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「すみ分け理論」って本当にすごい学説なのですか

noname#30の回答

noname#30
noname#30
回答No.3

今西錦司先生は、「進化論」という大理論の中で、「自然淘汰によらない進化」の可能性を示した、偉大な生態学者です。すごい学説であり、あなたの知人は正しいです。 「進化論」についてダーウィンが果たした貢献は大きく、「創造説」全盛の時代に、自然淘汰を唱えたことはパラダイムといって良いでしょう。しかし、ダーウィン前後にも生物学者は遊んでいたわけではなく、様々な学者が「進化論」を補強あるいは修正する説を唱えています。ダーウィン前はアリストテレス、ラマルク、後はメンデル、モルガン、ヨハンゼン、ドフリーズなどです。今西先生を含め幾多の生物学者の貢献があって、現在における生物進化の概念が構築されています。 さて、ダーウィンの「自然淘汰」ですが、これは個体レベルの競争の結果、適者が生き残るとするものです。例えば首の長さの異なる2匹のキリンと背の高い木があった場合に首の長い方が生き残り、このような変異が蓄積されてキリンは首が長くなるように進化したという説明です。  しかし、化石を調べると少しだけ首の長いキリンというのは見つからず、ある時から急に長くなっています。また、コウモリがネズミのような生き物から進化したとして、少しだけ翼のある飛べないネズミというのは何の有利性があるでしょうか。キリンが首が長くないと生き残れないというなら、乳離れしたばかりの子供のキリンはみんな死んでしまいます。自然淘汰だけでは進化を説明できないのは明らかです。  その一方で自然淘汰は、適者生存=優勝劣敗、はては人種不平等、ナチズムの理論にまで結びついていきました。このような状況を今西先生は我慢できなかったのです。 「棲みわけの密度化による進化論」は個体レベルでの競争という観点を廃し、「種」は一つの均質なものと仮定し、進化は「亜種」レベルで起こると説明しています。また、それぞれの種は特定のニッチにおいて競争者がいない限りにおいては、環境に最適化している必要もありません。「種」を変化させる大きな変異は「種」の存立要因とは関係のないところで起き、存立を危うくする変異に対して初めて自然淘汰が働きます。字数制限に引っかかりますので、詳しくは以下のURLで。

参考URL:
http://www.ipe.tsukuba.ac.jp/~s965525/index.html
noname#74
質問者

補足

さっそくありがとうございます。ドーキンス博士だったか誰かよく覚えていませんが、すみ分け理論はすべて自然選択の枠内で説明できる、と言っていたと思います。それも含めて、tatさんの参考資料で検討してみたいと思います。当方は素人なので、もっと安直に分かるような説明があったら、よろしくお願いします。

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