• ベストアンサー
  • 暇なときにでも

「変化論」でなく、「進化論」と呼ばれるわけは?

進化論について、非常に初歩的なことがわからなくなってしまいましたので、教えてください。 「進化論」は、遺伝子の突然変異と自然淘汰により、生物の進化が進んだという考え方だと思うのですが、もし、そうだとすると、「進化論」は、「生物の性質が変化すること」、すなわち、「様々な多様な生物が発生すること」の説明にはなっていますが、「生物が進化する」ことの説明にはなっていないのではないでしょうか? 「変化」という言葉には、「方向性」の意味は含まれていませんが、「進化」には、「より高度な方向へ向かっての変化」というような方向性の意味が含まれていると思います。 「進化」という言葉の意味をそのように考えると、「進化論」は、生物種が「変化」する理由の説明にはなりますが、「進化」する説明にはならない、すなわち、「生物が高度化する説明」にはならないのではないでしょうか? 何故なら、自然淘汰された種と自然淘汰されなかった種があった場合、後者が前者より「高度」であるという根拠は全くないからです。例えば、「マンモス」が淘汰され、「みみず」が未だに淘汰されていないからと言って、「みみず」の方が「マンモス」より高度だとは言えないからです。 従って、「進化論」は、本当は「変化論」と呼ぶべきなのではないでしょうか?

共感・応援の気持ちを伝えよう!

  • 生物学
  • 回答数3
  • 閲覧数263
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 回答No.2
noname#24872
noname#24872

仰るとおり、進化論の骨子は「生物は変化する」「環境に適応したものが生き残る」ということで、「生き残った生物がより高度である」という概念は含まれません。その意味で「進化論は本当は変化論と呼ぶべきである」という主張は正当なものです。 この問題のそもそもの発端は、本来発生学の用語であった evolution が、生物の変化の過程を表す用語に転用されたことに始まります。 evolution は前成説の用語で、「展開する」=「生物の胚は成体と同じパーツを内包していて、この隠されていたパーツが発生の過程で徐々に表れる」ということを意味していました。この胚の成長過程を生物のたどって来た変化の歴史に例えて、進化論の用語として用いられるようになったのです。ここで「進化とは、単純な構造の生物が複雑な構造に変化すること」という先入観を生むことになりました。 また進化論が展開された十九世紀は、産業革命によって力を付けた市民層による、教会や貴族の価値観の否定=革命が各地で起こった時期でした。ダーウィンの唱えた進化論は、聖書に記述されている種の不変性を真っ向から否定するものだったため、ある意味で既存権威の否定の象徴に利用されたのです。新しく台頭した市民階級にとって、変化とは旧体制からの進歩であり、発展でなければなりませんでした。 そのため、西洋文明が日本に本格的に導入された明治初期には既に、本来の学問の問題とは離れて、生物の進化とは進歩発展の歴史であるという認識が広まっていました。そのため evolution の和訳として進化という言葉が採用されてしまったのです。 今更用語を変えるのは無理でしょうが、進化=進歩ではない、と認識しておくことは必要かもしれません。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

質問者からの補足

ご回答ありがとうございました。 >ここで「進化とは、単純な構造の生物が複雑な構造に変化すること」という先入観を生むことになりました。 やはり、先入観なんですね。 そうだとすると、実際に、単細胞から、多細胞、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、そして、哺乳類の中の人類、と順次構造が高度化して来たこの事実は、どのように説明したらよいのでしょうね? 全くの偶然と考えるべきか、それとも、単細胞の段階で既に、高度化へ向けて進化するようなメカニズムが組み込まれていたと考えるのでしょうか? もし、生物進化の高度化を説明する理論をご存知でしたら、教えてください。

その他の回答 (2)

  • 回答No.3
noname#24872
noname#24872

No.2です。 >順次構造が高度化して来たこの事実は、どのように説明したらよいのでしょうね? 私見ですが、「構造の複雑化」は種の存続のための戦略の一つに過ぎないのです。 地球上の生物が選択したDNAから蛋白質へのセントラルドグマが、「構造の複雑化」に適応しやすいシステムであることは確かです。重複によっていくらでも遺伝子を継ぎ足すことができますし、突然変異によって塩基配列を変えるだけで、無数の蛋白を作りだせます。しかしそれは、不安定な複製システムとエネルギー効率の悪化、という諸刃の剣でもあります。 人類の繁栄が、「構造の複雑化」の戦略が他の種が採った戦略より優れていたから、と考えるのは早計です。哺乳類の祖先である哺乳類型爬虫類は、他の爬虫類の祖先と同じくペルム紀に生まれていますが、恐竜が繁栄している間は弱少種に甘んじていなければなりませんでした。人類の場合も、アフリカから各地に分散していったのは5~6万年前ですが、ほんの1万年前までは、総人口は400万足らずにすぎなかったのです。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

