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イエスキリストがユダヤ教から敵対視された理由?
こんにちは イエスキリストが処刑された理由は、ユダヤ教に敵対視されたからですよね? 私の理解としては、ユダヤ教側がイエスキリストをユダヤ教が待ち望むところのメシアとしたが、それをイエスが否定したことが敵対視するきっかけになったというものやユダヤ教を批判したというものだったのですが、ネットでたまたま調べたら、イエスキリストが「ユダヤの王」を名乗ったことがユダヤ教側の反感を買ったというものを見つけました。 私の勘違いだったのでしょうか? 正しいのは、というか定説はなんなのでしょうか? もしイエスがユダヤ教を批判したというのが正しかったとしたらどうして批判したんでしょう?
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No.3,5です。 たびたびすいません。 やっぱり<民衆を扇動した>ことが死刑になった原因だと思います。 ただし、ユダヤ人(ユダヤ)によって処刑になったのではなく、ヘロディオンによって処刑になった。 ヘロデ大王はイドマヤ出身で混血のセム人種。 ユダヤ人ではない。 ローマとは親密で、エルサレムがローマに陥落させられると、ローマからユダヤの王位をもらったのがヘロデ大王。 自分に対して敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なメンバーたちを迷わず処刑していた。 また、残った自分に逆らわない神殿祭司たちや最高法院の中に、政略結婚によって自分の血を入れていき、宗教と政治の両方を支配した。 サンヘドリンもヘロデ大王の息がかかっていたわけです。 ヘロデ大王は、ソロモン神殿をたてたことで、ユダヤ人たちに受け入れられました。 しかし、息子のアンティパスの時代になったとき、アンティパスと神殿祭司たちやサンヘドリンの人たちに対しては、民衆は信頼しなくなりました。 ユダヤ教を冒涜することは神を冒涜することで、神を冒涜したものは石打の刑と法律規定で決まっていました。 イエスは石打の刑にあっていません。 ローマ方式の磔刑となっています。 ピラトはサンヘドリンに、ローマにたてつく疑いのあるものは、誰であろうと連れてくるように命令していました。 ピラトは冷血な男で裁判なしの即処刑でその名をとどろかせていた人物です。 ピラトとヘロデ家の人々は仲がよかった。 なので、ヘロデアンの神殿祭司たちやサンヘドリンの人たちは、ローマにたてつく人々をかたっぱしから捕まえてピラトに引き渡していた。 暴動を起こしてローマにたてついていた人々を捕まえていた中に、サウロがいた。 彼もヘロデアン。 ヘロデ家とは親戚なのでそれなりの地位を与えられており、暴動を取り締まる役目を担っており、なのでイエスの教えに従うものを者たちを迫害していました。 (恐らくサウロはヘロデアンなので神殿祭司側の人なので、イエスの教えに従うものは煙たい存在だったのでしょう) イエスなき後、ヤコブがひきついだわけですが、サウロは何故か3年間の謎の期間の後、突如ヤコブに弟子入りしました。 しかし、すぐに裏切りました。 それで破門され追放されてしまいました。 コリントの手紙やテモテへの手紙で、その時の悔しさが書かれています。 サウロはヤコブの殺害を謀り、神殿から突き飛ばして殺人未遂を起こした。 サウロはこの時逮捕されましたが、ヘロデアンなので、逮捕 実は手厚く保護されました。 イエスの後をひきついだヤコブは人びとから信望されており、それをよく思わなかったサンヘドリンは、ヤコブが神を愚弄したとして、石打の刑に処しました。 サウロの破門の恨みが、やっとここで適ったわけです。 たくさんの人びとがヤコブを助けてくれと嘆願しましたが、聞き入れられず処刑されました。 サウロはほとんどトーラを否定して、自分の思想を新しい契約だとしました。 例えば食事に関する規定、割礼の否定、人びとは皆罪人で自分の神学のみが救いだ としました。 2世紀初頭のものとされるエビオン派の文書 ペトロスの宣教では、サウロは 律法の背教者、邪悪な虚偽の雄弁者、イエスの教えを歪めるもの となっている。 ヘロデオンや親ローマ権力者との強力なつながりを見れば、サウロがイエスのメッセージから民族的情熱を剥ぎ取り、その代わりに法定権力に服従しろという指令を盛り込み、元の教えを去勢してしまった理由がわかる。 サウロは祖先であるヘロデ大王と同様、自らのユダヤ教を軽視していた。 サウロが打ち立てた新しい契約は、ヤコブと元来のイエスの弟子たちの教えを完全に否定したもの。 サウロとは誰のことかわかりますよね。 このように純粋なユダヤ人、純粋なユダヤ教でなかったローマの息のかかった人たちの都合によって、イエスは殺害されるに至ったわけです。 それでも民衆はローマに宗教も政治も支配されてしまったことにガマンならず暴動を起こしていた。 ローマの息のかかったサドカイ派は、もはや群衆を静めることができないと悟ると、こうなったのは自分達のせいじゃあないと訴えるために、二組の使節を派遣した。 一方はフローロス(ローマのプロクラトル)、他方はアグリッパに対する使節で、サウロ、アンティパス、コストバロスなどみな王家の一族。 ローマに鎮圧を頼んだわけです。 