かに自分を映して(鏡に映すみたいに)、自分自身を見ているところがあるのね。 つまり「私」は他者という鏡に映ってる像なんだ。私が私と思っているものは、他者という鏡なんだ。 「私は一個の他者である」ということを、そう解釈をしてらっしゃる方もいます。 たくさんの鏡に映った自分を、全部合わせて初めて一個の「私」が見える。 nigiさんのおっしゃるとおり、それはとてもアヤウイ「私」です。 ランボーはそれを逆手にとって、鏡=他者=まわりの世界全体を「私自身」なんて云い切っちゃってる感じがします。 「俺は俺のもんじゃなくて世界のもんだ。俺には才能があるから、世界をこの目でしっかり見ることで、世界が俺にすごい詩を書かせるのさ」 私はランボーの手紙をそんなふうに読みました。…乱暴かしら。 まだ難しい云い回しをしてしまっているかもしれません。 よろしければその時はまた、補足要求してくださると嬉しいな、と思います。 また長文になってしまって、ごめんね。

nigi
質問者

補足

ありがとうございます。なるべく解り易く教えて下さろうというお心使いに、心から感謝しています。又、教えて頂いていながら、嬉しいというお言葉や、的を射ているとおしゃっていただき、こちらこそありがとうございます。でも、ますます難しいです…鏡に映ったたくさんの自分、思ったとうりには映らない、たとえ鏡が曇っている、と抗議したくとも、仕方ないという事。でも自分の鏡、がアヤウイ…一人の人を鮮明に映せない時があります。全部合わせて…というのが、難しいです…。結局、人の事もわからない、という事で良いのでしょうか?それでは、理解し合う、という事はどういう事なのか…?又、私は、私、の思うように動かない、いきられない…では、私、を動かすのは何か…?ランボー氏は世界。…ここから先が解らない、というか進まず困り果てています。教えて頂ければ助かります。拙いことで恐縮ですが、よろしくお願い致します。

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