• 締切済み

“考える”ということについて。

おはようございます。  昔からこのことについて考えてきました。 人は考えます。考える時って頭の中で、自分の「声」のようなもので考えませんか? 例えば、この文章をながめてくださっている方も、何か「声」で読んでくださっていると思います。 (速読、というのはそうじゃないみたいですね) これって何なのでしょうか?「音」ですか? この「音」のようなものって何?超音波? この「音」は取り出すことが出来ますか? でも、これはやはり「自分」の「声」なんですよね。他人の「声」を借りては、なかなか考えられませんね。 頭の中で、懐かしい「音楽」などを(別に懐かしくなくてもいいのですけど) 巡らすこともありますけど、この聞こえてくる音楽って何なのですか? そうすると、生まれた時から耳の不自由な方々は、 “考える”ということをどのようにされていらっしゃるのでしょう。 これらの事を考えるとぼーーっとしてしまいます。 でも、このモヤモヤを温めてきたって感じです。 解決と言うより、共感してくださる方がいらっしゃると嬉しいなと思います。 言い表し方が難しく、長くなりましたが、大体のニュアンス、伝わりましたでしょうか。 もし、不適切な表現がありましたらお許しください。

みんなの回答

回答No.5

僕の経験ですが,ある時思考と「声」が分離したんです. なんだかアヤシイ言い回しですが,別にオカルトではありません.仕事で初めて海外に行き,日本語をまったく使えない状態に放り込まれておったら,三日後にその現象が起きました. この例は単なる「日本語の声」→「英語の声」という声同士の切り替わりでしかありませんが,ふたつ以上の言葉を喋る人に聞くと,やはり皆,同じような経験はしておるようです(駅前留学のNOVAだと,レベル5あたりで,そういう変化が起こるとされています). 何にしろ自分の体験というのは,もたらされた情報以上の驚きと,喜びがあります.chirorinrinさんも,その深遠なるモヤモヤの解消に繋がる(かも知れない)という期待の元に,外国語を始められるというのは如何でしょうか?この問いの直接的な解決に繋がるとは保証できませんが,新しい世界,考え方を獲得することは十分期待できます. 一応経験者として,お勧めします.

chirorinrin
質問者

お礼

メッセージ、どうもありがとうございます。 >ある時思考と「声」が分離したんです. >「日本語の声」→「英語の声」という声同士の切り替わりでしかありませんが なんだか、面白い現象が体験できるのですね。 日本人であるのに、英語で考えるようになるということですね。 そういえば英語の「夢」を見るようになるとも言いますものね。 以前、駅前留学してました。 でもレベル5なんてとてもとても・・・というレベルで終わってます。 そうですね、わたしのモヤモヤはkani-rocketさんの仰る通り、このような所からも何かスッキリできるものを発見できるかもしれませんね。 この質問はもう随分前になりますのに、見つけてお答えいただき、ありがとうございました。

  • oponnpo
  • ベストアンサー率32% (155/481)
回答No.4

ANo.♯1のoponnpoです。お返事ありがとうございます。自分の発言が幾らかでもお役にたてたら。。。と思い、投稿しますので、 レスはとても気にしています。 とても学術的な回答が寄せられ、勉強になりました。が、一般人としては難解でした。私の感覚で言えば “考える時は補助的に自分のコトバを使う”ということだろうな。。。ということで、そういうイミで、私は、音(あるいは自分の声)でなく、どちらかと言うと字(またはキーボードの操作)を使っているように思います。 4/28日にNHKスペシャルで、誕生直後から脳障害で話す事も立つ事もできない11才の少年が、文字盤を指差すことで文章をつづる様子が紹介されました。彼は とても読書家で、文章も大人顔負けです。きっと、彼は、文字で、 考えてるんだろうな、と思いました。 頭の中で聞こえるのが自分の声、と言うのは ソレは自分の考えの時で全く正常で、 むしろ他の人の声で何か【指示】があったら、精神的な病気の可能性もあるのですよ。 考える声、取り出してみたい。。。というアイデア とても面白いです。かつて、映画で記憶を記録する事ができるようになった話がありましたっけ。 (最初の回答のときも、言いたかったんですが題名が思い出せません。。。) 人間の脳の活動は、とてもとても高度の処理なので今の所追いつけるコンピュータは無いのでは??