しかし鎮圧は失敗に終った。 そして今度はネロに使節団を派遣した。 ヨセフスによると、「ケスティオスは、サウロとその仲間を、彼ら自身の求めに応じてネロの元に送り、彼らの陥っている苦境を知らせようとした。」 この会合の後、ネロはウェスパシアヌスをパレスチナ方面軍の司令官に任命し、これによってエルサレムの運命は決まった。 4年後、エルサレムはローマに包囲され陥落、前例の無い大虐殺と暴虐が繰り返された。 神殿は跡形もなく破壊されつくし、生き残った住民は切り殺されるか磔刑に処されるか、奴隷として売りとばされていった。 とまあ、サウロがエルサレムの崩壊に関係していたとは知りませんでした。 イエスを殺したのはユダヤ人か??? イエスはユダヤ教から敵対視されていたのか?? 一言では片づけられない難しい問題だと思えます。
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- ishiid1
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キリストが処刑された理由はそれだけではありません。 キリストは人類の贖いとなることによっても救世主となられました。 それは、ずっと以前から預言されていたのです。 贖いについて、こうかかれています。 「だれひとりとして,兄弟をさえ決して請け戻すことはできない。 また,彼のための贖いを神にささげることも[できない]。 8 (彼らの魂を請け戻す代価は非常に貴重であるので, 定めのない時まであり得ないものとなった。)」‐ 詩編 49:7‐8 アダムの子孫であれば、人類を贖うことは不可能ですが イエス・キリストは神によって胎内に授けられた人でした。 また、人間としてくる前は、霊者として神の独り子という 立場にいました。 それで、アダムの子孫とは違い、完全で罪のない人としてこられたのです。いわば、アダムが罪を犯す前の完全な状態と似ていたのです。 その方が、何の罪もなく死んでくださることにより、 人類は完全さを取り戻し、神と仲直りすることが可能になったのです。 しかも、キリストには妻も子もいませんでした。 ですから、本来いるはずの子孫や妻も含めて、(つまり精子も) 犠牲とされたのです。これによって、人類は贖われました。 こうした理由もあって、神はキリストが全くの偽りの告発によって 辱められ、処刑されることをお許しになったのです。 たしかに、処刑のさいに掲げられた札にユダヤ人の王と書かれたので ユダヤ人はピラトに対して、ユダヤ人の王と言ったと書き換えてくれるように願ったと書かれています。 また、キリストがユダヤ人の指導的な立場にあった、パリサイ人を 非難し、「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか。」‐ マタイによる書 23:33 「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。」‐ ヨハネによる書 8:44 実際、パリサイ人はそのような非難に値する者たちで、かれらはキリストを何度も殺そうと相談したと書かれています。 しかし、実際に処刑されたのは神がそれをお許しになる正当な理由があったからなのです。
- 参考URL:
- http://watchtower.org/j/
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 どうもありがとうございました。 最近、「ダヴィンチコード」のベストセラーでキリストには子孫がいた!なんて説(?)も聞こえてきますが、いろいろ奥深いですね。
モーゼとキリストの教えを端的に示すとすれば、モーゼは法をキリストは愛を説いたことの違いではないか。 モーゼは『十戒』として、人が守るべき十の戒めを説いた。しかし、キリストは、その十の戒めをたった一つの言葉で表した。愛せよ、という言葉で。 キリストは、それまで1000年以上に亘ってユダヤ民族により大切に守られてきた神の十の法を、一つにまとめた。これは、後世17世紀にニュートンがケプラーの3つの法則を一つの万有引力という力の存在のみにまとめたことに似通っているかも知れない。(愛も引力も互いに引き合う力という点で共通しているのはおもしろいが) ユダヤからみれば、神の法を一つにまとめることなど、神への冒涜であり許せるものではなかっただろうが、それ以上に、キリストからみれば、十の法として示した神の真意もわからず、上っ面で戒律だけを忠実に守っているように見せかけて内実は堕落しきったユダヤ教指導者に対して、どのような怒りの言葉を投げつけても充分ではなかったろう。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 簡潔なご回答ありがとうございます! イエスの「愛」についても、とても分かりやすく理解できました。 いくつもの概念をひとつにまとめて伝えられると私は感動してしまうことがあります。 ちょっと話がそれてしまいますが 精神性が成熟していないと「愛」だけでは理解できないような気がします。 「愛」を知るために「法」を知らなければいけない。 歌舞伎の玉三郎さんが、「型」を学んで、いずれ何もしないで感情を表現できる旨の発言をしていたのですが、それと似ているような……違うかな?
