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ダーウィンの進化論はラマルクの進化論とは違います

ダーウィンの進化論は、進化の主役は自然にあり、それを「自然選択」といって、これはデカルトに始まる機械論的世界観によるものですので、目的がありません、偶然により進化します。 それに対してラマルクの進化論は彼の「動物哲学」で述べられているもので、キリンの首が長いのは、高いところのエサを食べようとして意志し、首を伸ばそうとして首が長くなったと言いました。 それを「獲得形質の遺伝」と言っています。 ところが、どなたか、首を伸ばして高いところのエサを食べるのをダーウィンの進化論と同一視して論じる人がいます。 でも、ダーウィンはそんなことは言っていません。 自然が選択して、たまたま首の長いキリンが生まれて、それが環境に適応した結果、首の長いキリンが種を増やした、と言っているだけです。 19世紀の末、英国のハーバート・スペンサーは「社会進化論」で、自然界には生存競争があり、その生存競争によって種は「淘汰」される、そして「淘汰」を生きぬいたものだけが生き残る、と言いましたが、それもダーウィンの進化論とは違うものでした。 19世紀の英国による世界制覇を合理化・正当化するためと、当時の英国の「進歩思想」、歴史は進歩発展するという思想に基づくもので、ダーウィンの進化論とは似てもつかないものでした。 ダーウィンは自然界に「生存競争」があるなんて言っていませんでした。 だから「自然淘汰」と訳していますが、正式には「自然選択」です。 それに「進化」と言っていますが、どちらかといえば「変化」です。 「進化」というと、進歩発展を連想しますが、ダーウィンは環境の変化に応じて、種も変化すると言っているだけです。 自然が進化のイニシアチヴを握っている、という意味で。 確認質問です。 間違っていますか?

みんなの回答

noname#260418
noname#260418
回答No.8

>私の解釈を「正しく解釈されているか疑って 質問者さまを疑ってません。 支配が美化されてます。 侵略じゃなくて進出になってます。 正しいことをいう人が否定されることに 危機感はあります。 いまの人たちは戦争を冗談みたいに 話してるんです。 戦争って悲惨です。残酷な事実です。 食べることに困らないことや 電気が24時間あるのが当たり前だと思うのは 傲慢です。 同じ日本人だってたくさん犠牲になったのに ひと事のように話してます。 痛みが分からないのでしょうか。 それが恐いです。 世界を支配下におきアメリカと対決した イギリスだってこのような (戦勝国のような)ふるまいはしてません。

noname#260418
noname#260418
回答No.7

哲学は哲学で答えないとだめだと思います。 そこに化学や物理で返したり、 勝手に用語を使うことは 許されないと思います。 わたしは学問を尊重する気持ちはあります。 学問や言語はいつか思考の一部になります。 その人自身なんです。 わたしはそう思っています。 いまを見て話を展開することが 歴史と文脈を無視しています。 哲学は自由発想ではないと思います。 学問を汚す行為は無知。 自分の好きな見方をして 逸れた話をすればダーウィンと 社会進化論の区別ができなくなり、 そこからまた誤解を招きます。 人間が人間を淘汰するとか、生存競争は 人間がすることはではないと思います。 するとしたらそれは戦争や 欲望、自発的なものだと思います。

noname#260418
noname#260418
回答No.6

>あなたはそれを英語原文で読んだのですか、 それとも日本語訳で読まれたのですか? 教えてください。 質問者さまじゃないです。 日本にちがう解釈です。 情報がちがう解釈のまま 一人歩きすることが良くないんです。 それこそ、ダーウィンがいったことと ひっくり返ってます。 だからスペンサーの社会進化論も 解釈がちがうのかなって。 質問文が分かりやすいのに 間違ってない、「だからこうなった」とは 言えないはずです。 結論づけてることに危惧しています。 歴史というのはその国の人じゃないと 分からないことがたくさんあります。 一方的な(日本の感覚)で見るのが 文脈と歴史を無視しているということです。 それは恨みや争いのもとになります。 社会に淘汰というのは 思想改革みたいなものかと思いましたが わたしの解釈も違う感じがしました。 スペンサーはダーウィンを 利用したわけではないですよね。 一番、いいたいことは南京事件のことなんです。 中国は最初から人数にこだわったり、 行為を責めるつもりはなかったと思います。 中国が怒ったのは「戦争とはなにか?」です。 多大な犠牲者をだした 戦争自体を忘れようとしたり 一方的に賠償してくるかのように、 被害者みたいに報じたりしたからです。 いまでは人数や証拠がどうだの。 でも質問と関係ないことは失礼だと思ったので。 一旦、解釈を間違える恐ろしさに ついて回答させていただきました。 ダーウィンはシンプルなことしか いってません。 結果論でしか見ないことは間違った解釈が そのまま根づいたからでしょうか。 知識が溢れでるような文章を書く 質問者さまには敵いません。