  • 回答No.1
  • flyaway
  • ベストアンサー率19% (306/1541)

進化論とは、遺伝子の突然変異などで生き物が「変化」する中、その生き物の生存のために有利な変化をしたものが生き残り、子孫をふやし、その変化した(より優れた)遺伝子を残していくというものです。突然変異に方向性はありませんが、進化論はその突然変異のなかでも優れたものだけが残る、という方向性を含んでいます。 「優れた」というのは脳の発達や力の強さではなく、その生き物の住む環境に一番適した、という意味ですから、ミミズはミミズの世界(土の中)に適応していれば良いのです。また、環境は変化していますから、それに対応するために生き物は常に変化(進化)しなければいけません。マンモスは環境の変化についていけなかったため絶滅したのでしょう(それに関してはいろんな説がありますが)。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

質問者からの補足

ご回答ありがとうございました。 >突然変異に方向性はありませんが、進化論はその突然変異のなかでも優れたものだけが残る、という方向性を含んでいます。 私も、長いこと、同様の理解をしていたのですが、最近、どうもおかしいのではないかという気がしてきました。それは、「優れたものが残る」という表現です。「優れたものが残る」と考えると、「劣っていたものが滅ぶ」と表裏一体のように思えます。しかし、劣っていたから滅んだんでしょうか? 例えば、ある動物が1万年生きていたけれど、あるとき、気候が悪くなり、餌が全くなくなってしまったとすると、どんな動物でも滅ぶのではないでしょうか? だから、滅んだのは、その動物が劣っていたのではなく、単に環境が悪くなっただけではないでしょうか? 言い換えると、ある動物が生き残っているのは、その動物が優れているからではなく、その動物が滅びるほど劣悪な環境が、たまたま、なかったというだけではないでしょうか? これに対し、「滅びる」=「劣っている」、「生き延びる」=「優れている」ということなんだ、と言う人がいるかも知れません。しかし、その場合は、矛盾が起こります。それは、ある動物が、10万匹いて、そのうち、5万匹は南へ、残りの5万匹は北へ移動したとします。その結果、北に移動した5万匹は気候が合わなくて、全部滅んで、子孫を残せなかったとします。一方、南へ移動した5万匹は、生き延びて子孫を残したとします。この場合、北へ移動した5万匹は「劣っていて」、南へ移動した5万匹は「優れていた」ということになりますが、もともと、同じ種なのですから、「優れている」「劣っている」とは言うのは、おかしいと思います。 このように考えると、「進化論」は、やはり、種の進化の説明にはなっていないと思うのですが、いかがでしょうか? もう少し、具体的には、生物が、単細胞--->多細胞--->魚類--->両生類--->爬虫類--->哺乳類(---> ---> 猿人--->人類)などのように、高度化の道を歩んできた理由は、「進化論」では説明できないと思うのですが。

関連するQ&A

  • ダーウィンの進化論はラマルクの進化論とは違います

    ダーウィンの進化論は、進化の主役は自然にあり、それを「自然選択」といって、これはデカルトに始まる機械論的世界観によるものですので、目的がありません、偶然により進化します。 それに対してラマルクの進化論は彼の「動物哲学」で述べられているもので、キリンの首が長いのは、高いところのエサを食べようとして意志し、首を伸ばそうとして首が長くなったと言いました。 それを「獲得形質の遺伝」と言っています。 ところが、どなたか、首を伸ばして高いところのエサを食べるのをダーウィンの進化論と同一視して論じる人がいます。 でも、ダーウィンはそんなことは言っていません。 自然が選択して、たまたま首の長いキリンが生まれて、それが環境に適応した結果、首の長いキリンが種を増やした、と言っているだけです。 19世紀の末、英国のハーバート・スペンサーは「社会進化論」で、自然界には生存競争があり、その生存競争によって種は「淘汰」される、そして「淘汰」を生きぬいたものだけが生き残る、と言いましたが、それもダーウィンの進化論とは違うものでした。 19世紀の英国による世界制覇を合理化・正当化するためと、当時の英国の「進歩思想」、歴史は進歩発展するという思想に基づくもので、ダーウィンの進化論とは似てもつかないものでした。 ダーウィンは自然界に「生存競争」があるなんて言っていませんでした。 だから「自然淘汰」と訳していますが、正式には「自然選択」です。 それに「進化」と言っていますが、どちらかといえば「変化」です。 「進化」というと、進歩発展を連想しますが、ダーウィンは環境の変化に応じて、種も変化すると言っているだけです。 自然が進化のイニシアチヴを握っている、という意味で。 確認質問です。 間違っていますか?