chirorinrin
質問者

お礼

>人間の脳の活動は、とてもとても高度の処理なので今の所追いつけるコンピュータ>は無いのでは?? ホント、そうですね。考える時間も感じられないほどの“超”スピードで考えてますね。 >かつて、映画で記憶を記録する事ができるようになった話がありましたっけ。 わー、興味深い映画のようですね~ 今度、チャンスがあったら教えてください。 今回の事で普段使ってない頭を、すごい回転で動かしてるような気がします、私。 今回このような形で投稿させて頂いて、そして皆様の色々な意見・考えがきけ、すごく良かったです。 今までこれについては温めては来ましたけど、ここで大きなジャンプが出来ました。ワクワクすることが増えました! ●皆様、再度のメッセージ、ありがとうございました!!●

  • neil_2112
  • ベストアンサー率73% (196/268)
回答No.3

問題解決のひとつの入り口として、まずは言語学的アプローチが有効だろうと思います。 ソシュールという言語学者をご存知でしょうか?  彼の唱えた内容、つまり言葉は思考を表現する「手段」なのではなくて「思考そのもの」である、という視点を提示したいと思います。 ソシュール以前から、「思考」と「言語」の関係はたくさん論じられてきました。その典型が、「言葉とは、概念や事物を表現するための記号だ」という考え方です。プラトン以来のいわゆる言語命名論というもので、要は、まず先に「概念」や「もの」があって言葉はそれを表現したものだ、つまり言葉はものの名前にすぎないのだ、といった考え方です(今でもそう思っている人はたくさんいるのですけれど)。 伝統的なこの見方を完全にひっくり返したのがソシュールです。彼は19世紀末から20世紀前半に活躍した“言語学界のアインシュタイン”的存在で、言語学は彼の登場で大きく“ソシュール以前・以後”に分けられることになりました。 彼は「言葉に依存しない概念も事物も存在しない」と主張しました。概念と言語は表裏一体で、言語なしには我々は概念を持ち得ない、言語とは認識そのものだ、というのです。 言語=認識、という関係について例を挙げましょう。 例えば動物の名前についていうと、古典的な考え方では、まず先に動物があって、こういう動物にオオカミという言葉が対応し、また別のこういう動物にはイヌという言葉が対応する、という風に言葉がイメージされます。 しかしソシュールは、「オオカミという言葉が仮になくなれば、今オオカミと我々が思っているものにイヌという言葉を使うだろう」と述べています。この言葉の意味するところは、イヌとオオカミという動物の境界が最初からあるのではなくて(つまりオオカミという概念が先に存在するのでなくて)、私たちがイヌとオオカミを分けているからこそ、私たちはオオカミというものを認識できている、ということになるのです。オオカミという言葉の存在はそのまま、オオカミを認識することなのです。 このことは、明治になって「恋愛」や「権力」といった翻訳語が新たに人々の前に出てきた時のことを考えてもわかるでしょう。言葉が導入されたことで、初めてその認識が生み出されたのですから。 もうひとつ、言葉と概念の関係を示すいい例が失語症です。重度の失語症とは、「概念は頭の中にあるが言葉にならない」のでなく、「言葉を失ったために概念も失った」状態(あるいはその逆)なのです。 ふつう、「瓶(びん)」という言葉を聞いて私たちは、頭のなかで大小さまざまな色や形の瓶をひと括りに「瓶」として扱うことができますが、「瓶」という言葉を失った失語症患者は、実際にいろいろな物を並べられたテーブルの上から「瓶」だけを抜き出してまとめることができません。つまり、「瓶」というものを抽象化(カテゴリー化)することができないのです。(フーコーも、とりどりの毛糸を太さや色、長さという概念で仕分けできない失語症患者の例を出しています) このような状態を評して、ゴルトシュタインというドイツの精神医は、「失語症患者にとって世界は雑多な色が一面に塗りたくられた状態」としています。言葉を失った人は、微妙な色をカテゴリーで分類・整理してまとめることができないので、知覚できうる全ての色がそのまま頭の中で未整理の混沌のまま存在するのです。 さらに、言語世界をほとんど持たない自閉症患者らを研究した学者によっても、似た報告がなされています。そのような人々の記憶は様々な個別情報にあふれているけれども、それらを総合して概念化する能力に欠けているため、「何を覚えても印象のがらくたの山になってしまう」(ルリヤ)とされているのです。 ところで、仮に言葉がなくても、絵や記号だけで「概念」を伝えられるのではないか、と思う人も多いかもしれません。しかし、それは既に言語によって意味分けされた世界に住む我々の陥りやすい“錯覚”に過ぎません。既に言葉として概念の境界が確定されているものを、単に言葉を表に出さないで物で代替させたに過ぎないからです。 せりふの無い漫画や絵が理解され得るのは、言葉が必要ないことを意味するのではありません。実際には、言葉によって既に概念が意味付けられている世界だからこそ成り立つのです。