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「硫黄島からの手紙」戦争体験について
PENPENMAKKYの回答
- PENPENMAKKY
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自決は理性がないと出来ない行為です。これは現代でも問われている問題です。それは延命治療をするのか尊厳死を選ぶのかです。私の母は祖母が余命幾許もない状態で入院した時、本人も望んでいたのですが、治療拒否をするか否かを選択を迫られ、治療拒否をしました。それから1週間もしない内に亡くなりました。 あれは映画ですから助かりますが、ほとんどの兵隊は壕から出れば射殺されました。一度沖縄戦の実写映像を見てください。 > 水も食料もない中生還する 基本的には水が無ければ生きてゆけません。あの状況に於いて仲間が死を選び戦ったり自決したりの選択肢を選ぶ中で1人敵に降伏する(但し国際法では兵隊が勝手に降伏してきた場合は降伏とはみなされませんので射殺しても構いません)勇気があればそれを選ぶことです。その代わり戦後、家族も含めまわりから「AeOaLは仲間を捨てて敵に走った」「AeOaLは戦えたのに逃げた」「AeOaLは死にかけた仲間を見棄てたり介錯もせずに生き延びた」と後ろ指をさされ続けます。 戦後、従軍経験者のほとんどが言えなかったのはその事です。『男たちのYAMATO』を見てください。一人生き残った水兵がどれだけ苦しい思いをしたのかわかります。
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