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日本の国連入り反対について

ソ連が北方領土問題で日本に主導権を握られたくなかったから 日本の国連入りに反対したとよく耳にしますが、ソ連の拒否権 って安全保障理事会での話ではないのでしょうか?武力行使なら わかりますが、安保理の拒否権発動で一国の国連入りを拒否でき るなんてことがあり得るのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

うろ覚えで自信がないのですが、確か国連への加盟には、総会での決議の前に安全保障理事会の承認が必要だったと思います。 冷戦の状況としては、スターリンの死去→スターリン批判、ドイツと同様、米英仏ソの管理下にあったオーストリアの独立など、「雪どけ」のムードであったにもかかわらず、当時は、ソ連の支配下にあったモンゴルの加盟問題で、常任理事国であった中華民国(台湾)が強行に反対し、その報復としてソ連が日本の加盟に拒否権を乱発していました。 日ソ国交正常化と並行して、ソ連と台湾の間で妥協が成立したこともあって、日本とモンゴルは同時に国連加盟することになったんじゃないかな?

spacy
質問者

お礼

なるほど。安保理の承認が必要だったんですね。有難うございます。 気になったのですが、ソ連の拒否権乱発は、特に日本の加盟に おいて、中国に対する報復となるのでしょうか?それとも拒否権乱発の きっかけは中国に対するソ連の敵視から始まり、その延長上にたまたま 日本が出てきてついでに拒否られたということなのでしょうか? あとモンゴルの加盟は1961年とあったのですが、憲法の公布と施行 みたいに年月にズレがあるのでしょうか?

その他の回答 (1)

回答No.2

#1です。 確認してみましたら、確かにモンゴルの加盟は1961年のようですね。 でも、1955年の時点で、モンゴル加盟阻止のために中華民国が、日本加盟阻止のためにソ連がそれぞれ拒否権を行使していたところまでは確かです。 中華民国がモンゴル加盟阻止を掲げたのは、「モンゴルは元々中国の領土であり、モンゴル人民共和国はソ連の傀儡国家なので、かつての“満州国”と同様、独立は認められない」という国是に従ったものです。今はどうなっているか分かりませんが、1980年代に台湾で発行された世界地図には、モンゴルという国は描かれていませんでした。 ですから、ソ連の日本加盟阻止への拒否権発動は、「日本とソ連の間の戦争が国際法上集結していなかったこと」と「中華民国に対する報復」の2つの理由があるように思います。

spacy
質問者

お礼

回答ありがとうございます。「中華民国に対する報復」とははじめのうち日本が中華民国を支持していたからという理解でよいでしょうか?こういう理由があったなんて知りませんでした。

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