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イエスキリストがユダヤ教から敵対視された理由?

kigurumiの回答

  • kigurumi
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回答No.5

No.3です。 >とりあえず、「神を愚弄した=それまでの価値観を覆した」という >ことになるのでしょうか もう一つ 思い出しました。 民衆を扇動した。 義人ヤコブ。 エッセネ派は一人ではなく2人をメシアとして立てたようです。 (死海文書の内容により確認) ナザレのイエス。 ナザレ出身のイエス? いえ その当時はナザレという町は無かった。 ナザレアン=エッセネ派 つまりナザレのイエスとはエッセネ派のイエス。 そう呼ばれていた。 ゼロタイのシモン(ゼロテ党のシモン) 初期教父ヘゲシッポスはメシアを渇望する過越し祭の群衆を鎮めるため、律法学者やファリサイ派がヤコブを神殿に連れてきたと述べています。 権威者たちはローマの支配者たちと平和的に共存するために群衆をなだめようとしていたため、義の教師ヤコブを連れてきた。 ところが、ヤコブはエッセネ派なので信条が違っており、光と闇の戦争で、これが預言された戦争になると捉えたようなのです。 群衆をなだめるどころか群衆を煽った。 歴史家ヨセフスはエッセネ派とゼロテ党は区別がつかなかったと述べています。 ヨセフスがゼロータイ(ゼロテ党)という言葉を使う場合、大祭司アナノスに逆らう人々を指していたようなんです。 アナノスは最終的にヤコブを殺すことになります。 ヤコブは厳格かつ極めて敬虔な国粋主義者的ユダヤ人グループの指導者であり、イエスは自ら弟子たちの指導をしていた人物。 このことからして、イエスの真の教えとヤコブの教えの間に大きな違いはありえるだろうか? 否。 そのころはユダヤはローマの属州で、ピラトが統治しており、ピラトは聖書に書いてあるような人物ではなく、腐敗・暴力・略奪 そして裁判すら無しの、大量処刑でその名をとどろかせていた。 (ずっと後にローマにユダヤ人が訴えて解任になった) ピラトはサンヘドリン対し、ローマに逆らう疑いがあるものは、なん人たりとも逮捕し、ローマにすぐに引き渡すよう義務づけていた。 政治的サンヘドリンの支配下にある神殿警備兵はイエスを逮捕しピラトに引き渡した。 当時、処刑の仕方は、処刑場に立ての柱を打ち付けておいて、磔刑所までは、横の柱を罪びとに背負わせて歩かせていた。 だからイエスが十字架を背負って歩いたという表現も嘘です。 現場で既に立っている柱と、担いできた柱を組み立てていたんです。 しかも、磔刑の道具はその当時は十字の形ではなく、タウ(T)でした。 とろころで、なぜ新約聖書ではピラトが実に慈悲深い男だと表現されているのか? じーーーーっ・・・・ これを理解するには、不可解な転向を繰り返した一人の男の性格に注目する必要があるらしいです。 最初はイエスの信徒たちを迫害し、奇蹟の改宗によってヤコブに加わり、後に彼らを裏切り、後に聖書に編入され、イエスの直接の弟子だったペトロたちが無能だったと読者に思わせるように工作した文書を残した人物。 サウローーーー! 20世紀も終わりになって、2000年間続いていた、ユダヤ人がキリスト教の神を殺した という冤罪がやっとパウロ2世によって晴らされましたが、はれるまでに2000年もかかったのですね。 パウロ・・・ パウロ3世となる人はどんな事を晴らすのでしょうね。 >2000年も昔のことですし、歴史ミステリーのひとつになるんでしょうか 外伝・偽典 他には新しく出土した文書など以外に、新約聖書を研究することでも、新たなことがわかってきているようです。 コテコテのカトリック教徒で、大学で聖書の講師をしており、異説が出るたび、自分の知っている限りの聖書の知識で武装して異説と闘ってきた人が、ある日 いつものように日課で聖書を読んでいて、カナの結婚式のことろで、はっとなったそうです。 