言語は意味の相互関係であって、仮に一部に穴が開いているように見えたとしても、その穴自体、実はその周りが存在する事によって見えるようになるに過ぎません。部分的に言語を使わない事態を軽軽しく言語の軽視に結びつけるのは、全くのナンセンス、見当違いな批判に過ぎません。 人間で「全く言葉を持たないもの」は、具体的には野生児しかいません(インドのアマラとカマラの姉妹、リトアニアの熊少年、アヴェロンのヴィクトル少年)。 彼らに共通する特徴として、「涙を流して泣かないこと、笑わないこと、調理された食物への嫌悪、性的羞恥心の欠如、言語や音楽への極端な無関心」(「アヴェロンの野生児」イタール)が挙げられていますが、その根底には「言語による意味世界の欠如」があります。つまり、具体的なものに結びついた因果関係や欲動はあっても、抽象的思考、概念操作ができないことがそのような態度となって表出するのです。 脳の発達プロセスも言葉の重要性の傍証になります。一般に人間は幼児の頃から「直感像的能力」(つまり写真のようにイメージを記憶する力)を持っています。幼児は、「お母さん」「まんま」といった具体的な言葉から直接的な刺激を受けて、その具体的なイメージを記憶するのです。 しかし成長するに従って、具体的な視覚認識だけでなくて想像力が加わり、さらに成長すると、抽象化能力や概念思考、言語による記憶が現れて、やがて優位になっていくのです。 研究者の多くは、直感像は一過性の道具で、子供の成長と共に重要性が薄れるもの、と考えているようです(トレッファート)。子供の記憶は具体的イメージであり、一方で成人の記憶力には抽象力(言語能力)が大きく関わるのですが、このこと自体、いかに生活に言葉が重要であるかを表しています。 人間にとって「言葉を失う」ということは「頭の中からその概念を失う」ことと同義で、それは混沌に他なりません。先の例からしても、「言葉は概念や事物を表す記号」ではなく、ソシュールのいう「言葉は表現であると同時に意味である」ということが納得できるのではないでしょうか。 人は言葉に先だって概念を持っているのではなくて、言葉を通じて世界を区切り、整理する事で概念を獲得できるのです。認識は言語そのものであると言っても良く、「人間は言葉の囚人である」という表現は、まさにこの関係を言ったものなのです。 さて、このように考えて思考における言語の重要性が理解できれば、ご質問にはとりあえず半分ほど答えが出たことになります。思考は即ち言葉であるがゆえに、少なくとも意識上では、思考は音としての言葉をなぞることになるのです。 もちろん、言葉は音だけが関係するのではありません。大脳皮質が関わる、耳(音)、目(映像)、体性知覚(触覚)の3つの感覚が連合して言葉の処理に関わっています(5感のうち嗅覚、味覚は大脳辺縁系での処理で、言葉には関われない)。情報処理の意味から言えば、音だけでなくもう少し映像の割合が多くても不思議ではないのですが、音声中心になるのは脳内ネットワークの器質的・構造的特徴が反映された結果なのかも知れません。 実際のところ、音声言語であるアルファベット言語に比べ、同音異義語が多いために抽象思考になるほど「漢字という映像」の重要性が増す日本語は、音声中心主義の度合いが比較的低いので、研究の余地があると思われます。事実、ソシュールの限界をこの辺に見る研究者もあるようです。 余談ですが、音との関係で言うと、ソシュールの思想を発展させたラカンは、 ほとんど「音」を「言葉」の意味で使っているのですが、彼は言葉の音とそれが担う意味の関係を、「クッションの綴じ目」という表現で表しました。 「音」と「意味」がきっちりと結ばれている時に、我々は世界から意味をくみ出すことができるが、この絆が緩むと精神病になる、と書いています。音と意味が分離するというのは、眠って夢を見ている時の状態でもありますが、仮に覚醒時にそうなると、私たちは無意味な言葉の連鎖の中に放り出されて、意味に支えられた自我の同一性が崩壊し狂気に陥るのです。 (ラカンは言葉に注目して無意識の領域を深く考察した精神医です) いずれにしても、言語によらない「概念」が先にある、とか、思考に重要なのは「概念」だ、というような考え方は、確かに一般的ではあっても、言語学的には根本的に方向性を誤っている、というか、後退しているといっていいでしょう。大きく言えば現代の思想は全て、そういった思想の根源である「どこかに純粋で普遍的な真理が存在する」という考え方に正面から反対するものなのですから。 人間は言葉によらずに思考できない、むしろ言葉そのものが概念であり思考であること、という前提を踏まえてこそ、ご質問に向き合えることを強調しておきたいと思います。 (#2のお答えにある参考URLの文章は、正直言って私には愚昧のせいか、よく言葉の意味や論旨が理解できないのですが、「概念」の方が「記号」より重要、と明記してあるので、ソシュール以前の言語理解の立場に立ったものであることだけは確かなのでしょう) なお、ソシュール言語学の入門篇として以下の本をお勧めしますので機会があればご参照ください。 「言葉とは何か」 丸山圭三郎、夏目書房 あるいは、ソシュールの現代思想における意味を簡単に知るために… 「はじめて読む現代思想1(水源篇)」 小坂修平、芸文社

