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「硫黄島からの手紙」戦争体験について
caesar-x2の回答
- caesar-x2
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沖縄では、戦争体験を記録に留めるプロジェクトが 行われているというのは報道で聞いたことがあります。 目撃した人のナマの記録を見たい、知りたいなら そういうのにアクセスすべきでしょうね。 幾つかあるようなので、どのことだったかちょっとわからないのですが 地方自治体がやっていたもので、直に体験を聞いて録音して 文書などに残すというプロジェクトでした。 戦中世代の高齢化を考えるとこういう質問掲示板に 体験者が反応してくれる可能性はゼロに近いでしょう。 70-80歳ですよ・・無理だと思います。 硫黄島からの生還者は数が最初から少ないうえに 戦後は全国に散ったわけで、一人から話を聞くのすら困難でしょう。 硫黄島での慰霊祭も今後中止されるかもしれないという話でした。 ま、沖縄歴史教育研究会とか、沖縄平和ネットワークとか、 その筋に聞けば、アクセスの方法がわかると思います。 確か、現地では体験談を実際に語ってくださる語り部をやられている方が まだいらっしゃると思いますし。 ところで、現実は「生き延びるための知恵」とかいう次元ではありませんよ。 知恵なんかで生き残れたら、わが子を窒息させたり、親子自決したりしないでしょう。 死線は情け容赦ないものです。生存者の多くは何かしたから生き残ったというわけではなく 何かしていれば生き残れたというわけでもありません。 硫黄島や沖縄のような戦場では、木の葉のように人命が散っていく世界です。 逃げ場などなく、どこで生死を分けるかなんか、わかるわけないですよ。 アドバイスなんて、生き残りたければ戦争をしないことだといわれるに決まってますよ。 映画は主人公は死なず、120分ぐらいで終わりますが 生き延びる知恵を知りたい、何ていう浮ついたテンションで 実際の体験談を聞いたらカルチャーショック受けますよ。世界が違う。
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