  • 突然変異と自然淘汰で進化をすべて説明できるのでしょうか

    突然変異と自然淘汰で進化をすべて説明できるのでしょうか 突然変異は複雑な生命になればなるほど、個体にとって不利に働くとききます また、ランカマキリなど植物にみごとに擬態してる生き物は突然変異と自然淘汰では説明できる気がしません 進化論(突然変異と自然淘汰)は正しいのでしょうか 進化論を信じたいので、ID論・創造論の意見は控えてもらって、進化論の立場から解決したいです

  • 生命の誕生は、進化論で説明できますか?

    今から、約35億年も前に、RNAで自己増殖できる 原核生物が誕生したそうなんですが、 それまでは、まだ、DNAはなかったらしいんですね。 だとすると、突然変異と自然淘汰で、原核生物が 誕生したのではないと思うので、「生命の起源」は、 突然変異と自然淘汰では説明できないと思うのですが、 どうなんでしょうか? あと、たまたま突然変異で有利に変異した個体が 生存競争で「ふるい」に掛けられて、 より環境に適応した個体が生き残って子孫を 増やしていく・・・この蓄積が自然淘汰だと 思うんですが、 要は、自然環境が、突然変異した個体を「ふるい」 にかけるだけで、何ら、その個体に主体的に「環境」 が働きかけているわけではないと思うのですが、 そのような消極的な自然淘汰が、その個体を維持する ことは出来ても、果たして、より高度な秩序ある 更なる個体へと進化させていくほどの機能があるとは 到底信じられません。 ましてや、偶然の産物でしかない突然変異で、 高度な機能を有する秩序ある個体へと進化していくとは さらに、信じられません。 開放系であるこの地球で、太陽エネルギー以外の 何らかの別の力(目的・方向性をもつエネルギー)が 生命に働きかけて、エントロピー減少へと 向かわせているようにしか思えませんが、 いかがなものでしょうか? 私はそれがまさしく神の愛だと思うんですが・・・

  • これは進化論ではないのでしょうか?

    これは進化論ではないのでしょうか? マタイ七章にこうあります「よい木はよい実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。よい木が悪い実をならせることは出来ないし、また、悪い木がよい実をならせることもできません。よい実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」 ヨハネ十五章にはイエスをぶどうの木にたとえた同じような記述があります。このように聖書にも存在に有効な性質と無効または有害な性質を神が選び 存続を決定するととれる記載があります(ゆにこ説) よい木というのは存在性のことで 悪い木というのは存在できない性質のことです。これは進化論で言う自然淘汰ということではないでしょうか。 進化論を否定してきて ようやく認め始めたキリスト教ですが 僕にはこれは進化論に見えます つまり進化論も聖書から出て来たのではないでしょうか と思うのですが?

  • 進化論の今

    最近、ダーウィンの進化論はもう過去のものだという話を某掲示板で見かけ、現在主流の進化論はどういうものなのか気になりました。 ド・フリースの突然変異が追加されただけではない、自然淘汰とは全く別の切り口の進化論が、もう主流になってきているのでしょうか? もしそういう主流の進化論があるとすれば、どういうものなのでしょうか? 高校生ぐらいのレベルで解説して頂けると助かります。 なお、お礼・お返事は少し遅くなるかもしれません。

  • 進化論では、命はどうやって始まるんですか?

     進化論では生命はどのように始まったことになっているんですか?  進化論についてちょびっと高校で習っただけでそんなに詳しい知識はないのですが、単細胞生物みたいなのから魚とか虫とか、哺乳類とか鳥類に突然変異のようにして進化していった、というものだと思っています。  これについても間違っていたら教えていただけると嬉しいです。  進化自体はまあ納得はできないけど、わかるんですが、一番最初はどんなやつでどうやって生まれたんでしょうか。特定の何かを指さなくても個人的な想像でもいいです、どうなんでしょうか。  あと、突然変異で好ましい変化が起きた事例はあるのか、も教えていただけるとありがたいです。  カテゴリ選択間違ってたらごめんなさい。

  • 進化論: 何故、システムとして進化できるのでしょうか?