- MoulinR539
- ベストアンサー率39% (379/960)
こんにちは。誰の説だったか忘れましたが、私には納得のいく説明として、「イエス自身は新しい宗教を始めたつもりはなく、ユダヤ教の宗教改革を行う意図だった。ユダヤ人は彼を異端としたのは、ユダヤ教がユダヤ人だけを救う選民思想であるのに対して、イエスはそのような排他的な考えを持たなかった」という論を読んだことがあります。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 とても分かりやすい解説でありがたいです!! やっぱり共通しているところは、それまでのユダヤ教を批判したことですね!
- kigurumi
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No.3です。 >とりあえず、「神を愚弄した=それまでの価値観を覆した」という >ことになるのでしょうか もう一つ 思い出しました。 民衆を扇動した。 義人ヤコブ。 エッセネ派は一人ではなく2人をメシアとして立てたようです。 (死海文書の内容により確認) ナザレのイエス。 ナザレ出身のイエス? いえ その当時はナザレという町は無かった。 ナザレアン=エッセネ派 つまりナザレのイエスとはエッセネ派のイエス。 そう呼ばれていた。 ゼロタイのシモン(ゼロテ党のシモン) 初期教父ヘゲシッポスはメシアを渇望する過越し祭の群衆を鎮めるため、律法学者やファリサイ派がヤコブを神殿に連れてきたと述べています。 権威者たちはローマの支配者たちと平和的に共存するために群衆をなだめようとしていたため、義の教師ヤコブを連れてきた。 ところが、ヤコブはエッセネ派なので信条が違っており、光と闇の戦争で、これが預言された戦争になると捉えたようなのです。 群衆をなだめるどころか群衆を煽った。 歴史家ヨセフスはエッセネ派とゼロテ党は区別がつかなかったと述べています。 ヨセフスがゼロータイ(ゼロテ党)という言葉を使う場合、大祭司アナノスに逆らう人々を指していたようなんです。 アナノスは最終的にヤコブを殺すことになります。 ヤコブは厳格かつ極めて敬虔な国粋主義者的ユダヤ人グループの指導者であり、イエスは自ら弟子たちの指導をしていた人物。 このことからして、イエスの真の教えとヤコブの教えの間に大きな違いはありえるだろうか? 否。 そのころはユダヤはローマの属州で、ピラトが統治しており、ピラトは聖書に書いてあるような人物ではなく、腐敗・暴力・略奪 そして裁判すら無しの、大量処刑でその名をとどろかせていた。 (ずっと後にローマにユダヤ人が訴えて解任になった) ピラトはサンヘドリン対し、ローマに逆らう疑いがあるものは、なん人たりとも逮捕し、ローマにすぐに引き渡すよう義務づけていた。 政治的サンヘドリンの支配下にある神殿警備兵はイエスを逮捕しピラトに引き渡した。 当時、処刑の仕方は、処刑場に立ての柱を打ち付けておいて、磔刑所までは、横の柱を罪びとに背負わせて歩かせていた。 だからイエスが十字架を背負って歩いたという表現も嘘です。 現場で既に立っている柱と、担いできた柱を組み立てていたんです。 しかも、磔刑の道具はその当時は十字の形ではなく、タウ(T)でした。 とろころで、なぜ新約聖書ではピラトが実に慈悲深い男だと表現されているのか? じーーーーっ・・・・ これを理解するには、不可解な転向を繰り返した一人の男の性格に注目する必要があるらしいです。 最初はイエスの信徒たちを迫害し、奇蹟の改宗によってヤコブに加わり、後に彼らを裏切り、後に聖書に編入され、イエスの直接の弟子だったペトロたちが無能だったと読者に思わせるように工作した文書を残した人物。 サウローーーー! 