chirorinrin
質問者

お礼

大変遅くになりましたが、本当にどうもありがとうございました。 neil_2112さんをはじめ、皆様にメッセージを頂いてから、 悶々とした日々を過ごしてまいりました。(まだ、そうです。) みんな、普通にして生きている“考える”という事。 それについて考える事は、どうしてこんなに分からないのでしょうか。 「何」かについては考えるのに、「考える」事について考えるのは非常に難しい事が分かりました。 ソシュールとか、ラカンとか、初めての名前でした。インターネットで検索したり本屋さんで見てみたり、この数日間この問題について機会があれば調べたりしていました。本屋さんは自宅の近所のでしたのでほとんど無く、大きいところで沢山の中から、私に合った分かりやすい本を見つけたいと思ってます。 頭が順応しだしたら、ソシュール・ラカン・パスカルかなぁと思ってますが・・・ 道のりは遠そうです。 ●皆様のメッセージ、毎日のように読まさせて頂いていたんですが本日5/8、2つのメッセージが消えていました。何故でしょうか? ずっと残っていると思ってコピーしてなかったんです。こういうことってあるんですか? 色々と一つ一つ、確認していきたい事がありましたのにショックです。

  • starflora
  • ベストアンサー率61% (647/1050)
回答No.2

    考えるとは、どういうことかということですが、それはとまれ、「内的知覚」と「外的知覚」の考え方については、以下のようになります。     「内的知覚」というものは何かということです。     まず、感覚はすべて、脳のなかの電気信号か、または生化学的なパターンを脳のどこかが感受して発生すると考えられます。外にある感覚受容器から入ってくる、こういう「感覚信号」が、強度的に非常に強いので、普通、脳の内部で造られている「脳内部知覚」というのは、感じません。音量の高い音楽の鳴っている場所で、低い音楽を鳴らせても聞こえないようなものです。     しかし、脳内部で、色々な感覚の刺激信号が飛び交っているのは事実で、これらの脳内部の感覚信号は、訓練すると、あるいは訓練しなくとも、外部感覚刺激が弱くなるか、消えると、意識で分かるようになります。     真っ暗闇のなかに、長い時間いると、ノイズ的には、色々な不思議な七色の光が見えてきたりします。また、誰かの姿とか、どこかの情景とかがぼんやりと、見ているような見えていないような奇妙な感じで「見える」ことがあります。これは、脳内部の感覚信号が感受されているのです。     夢は、色の付いた夢や立体的に見える夢もあり、更に、音楽や人の声の聞こえる夢、熱いとか寒いとかの夢、味が出てくる夢、匂いが出てくる夢、痛みを感じる夢、更に、平衡感覚、例えば、落下しているという感覚の夢などがあります。     これは、脳の内部の感覚信号を、読みとっているのです。外部からの感覚信号(つまり、「外的知覚」)がないので、またはほとんど影響しないので、「内部知覚」が感受できるのです。       そこで、考えるとはどういうことなのかですが、以下の参考URLに、かなりラフですが、人間の「思考のモデル」についての考え方の解説があります。この説明が妥当かどうか分かりませんが、何かの参考になるだろうとは思います。     ちなみに、参考URLでは、「思考の過程」は、「言葉=概念」の「連想」と、文章としての「命題」に基づく「連想」が絡み合って、色々な概念や命題の意味の組み合わせから、適切な思考の命題を取り出す過程だという風に述べています。     また、思考する時、普通の人は、頭のなかで声を発声して考えているようです。これは内部音声思考です。また、内部音声思考以外の、内部音声を発しない思考というのもあります。     >考えるとは何か   >http://www.max.hi-ho.ne.jp/aisis/memo-random-1/r-thinking1.html   