noname#260418
noname#260418
回答No.5

すべての歴史と文脈を無視することは 危険です。 世界を植民地にしたイギリスと同一化する 日本はちがうと思います。 スペンサーの社会進化論が正しく解釈されているか 疑ってしまいます。

koosaka
質問者

補足

あなたは「スペンサーの社会進化論を読んで解釈していますか?」とか、私の解釈を「正しく解釈されているか疑ってしまいます」という以上、それを読んでいなければなりません。 で、あなたはそれを英語原文で読んだのですか、それとも日本語訳で読まれたのですか? 教えてください。 そして「すべての歴史と文脈を無視することは危険です」と言いますが、あなたは「すべての歴史書」を読んだのですか? すべての歴史と言いますが、すべての歴史を読むには膨大な時間と読書量が必要です。 どんな学者でも、すべての歴史に通暁するのは、困難です。 でも、私は限られた歴史書を読んで、申し上げております。 大英帝国は19世紀の後半に世界の広い地域を植民地化し、世界一の覇権国でした。 そのことは誰でも知っていることです。 あなたでも、それは知っているでしょう? そして明治以降、日本も大英帝国を真似して、帝国主義政策で、隣りの朝鮮や中国に侵攻し、そこを自らの支配下に置こうとしたことも事実で、そのことは教科書にも書いてあることで、周知のことです。 その日本がダーウィンの進化論を解釈するときに、スペンサーの「社会進化論」で、弱肉強食により朝鮮や中国が「生存競争」に敗れたのだから、支配されるのも当然だと、考えたのも当然でしょう。 でも、それはダーウィンの進化論とは違いました。 ダーウィンは自然界には「生存競争」などない、と考えていたのですから。

noname#260418
noname#260418
回答No.4

間違ってません。 いまを見て結論づけたほうが 合理的ですね。 わたしはすべて予測不可能なことだと 思っています。

  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.3

質問者がいい感じにベストアンサーを選べるとは言えない。って のが、言外にある。で、本質問の質問者様も同様に、いい感じに ベストアンサーを選べるとは限らない。 致命的に間違ってる点を一つ指摘する。 ーーーー引用はじめーーーー  自然が選択して、たまたま首の長いキリンが生まれて、それが  環境に適応した結果、首の長いキリンが種を増やした、と言っ  ているだけです。 ーーーー引用終わりーーーー たぶん、わざと間違って、訂正の指摘を待ってる感じがする。なん でかっていうと、生物カテゴリでなくて、哲学カテゴリで質問して るから。とりあえず、参考URLの本を読めと言っておく。 他に間違ってる点を一つ指摘する。他にもあるかもしれない。下 記はたぶん間違い。質問本文より引用します。 ーーーー引用はじめーーーー  ダーウィンは自然界に「生存競争」があるなんて言っていませ  んでした。 ーーーー引用終わりーーーー なんでたぶん間違いかと言うと、ダーウィンの世に出した本の題 名は、 On The Origin of Species by means of natural selection of the pr- eservation of favoured races in the struggle for life 最後の6つの単語、races in the struggle for lifeを生存競争と読み たくなります。ただし、存続をめぐる争いと読む方がいいみたい です。 淘汰と選択。ダーウィンの世に出した本の内容まで踏み込まない と、淘汰と選択のどっちが訳語としていいかは判別できないです 。淘汰と選択の意味が表裏だから。  淘汰----《名・ス他》不用・不適のものを排除すること。「―      法」「人為―」。  選択----《名・ス他》よいもの、適当なものを選び取ること。      「多数の中から―する」 そんでもって、本回答も、いい感じに正しいと信じ回答していま すが、当然、いい感じに正しいのかは不明です。よって、参考UR Lの本を読むのが良いです。ラマルクについてもちょびっと出ます 。スペンサーは出てこなかったな。