20世紀も終わりになって、2000年間続いていた、ユダヤ人がキリスト教の神を殺した という冤罪がやっとパウロ2世によって晴らされましたが、はれるまでに2000年もかかったのですね。 パウロ・・・ パウロ3世となる人はどんな事を晴らすのでしょうね。 >2000年も昔のことですし、歴史ミステリーのひとつになるんでしょうか 外伝・偽典 他には新しく出土した文書など以外に、新約聖書を研究することでも、新たなことがわかってきているようです。 コテコテのカトリック教徒で、大学で聖書の講師をしており、異説が出るたび、自分の知っている限りの聖書の知識で武装して異説と闘ってきた人が、ある日 いつものように日課で聖書を読んでいて、カナの結婚式のことろで、はっとなったそうです。 イエスは結婚をしていた・・・・ そしてつづいてもう一箇所開いた。 ベタニアのマリアがイエスの足元で話を聞いている。 決定打でした。 彼女は新約聖書が真実だとして闘うために知識で武装しましたが、その知識によって、イエスは結婚していたと気づく結果となりました。 ミステリーですねぇ。 ユダヤのその当時の慣習を知ったことで導き出されたようです。 >回答者さんの仰られるガブリエル=司祭という話、とても面白いですね^^ はい、どうしてかというと、ヒエラリキーです。 仏陀が悟りを開いたのは樹の前だったと思います。 ガブリエルは神の前、つまり 樹の前にいけた人。 だからヒエラルキーの神領域のランクの人。 その他には口伝である伝説が受け継がれており、その話でいくと、イエスが生きたとされた時代には、今でいうような神学校みたいなもがあったそうです。 生徒は全員レビ人。教師は大祭司たち。 大祭司は女性生徒を教育・監督するのみならず、破瓜を迎えた女性徒を妊娠させる責務を負っていた。 妊娠が確認されると、イスラエルの指導者層の家系に嫁がせていた。 この聖婚によって生まれた子どもたちは(初子)7歳になると神殿の学校に戻され教育を受けた。 こうすることで、大祭司の血統には不純物が混じることなく純潔が保たれた。 その生徒の中にミリアムという少女がいた。 アンナという生徒の娘。 大祭司ガブリエルが彼女を受胎させ、妊娠が確認されると彼女の結婚が手配された。 ミリアムは夫として最初に選ばれた男を拒絶し、最終的にはダビデの直系のテュロスのヨセフを選んだ。 外伝にあるマリアの生い立ちの話と一致します。 (マリアのヘブライ語はミリアム) 処女という意味は、誰にも支配されないもの というのが本来の意味なのだそうです。 従ってこのランクになると、女は単に男の子供を産む器とはされていないわけです。 霊的なパワーをもたらすものとされていた。 つまり神の祝福を与えその家系を栄えさせると捉えられていた。 自分で一方的に油を注がれし対象を選んでいますね。 天の住民がヒエラルキーの上位階層の人たち。 宗教的指導者の上位の人たちのこと。 地の支配者が政治的指導者。 ちなみにヨセフはダビデ・ソロモン系統の政治的指導者の家系。 ヨセフとイエスは血のつながりはありませんが、神の領域にいるとされた大祭司の血が血統に流れることになったわけです。 これだと、イエスの系図に何故か2種類ある理由も納得できる。 こんなのはほんの序の口だと思います。 ミステリーの全貌が解き明かされるような何かが出てこないと、真相は解明されないですね。 ただし、明らかになったとしても、真実と宗教は別問題。 真実である必要など無いんです。 宗教は思想や派閥のジャンルと同じだと思います。 真実であるかを証明する必要性など無い。 これを真実とすると定めた人たちが集うことで、思想集団ができるし、派閥ができるし、宗教が次々誕生しては消えていくだけです。
お礼
