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客観的芸術ってなんでしょうか?

arayata333の回答

回答No.12

okuweveに来て日は浅いですが、それなりに質問も回答も活用させていただいてる中、 でも こんなにたくさん書いたのはここが始めてです。  他の人の質疑応答も まだあまり読んではいませんが、もしかしたらこの同じテーマ内の文の分量はすでにギネスものかもしれません。  テーマがテーマという事もあるのでしょうし、グルジェフという仏様みたいな人を最初の例示に質問が始まったからという事もあるでしょうが、ここには、あなたの文が読み取りにくく、必死で何がいいたいのかを考えてよまないわけにはいかなくなり、それでいて、それなりに解ってきたら、まるで昔の仏旅の 精神的求道者みたいに誠実な人柄が見えて来たた めに、 ともかく それで話がどんどん進んでいったという形になってい ると思います。  こんなのありかな と思いつつも、またまた追伸の筆をとってしまいま した。  (文章について) 文章は書きたい情熱や 突き動かされるマグマがあれば、 それが読みやすいか読みにくいかは別とすれば、 起承転結の面はちゃんとしていう文面に自然となってし まうそうです。 本気で書きたいテーマがあれば、 起承転結の起は、起こり、テーマと逆か、テーマそのもの かどちらかと関連したすばりそのものが、「起」の文とし て無意識的にも生まれたりするらしいです。 その次には その起こりを承ってのその説明文とかがつづ きこうして「承」は 自然にも承、つまりテーマを承った 文となってくわけです。  自動的にもそのテーマは「転」がりじめる文がやがて生 まれます。これが表現上クライマックスの「転(てん)」で す。 そして それが、すとんと落ちて、「結」論で最後にもう 一度 だからこのテーマを書いたんですという意味合いを強調し て文を「結」ぶわけです。  書きたい という強い想いがあれば、そのへん自動的な面がつよいわ けです。  かならずしも起承転結は 順番どおりが一番いいわけで はないと思いますが、 ともかくその全ての要素は文には 他の人がいいたいテーマを読み解くには客観的に必要で、 それが、あなたの文の場合は ちゃんとあり、そしてテー マとそれを語りたいマグマのようなものが伝わるので、 解釈の仕方によっては、というより、その点ではという限 定つきにては レベルが高くさえある文章とも言えるわけ です。  たぶんあなたは 、想いのかぎりストレートに書ける人なのだと思います。  頭でいちいち起承転結を考えながら書く人は、なかなか 大変のようですが、そういう人達よりもはるかに楽に書け ているのではないですか。 特な面だと思います。  でも 急いで書けるからネットではとくに誤字脱字もお おくなりがち(自分も急いでル時はその傾向が大きい方で す。) かつ 私の性格で人の欠点もスレートに書いてしまいます が、いつも言うように貴方の文は読みにくいところも 大 いにあります。(わかりやすく噛み砕いて語ろうとしてく ださってるにも関わらすです。 いや その気持がわかる から、ストレートにこんなこと書いてるんです。)  私の場合は 一応いつでも、中学生でも解るようにと思 いながら書いてますが、どうゆうのがわかりやすい文なの かを学んだり研究したりしたわけではないです。 気持は 同じようにいっしょうけんめい素直に書いてるだ けです。  でも、 最近 文章の客観的表現力を高めるためには、ブ レイン・ダンプというのと、マインドマップというのとの ふたつの訓練が出来ていれば、文才とかに関わらず誰でも 書きさへしていれば、自動的に表現力がついてくる方法を 知りました。  そして、実は似たようなことを私の場合 思索段階で 自己流ながら両方ともやっていたのです。 自分の文がわかりやすいかどうかはともかく、丁寧に書ける のは そうか そのせいなのかと 思えましたので、  それで、そうだ、貴方の場合も、文章自体は書くことが苦 しくなさそうだし、この方法が合ってるし、何かの役に立つ かもしれないと、  やっぱし、また筆をとってしまったと いう事です。 ブレインダンプというのは、 テーマにそう意味合いの単語 (別な言い方をすれば、言いたい事に関連する言葉《単語》) を 徹底的にまず何も考えずに思い当たるかたはしから書き 出すのだそうです。  思い当たるかぎり何百でも^^/。ふつうは30語程度で 一度疲れ果ててしまうそうです。 そこを疲れはてて もう思い浮かばなくなったら、一度書くの を止めて、眠るなりして休んでおいて、さらにもう一度だけ 次には10語程度になるそうですが、さらにひとひねり書ける だけ書くのだそうです。  これをやっておくと、なにも考えずにも書きたいように書 いてゆけば、自然と鳥瞰力が働くようで、他の人にも解りや すい文章になってくようです。  もうひとつがマインドマップというのですが、これはよく はまだ解りません。 大事なテーマを木の幹のような図にし て、それと関連の強い言葉を(つまり上記のブレインダンプ で集めたような単語を)木の枝のような位置に並べて整理す る 精神(マインド)の図(マップ)ということのようなの ですが、ともかくブレインダンプで出て来た言葉とかを、こ れは、ともかくも自分に解りやすいように図でも並べておく ということらしいのです。  そうすると自動的にさらに 鳥瞰力が働き、人と人との間 が無意識的の見えてくるような感じになるのだと思うのです が、 ともかくこの二つで、自然に 他の人にとっても丁寧 な文にはなってゆくようです。  もし 合ってると感じたら、試してみてください。 長文を書く時には役立ちそうですね。  そうそう、「夢」について 書くのを忘れてました。 もちろん、客観的芸術ってなんでしょうか?というテーマ からはずれた回答ではありません。 なんなのでしょうね。ほんとにギネスものになってしまい ますよね。なかなか終われませんが、  また書かせてください^^//////。  そちらが 決めることですので、こちらは、かってに 締めないかぎり楽しませてもらってるだけですが、(そ れで もしそちらの役にたてばそれにこしたことないし) そちらも楽しければ、もうすこしだけ ついでに楽しんで みませんか。  ふつうの人間には夢の中じゃ、こうはいきませんからね。  

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