    生物を構成する個々の小さい部品が突然変異と自然淘汰の積み重ねで進化できるのは、わかるような気がしますが、多数の部品が統合されて、全体がシステムとして働いているようなものは、進化論ではどのような説明が可能なのでしょうか? たとえば、「目でモノを見る働き」などが、進化の結果として実現されるためには、眼球のレンズ、レンズを動かす筋肉、網膜、視神経、視覚像を処理するための脳細胞、涙腺、瞼の条件反射などなど、ものすごく多くの部分が全体として調和されて進化して初めて可能だと思います。 しかし、これらのシステムを構成する個々の部品は、それぞれ、別の遺伝子が管理しているでのではないのでしょうか?もし、そうだとすると、レンズができても、レンズの筋肉ができなかったり、たまたま、両方できても、網膜ができなかったり、あるいは、視神経ができなかったりすると思います。 これらの個別部品が、「同時期に一気」に全体が調和するように進化する理由がよくわかりません。また、「同時期に一気」にではなく、「別々の時期に、少ずつ」だとすると、まだ、レンズの筋肉ができていなかったときのレンズは、どうやって体内に固定していたのかとか、そもそも、「見る」という「有益な機能」に至る前の「ただのレンズ」などは、「自然淘汰」の過程で、存続し続ける必然性がないのではないかと思うのです。 ということで、進化論では、個別部品を統合したシステムとしての進化をどのように説明可能なのかを教えてください。

  • 進化論

    私は、大学の理系の学部を卒業しましたが 生物系ではないので進化論は、やっていません。 高校でもやった覚えはありません。 アメリカでは、義務教育に進化論が入っているのでしょうか。 最近の、放射線事故で分かった人もいると思いますが、 進化論は、実験不能なので化石の年代測定が誤っているだけ で、崩壊してしまう脆い理論だと思います。 ここまでは、科学の疑問でしたが わざわざ、哲学カテゴリで質問しているのは 進化論という理論自体が人間にとって都合の 悪い理論だと思うからです。 自然淘汰などを主張するならば、人類より 現代の地球に適した生物や人類より優れた 生物、人類より賢い生物が現れたら、 地球の支配権(?)をその生物に譲り渡すということでしょうか。 (私は、それでもいいですが) 私には、キリスト教的な人間だけが特別の存在である という理論のほうが受け入れやすいですが。 アメリカでしつこく、進化論が正しいと主張している人は 何がしたいのでしょうか。

  • 進化論が正しいとすれば

    自然淘汰説によれば正直者は淘汰され嘘つき者は適者と考えてよろしいでしょうか? とすれば、世の中は有害無益者だらけと考えていいでしょうか? あくまで進化論が正しいとした場合のことですが。

  • ダーウィンの進化論

    ダーウィンの進化論が、100%正しいと思っていない方、 独自の理論を教えてください。 現在の生物が存在しているのは、どういう課程があったかとか、 どうやって生物が、そもそも誕生したのかなど。 例えば、美しい花に擬態しているカマキリは、本当に進化の結果でしょうか? 毒蛇に似せて生きている無毒のへびは、ほんとうに意図的に(無意識ですが)そうなったのでしょうか? あれらは、知的生命体の生み出した生物だと思います。 そもそも、地球上の生物は本当に進化したのでしょうか? パソコンだって、進化しています。古いPCは新しいPCと似ていて、 これが土に埋もれているなら、生物の化石のような進化を感じるでしょう。 他の物も同じです。生物も、新しく作り変えられているかもしれません。 天変地異で絶滅した前後に、似た種の変化形を作ったかもしれません。 無数の種が生息する中で、この2000年内で、 ただの1種も、進化の変化が見えた生物を知りません。 あれば教えてください。紀元前1年の時には、水かきがあったのに、 ある子孫からは、それが消えた! みたいな。 何万年もかかる進化かもしれませんが、これだけ種がいるのなら、 これだけ、人類が地球環境を急変させたのなら、何か変化した生物がいてもいい気がします。 自然が減ってきたから、ぶら下がらないで鳥のような巣を作るコウモリが見られた!とか。 内容は、非常にくだらないものかもしれません。 真剣に取られる方のみ、ご回答よろしくお願いします。