お礼が遅くなってしまって申し訳ありませんでした。 追加でご回答いただきまして、ありがとうございます。 「民衆を扇動」したということですか 「ダヴィンチコード」でイエスが結婚していた説がクローズアップされていますが、聖書の中にもそれを思わせる記述があるとすれば、いずれそれが事実として認められるかもしれませんね。もしかすると、それを行うのがパウロIII世かも……自分がイエスの末裔だ!と名乗り出たりして……(笑) ピラトについては聖書の記述しか知りませんでした。実際は違うかもしれないんですねぇ。 真実である必要がない宗教ですが 科学により社会の可視化が進むにつれ いずれ「奇跡」と呼ばれるような所業も解明され それでも、なお、人は宗教を持ち続けるものなのでしょうか? 2000年後の世界でも キリスト教やユダヤ教、イスラム教は存在し続け戦争の火種のままなのでしょうか? そんなことを思ってきました……
- amosnoopy
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大学で受けた宗教学の講義の内容を基に私の意見を述べさせていただきます。 一番の理由は、ユダヤ教の律法を否定した(それに従わなかった)からです。バビロニア捕囚後のユダヤ教は各地に分散した教徒の宗教のよりどころとしての基本聖典ーキリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるー律法(トーラー)の編纂に当たりました。 そしてその解釈をめぐり、ユダヤ教のなかにもファリサイ、サドカイ、エッセネ派などが対立しました。彼らにとって律法にかかれた細かいきまりの絶対遵守はこの上なく大切な事でした。民衆の多くは字も読めず、又律法に書かれている言語と人々の話す言語も違ったので、一般市民は律法の意味など全くわかりませんでした。 それ故、学者やラビは絶大なる権威をもっていました。学者(ラビたち)と一般のユダヤ人の間に温度差がありました。 イエスは、民衆に語りかけ、律法ではなく自分の言葉で神の国を説いていきます。 そして、漁師といった上流階級ではないものや、最も卑しい仕事とされていた税金とり立て人、娼婦まで分け隔てなく接しました。 安息日に禁じられている行為をした弟子をもとがめませんでした。 彼は、律法より信仰(神を信じる心)を大切とし、門地にこだわらずニ人々に接したのです。 「正しいものは生きるのです。律法は信仰をよりどころとしてはいません」(ガラテアの使途への手紙3.11) 民衆はイエスに従います。自分たちの権威を否定された学者らは怒り、彼を処刑する事にするのです。 ただイエスが「私が北のは律法や預言者を廃止するためではなく、完成させるためである」と言っているように、別に喧嘩を売るつもりなどもうとうなかったはずです。又ここからユダヤ教を信仰していた事も窺えます。 ただ、学者のあまりにも尊大な態度に疑問を感じていたことは事実です。 イエス(これは当時非常にありふれた名)自身は自分がキリスト=メシア(救世主)、または「私はユダヤの王である」と言った事は一度もありません。ピラトの質問に答えたとき、そうともとれる返答をしてはいますが、「自分は救い主」「ユダヤの王」とは直接明言していません。 イエスはユダヤ教を批判したというより、ユダヤ教の学者たち(ローマ帝国内でもそれなりの権力をもっていた)を批判し、民衆の支持をえたので、それに怒ったユダヤ教の学者たちによって処刑ー当時最も憎むべき罪を犯した罪人が処せられる形での処刑(十字架にはりつけ)ーとしたのだと思います。 神学的な解釈ではありませんが・・・
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした 詳細に教えていただいてありがとうございます いろいろな考え方があるので、すっかり分からなくなってしまっているんのが正直なところです(涙) ユダヤ教指導者の腐敗がひとつの要因ではありますね!