イエスは結婚をしていた・・・・ そしてつづいてもう一箇所開いた。 ベタニアのマリアがイエスの足元で話を聞いている。 決定打でした。  彼女は新約聖書が真実だとして闘うために知識で武装しましたが、その知識によって、イエスは結婚していたと気づく結果となりました。 ミステリーですねぇ。 ユダヤのその当時の慣習を知ったことで導き出されたようです。 >回答者さんの仰られるガブリエル=司祭という話、とても面白いですね^^ はい、どうしてかというと、ヒエラリキーです。 仏陀が悟りを開いたのは樹の前だったと思います。 ガブリエルは神の前、つまり 樹の前にいけた人。 だからヒエラルキーの神領域のランクの人。 その他には口伝である伝説が受け継がれており、その話でいくと、イエスが生きたとされた時代には、今でいうような神学校みたいなもがあったそうです。 生徒は全員レビ人。教師は大祭司たち。 大祭司は女性生徒を教育・監督するのみならず、破瓜を迎えた女性徒を妊娠させる責務を負っていた。 妊娠が確認されると、イスラエルの指導者層の家系に嫁がせていた。 この聖婚によって生まれた子どもたちは(初子)7歳になると神殿の学校に戻され教育を受けた。 こうすることで、大祭司の血統には不純物が混じることなく純潔が保たれた。 その生徒の中にミリアムという少女がいた。 アンナという生徒の娘。 大祭司ガブリエルが彼女を受胎させ、妊娠が確認されると彼女の結婚が手配された。 ミリアムは夫として最初に選ばれた男を拒絶し、最終的にはダビデの直系のテュロスのヨセフを選んだ。 外伝にあるマリアの生い立ちの話と一致します。 (マリアのヘブライ語はミリアム) 処女という意味は、誰にも支配されないもの というのが本来の意味なのだそうです。 従ってこのランクになると、女は単に男の子供を産む器とはされていないわけです。 霊的なパワーをもたらすものとされていた。 つまり神の祝福を与えその家系を栄えさせると捉えられていた。 自分で一方的に油を注がれし対象を選んでいますね。 天の住民がヒエラルキーの上位階層の人たち。 宗教的指導者の上位の人たちのこと。 地の支配者が政治的指導者。 ちなみにヨセフはダビデ・ソロモン系統の政治的指導者の家系。 ヨセフとイエスは血のつながりはありませんが、神の領域にいるとされた大祭司の血が血統に流れることになったわけです。 これだと、イエスの系図に何故か2種類ある理由も納得できる。 こんなのはほんの序の口だと思います。 ミステリーの全貌が解き明かされるような何かが出てこないと、真相は解明されないですね。 ただし、明らかになったとしても、真実と宗教は別問題。 真実である必要など無いんです。 宗教は思想や派閥のジャンルと同じだと思います。 真実であるかを証明する必要性など無い。 これを真実とすると定めた人たちが集うことで、思想集団ができるし、派閥ができるし、宗教が次々誕生しては消えていくだけです。

shimashimashima
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。 追加でご回答いただきまして、ありがとうございます。 「民衆を扇動」したということですか 「ダヴィンチコード」でイエスが結婚していた説がクローズアップされていますが、聖書の中にもそれを思わせる記述があるとすれば、いずれそれが事実として認められるかもしれませんね。もしかすると、それを行うのがパウロIII世かも……自分がイエスの末裔だ!と名乗り出たりして……(笑) ピラトについては聖書の記述しか知りませんでした。実際は違うかもしれないんですねぇ。 真実である必要がない宗教ですが 科学により社会の可視化が進むにつれ いずれ「奇跡」と呼ばれるような所業も解明され それでも、なお、人は宗教を持ち続けるものなのでしょうか? 2000年後の世界でも キリスト教やユダヤ教、イスラム教は存在し続け戦争の火種のままなのでしょうか? そんなことを思ってきました……

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