参考URL:
http://www.max.hi-ho.ne.jp/aisis/memo-random-1/r-thinking1.html
chirorinrin
質問者

お礼

本当にありがとうございます。 初めに申し上げておきますが、わたしの知識・ボキャブラリ・理解力からいって、 starfloraさんの満足のいくような感想そしてお礼は申し上げられないということです。大変申し訳ないです。 何度も何度も読み返してはいるのですが、あぁ、追いつかない、情けない気持ちです。 starfloraさんの文章で部分部分の思いつく事を。 >真っ暗闇のなかに、長い時間いると、ノイズ的には、色々な不思議な七色の光が見えてきたりします。 眠る前など、(その時が1日の中で暗い時間なので)そういうのが見えます。 七色じゃない事が多いですが。白というかグレーというか、光のような雲のような眩しい時もあります。 それは精神状態に大いに関係するような気がします。 これに、名前があったはずだ、漫画で読んだ!と、一生懸命探したんですが、あぁ勘違いでした。漫画の中の登場人物が名付けていただけでした。(残念) でも、実際名前は無いのでしょうか。 “眠いのに頭が冴えて眠れなかった。目をつむっていると、ものすごい黒い空間に入道雲みたいな白濁したものがわいて広がり、ゆっくり右から左に流れるように尾を引いて消えた。”(大島弓子 作 ジギタリス) そうです、いやに黒い空間に、吸い込まれそうになる。 不安な怖い感覚。でもこのまま放ってずっと見ていたいような気持ち。 >思考する時、普通の人は、頭のなかで声を発声して考えているようです。これは内部音声思考です。 そうですよね、これをもう一回自分で確認してみましたら、 発声する以前に、ほんの一瞬前なんですが「何を発声する」かイメージしちゃってる事が分かりました。それに基づいて発声しているらしいのです。 これから自分が頭の中で発声するのを「知っている」らしいのです。 中途半端なご返事ですが、面白くなってきました。 もっと熟読させていただく時間を下さい。 取り敢えず、「ありがとうございました」

  • oponnpo
  • ベストアンサー率32% (155/481)
回答No.1

chrorinrinさん、おはようございます。 頭の中で曲がなるのはしょッ中ですが、なぜかその時止めたくても止まりません。そして、かかってるのは知っている、もしくはウロ覚えの曲で、全く知らない曲というのはありません。 。。。ということから“考え”て、これは、記憶の回路が軽くショートしたかなんかで出て来た現象だと思います。 私は、コレを書きながら“考え”ていますが、あなたの言う「声」では無い事を確認しています。 何て言うか、「感じる」という表現が一番近いような。。。 逃げ、みたくなっちゃいますが、わたしとしては “見る”“聞く”“話す”などと同じに“考える”があるのでは無いか、と思います。 勉強する時、声を出してやると良い人と、だまってジッと見るのが良い人といますよね。考える時も、補助的に使うのが 『音系』の人と『動作系』の人がいるのでは? 私は、後者ですね。。。

chirorinrin
質問者

お礼

早々のご回答ありがとうございました。本当は早くに読ませていただいておりました。 しかし、何とこちらからお礼を言わせていただいたらよいか、 分からなくなり、こんなに遅くなりました。 でも、「合図」を送らなくてはと気持ちで今回書かせていただきます。 『音系』と『動作系』・・・右脳と左脳の違いみたいなものなのでしょうか。 妥当な返事が出来なくてすみません。ありがとうございました。

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