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
定説は、神を愚弄したからだったと思います。 1.自分は神だといった。 2.安息日に神の言いつけに背いた。 他にもあったかもしれませんが、大まかにはこの二つだったと思います。 つまり神を愚弄した。 神を愚弄したものは石打の刑の時代でした。 >ユダヤ教側がイエスキリストをユダヤ教が待ち望むところのメシア >としたが、それをイエスが否定したことが 一説によると、<過ぎ越しの日が近づき、ローマの属州であることが許せないユダヤ人は、ローマから開放してくれるメシアを待望していたが、イエスは神である証を見せなかったことで、待望のメシアではないと失望しやがて怒りに変わり、どんどん離れていった。 神でも無いのに自分を神だと言ったとなれば、神を愚弄したことになり、死刑が掟だったので、民衆は死刑を望んだ> という話。 しかし、、、パリサイ派だったか忘れましたが、イエスに好意的で、エルサレムにはピラトがいるので、危険だからエルサレムから逃れてと忠告し、イエスはその言葉に従い一旦退いたんです。 サドカイ派はローマと和平を組んでおり、ローマよりでしたが、どうやらイエスを敵対しておらず、ローマ人へ怒りを示すユダヤ人民衆をなだめていたようなんです。 穏健な人びとで和平を模索していたようなのです。 じゃあ 石打刑が行われていた時代に、なんで石打の刑じゃなくローマ方式の刑で処刑されたのか。 その当時、過激派というかゼロテ党というのがありまして、ローマの属州になっていることが許せなく、ユダヤ民衆を炊きつけたり、ローマ兵に対してテロを行っており、捕まってはローマ方式の処刑が行われていたようなんです。 ゼロテ党は12使徒シモンもゼロテ党でした。 もしかしてペトロもそうだったんじゃないかと思えます。 最後の晩餐の後あたりだったかで、使徒たちの足を洗いましたが、あれが過激派ゼロテ党から足を洗うということだったのかもしれません。 (何故日本語と同一の意味になるかは。。。省略) イエスもその一味と思われたか、実際テロリストだったのかもしれません。 そうなると、何故石打の刑が行われていたのに、ユダヤの同胞間で処刑されなかったかの理由がつきます。 でも、新約聖書の解釈では最初に書いたのが定説だったと思います。 どうしてそれが定説となったのか? ローマが国教として認めたから、ローマ人を悪く言いたくなかったから。 と私は推理しました。 ただ、本当にローマ人によって処刑されたのかは誰も実は知らないんです。 ローマの歴史の資料にピラトに関する記録はあるがイエスに関する記録が無いんです。 国教となったのに、その存在の記録が歴史の資料に残っていないんです。 誰がその下りを作ったのか? http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0174.html 【以上のことが、もし、そうではなかったのなら、イエスはそうであったはずだ、そうであってほしいという“物語”を誰かがのちにでっちあげたのである。 本書とは直接関係ない話だが、この劇的な“物語”の“作者”がいたとすれば、それは異端からイエスに帰依したパウロであったにちがいない。】 そう来たか・・・ でもあながち全くの的外れとも言えない。 >もしイエスがユダヤ教を批判したというのが正しかったとしたらどう >して批判したんでしょう? いえ、キリスト教の聖書を読むと、イエスはユダヤ教を批判していません。 イエスが言ったとなっている内容全ては、ユダヤ教の聖書に既に書いてあることばかりです。 何一つ新しい事は言っていないんです。 ユダヤ聖書は、当事者の名前を書かず、かつての有名な人の名前で書くという決まりがあるそうです。 つまり「イエスが言った」というのは、イエス以外の人が言ったわけです。 何故イエスとしたのか。 民数記、ヨシュア記に登場するユダヤの指導者の名前がヨシュア。つまりイエス。 ではイエスの本名は? わかりません。 待望のユダヤの指導者 あるいはメシアになる人だと最初は思われたので、イエスという肩書きで呼ばれたんだと思うんです。 ただ、上のリンクにもあるように、史的イエスと歴史的イエスと少なくとも2人以上の人がイエスと呼ばれた可能性があります。 バラバもイエスです。 ローマに捕まった男がヨシュアのランクをもらっている。 ただの罪人ではなかったことがわかります。 マリアにしてもヘブライ語ではミリアムで、アロンとモーセの姉の名前がミリアムです。 そんなすごい人の名前を誰でも子ども気軽ににつけられない。 だから本名はマリア(ミリアム)じゃないはずです。 マリアはその肩書きをもらったことから、マリアもただの女ではなかったはずです。 処女受胎でガブリエルが登場することから、推測ではガブリエルとマリアの実の子が、後にイエスという肩書きをもらったのではないかと思います。 ガブリエルは背中に羽が生えた天使ではありません。 ガブリエルの肩書きを持った高位の祭司つまり人間のことだと思います。 これで処女受胎のエピソードが存在する理由がなんとなくわかると思います。 ヨセフも普通の男じゃあなかった。 それなりの地位を周囲から望まれた男。 と、以上のような話は、キリスト教では全くされないので、もちろん定説などでなないので、参考程度にしておいてください。