参考URL:
https://www.kagakudojin.co.jp/book/?book_no=50195
koosaka
質問者

補足

たしかに「質問者がベスト・アンサーを選べるとは言えない」ですから、私の言っていることもベスト・アンサーとは限りませんが、同じことは、あなたにも言えます。 致命的に間違っている点を挙げると、ダーウィンは簡単なことしか言っていません。 生物は環境の変化に適応したものが生き残って種を増やして行く、それだけです。 進化の主導権は自然にあり、生物や人間にはない、自然が選択する。 そこから、自然界、生物界には、生存競争はない、という結論が出てきます。 なぜって、すでに言ったように生物・人間に進化の主導権はないからです。 生物・人間は何もできない、いわば「自然にお任せ」です。 たとえ生存競争があったとしても、それは生物の進化とは関係ない。 ラマルクの進化論だったら関係あると言えるかもしれませんが。 ダーウィンの考え方からしたら、「進化」というより、「変化」「適応」と言った方が正しいと思います。 「進化」というと、スペンサーのいう「社会進化論」と間違えられます。 歴史の進歩・発展思想と。 自然が「選択」するので、それを「淘汰」というと、まるで自然が「淘汰」しているように勘違いされます。 なぜって自然は主体ではないから。 自然といっていますが、要するに「適応」です。 「適応」とは生物と自然がマッチする、対応するということ。 だから「自然選択」という言い方も、あたかも自然が主体のように勘違いされます。 でも自然は進化の主体ではありません。 どちらかといえば「傍観者」。 ダーウィンの考えには、生物は環境に応じて「変化」するのであって、「進歩・発展」するという考えはないと思います。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.2

koosakaさんの説明で正しいと思います。 koosakaさんが気にしている質問は私も気になっていました。 回答者が間違った答えを書いて、それがベストアンサーに選ばれるのはいかがなものか?と私も思っていました。 質問の形で訂正するのは本来のこのコーナーの使い方ではないかもしれませんが、間違ったままにするよりよいと思います。 私はダーウィン進化論に詳しくないですが、koosakaさんの言われるのでいいと思います。 そもそも進化論は獲得形質の話なので人間の能力の発達にあてはめるのは変です。 言われる通り進化とは環境に応じた適応であって、退化も進化のうちです。 変わることであって、それには決まった方向性はありません。 宗教との関連のせいなのかダーウィンの考えは歪められて語られがちに思います。 ダーウィンの説は今日でも概ね正しいとされています。

koosaka
質問者

補足

たしかに、私の質問は前にposttruth2017さんの質問したダーウィンの進化論の質問に対するdragon_manさんの間違った回答にベストアンサーをつけていて、回答する方も回答する方だけど、質問する方も質問する方だと思ったのがきっかけで、それを訂正しようとして確認質問の形で、質問しました。 しかし、残念ながら、あなたのいうのも間違っています。 「そもそも進化論というのは獲得形質の話」と言いますが、「獲得形質の遺伝」というのは、ラマルクの進化論であって、ダーウィンの進化論ではありません。 そしてダーウィンの進化論は「人間の能力の発達」とは何ら関係なく、自然が選択して進化するわけですから、人間には進化の主導権はありません。 「進化とは環境に応じた適応」でもありません。 たまたま環境に適応した種だけが生き残るというのがダーウィンの考えです。 生物はみずから意志して環境に適応できません。 適応する、適応しないは、自然が決めるのであって、生物が決めるのではありません。 「退化も進化の内」とは言えません。 それはラマルクの考えで、ダーウィンの考えではありません。 あなたはダーウィンの進化の考えを歪めて理解しています。 もし、あなたの考えるダーウィンの進化論でしたら、「ダーウィンの説は今日でもおおむね正しい」とは言えないと思います。

回答No.1

ダーウィンもラマルクも、遺伝子DNAについて知りませんでした。 進化は、遺伝子DNAの変異により、あるいは複数の染色体セットを 持つ事で個体の中に多様性を蓄積し、交配により組み合せる、 そこにおいて1個の形質に複数の遺伝子が関与している事で、 環境変異に対し素早く適応できる(不利な(特長の中途半端な) 中間型はあっという間に過ぎる)、といった事を知り得ませんでした。 そもそも、全ての生物種のDNAが同じ遺伝暗号を使っている 事で、地球上の全生物は一種の生命から種分化しており、また 遺伝子の変異速度からDNA配列の違いをもとに種分化のプロ セスを示すDNA系統樹を描ける時代に、進化論がどうこう 言うのは滑稽です。

koosaka
質問者

補足

私の質問を読まれましたか? 私はダーウィンの進化論とラマルクの進化論は違うのではないか、と言ってそれを確認質問と言っています。 ダーウィンの後の、最新の分子生物学の進化の考えについて言及したものではありません。 質問の趣旨から外れています。

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