お礼
ご丁寧に解説いただきありがとうございます 私は熱心なキリスト教でもなく、ほかの宗教を特別信じているわけでもないのですが、漠然と神様を信じているので、聖書にある超自然的な事柄をどうとらえていいのか悩んでしまうんですね。聖書を歴史書と捉えるべきか宗教書として捉えるべきなのかも自分の中で答えがでませんし。歴史書として考えるにしても、死海文書でしたっけ?新しい事実を示すものが見つかったりもしますしね。 とりあえず、「神を愚弄した=それまでの価値観を覆した」ということになるのでしょうか 2000年も昔のことですし、歴史ミステリーのひとつになるんでしょうか 回答者さんの仰られるガブリエル=司祭という話、とても面白いですね^^ 司祭ガブリエルと修道女マリアの間に不義の子をでき、ガブリエルは旅の僧ヨセフにマリアと子を任せる……しかし不義の子の存在を知った教会はその事実を葬るために……なんて話も作れそうですね……もうあるのかな?
- copine
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これが正しいかどうかはわかりませんが、わたしが聞いた話では、 イエスは自分がユダヤの王であり、わたしは神の子、メシアである、と言いました。 しかし、聖書にも書いてありますが、イエスはご存知の通り父親がはっきり誰かとはわからない立場で生まれました。いわゆる私生児ですね。でも一応母親であるマリアの夫ヨセフが大工であったことから、所詮大工の子というふうに見られていました。 しかもナザレ出身というのも人々から見ると、今で言う特に発展している国でもない出身でした。(ヨハネの福音書1:46) そして当時影響力のあったユダヤ教では、十戒を初めとした厳しい戒律がありました。そして誰もそれを変えたり付け加えたり変えてはいけないといわれていました。 ところが、イエスはそれに付け加えたり変えたりしました。 たとえば、マタイ5:27以降などです。 「姦淫してはならない」というのはあなたがの聞いているところである。しかし~ 「目には目を、歯には歯を」はあながなたの聞いているところである。しかし~、や、 「隣人を愛し、敵を憎め」とはあながたの聞いているところである。しかし~。 などです。 とまあ、当時ユダヤ教の教えが絶対視されていた中、それと反対のことを言い、特に良い家柄でもない一人の男が、自分は神の子、ユダヤの王、あなたがたが待ち望んでいたメシアだ、と言っても到底誰も信じることができなかったのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます 発端は差別にあったということなのでしょうか そして生意気だった…… かなり強引な結論かな……
- y1y9y8y1a
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大昔の話で、宗教がらみなので客観的な資料も少ないでしょうから「定説」が果たして立てられるのか、立っているのかわかりませんが…。 私は、イエスの教えは古代ローマにとって邪教であり、住民を煽動するおそれがあったから処刑されたと考えています。 ちゃんとユダヤ教・キリスト教について勉強したことがないので、まったく見当はずれかもしれませんが、古代ローマの勢力下という条件を考慮すると、ユダヤとイエス(キリスト教)という枠の中だけで考えることはできないと思うのです。 聖書の中には、「ユダヤの王が新たな王の誕生を恐れた」なんて記述もありますし、イエスに「メシア意識があった」というのが大方の見方だなんて説も聞いたことがあります。 ユダヤ教を批判したのは、ユダヤ教は生活を律する宗教であるにもかかわらず、その実態が堕落していたからだったからだと思います。 それでイエスは生活それ自体よりも、個人の内面を重視したのだ…ということではなかったでしょうか。 私が知っているのはこれくらいなので…。 もっと詳しい方、私にも教えてください(笑)
お礼
こんにちは ご回答ありがとうございます 私も宗教をちゃんと勉強したわけではないのでよくわからないのですが、とにかく、当時はイエスが異端側だったんですよねぇ ありがとうございました
お礼
お礼が遅くなってしまって申し訳ありません 重ねてのご回答ありがとうございます 最初は気楽に質問したのですが、かなり難しい問題を含んでしまっていたようですねぇ