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キリスト教の方へ

 ユダヤ人の迫害の一因にイエス殺しが大きな要因になっている様です、イエスは処刑によってユダヤ人として死に、世界宗教として復活した、とも言われています。しかしもしピラトによって無罪判決が出たとしたらどうなっていたのでしょうか。おそらくユダヤの一、預言者として終わっていたに違いありません。となると今日のキリスト教が世界宗教として成り立った一番の功労者は死刑にしたユダヤ人ではと時々思うのですが如何でしょうか。

みんなの回答

回答No.6

キリスト教の原点に近い部分を見れば確かにユダヤ人達がキリストを磔にしなければキリスト教は広まらず、救いの意味はなかったでしょう。あと「ピラトによって無罪判決が出たとしたらどうなっていたのでしょうか」とありましたが、一応ピラトは民衆の前でキリストの無罪を主張しました。しかし民衆は憤って死刑を求めました。ピラトは諦めキリストをユダヤ人に任せ、結果的に十字架にかけられたのです。  例えピラトが無罪判決を下したとしても、結果的にはユダヤ人はキリストを磔にしていたでしょうね。当時のユダヤ人かなり強い信念のようなものをもっていたでしょうからそう簡単には引き下がらなかったと思いますよ。

  • 1katyan
  • ベストアンサー率18% (147/800)
回答No.5

まずないでしょう。そのように決まっていたからね。 しかし完全に有罪にしたわけではありませんよね。 イエスの決断に身を任せた。ということですね。 もし仮説がなりたっているならキリスト教はないでしょう 成就したから聖書はなりたっているんですよ

  • age1118
  • ベストアンサー率40% (219/536)
回答No.4

もしピラトが無罪にしても、ユダヤの上層部のものたちが、それを納得しなければ、何らかの形で殺してしまったと思います。裁判による処刑は、イエス殺害のための一手段に過ぎないからです。ですから、無罪うんぬんではなく、もしユダヤ民族に受け入れられていたら、という観点から考えるなら、イエスの教えは、「律法を廃棄するためでなく、成就するために来た」(マタイ5-17)と言われるとおり、ユダヤ教を飲み込んで、もっと早い時期にユダヤ教を民族宗教から世界宗教へと押し上げていたと思います。キリスト教は、世界的に広がるのに何百年もかかっていますが、その教えの本体が生きていれば、イエスの生前にその教えを世界的に広めることも不可能ではなかったかもしれませんし、キリスト教やユダヤ教の血の歴史もなかったと思います。ですから、ユダヤ民族は、キリストの教えを、世界的に広めるのを何百年も妨げてしまったと考えます。

  • truth77
  • ベストアンサー率37% (85/225)
回答No.3

>死刑にならず無罪だったらユダヤだけの預言者という思いが、やはり抜けないというのが本心です。 そうですか。。。 私はやはりユダヤの枠を越えて世界宗教になったと思うのですよ。。。 イエスの説いた「教え」は、「愛の教え」が主なのです。 たとえば旧約のモーセにとってエジプトは「敵」だった(人民を引き連れてエジプトを捨て、聖地「カナン」を目指したりしています)のですが、イエスは「汝の敵を愛せよ」と教えています。 モーセは「選ばれた民」ということで、選民思想を強く打ち出していましたが、イエスは神の下での平等を説いています。 こうした点を見ましても、イエスの説いた「教え」は、すでにユダヤの枠を越えていると思われるのです。 ご指摘の様な、「ユダヤだけの預言者」で終わってしまうほど程度の低い教えではなかったと思うのです。 私の発想はこういったことなのですが、先日も申し上げました様に、現在ほどのレベル(勢力)までに広まっていたかどうかはわからないですが、「世界宗教」と言われるレベルにはなっていたとは思いますよ。

  • truth77
  • ベストアンサー率37% (85/225)
回答No.2

「法を説くは師にあり、法を広めるは弟子にあり」という言葉が示します通り、キリスト教が世界宗教として広まった真の功労者は「弟子」であると思います。 では、イエスが処刑される以前の弟子たちの意識はどの程度のものであったのでしょうか? イエスには自分が捕らえられる日がわかっていましたので、前日の晩には弟子たちに、「起きていなさい」と言ってあったのですが、みんなしてグーグー寝ている始末でした。 また、イエスが処刑される段になって、一番弟子であったペテロでさえ、刑場で「イエスと一緒にいた男だ!」と指摘されると、「知らない!」と言って否定したくらいのレベルだったのです。 こうしたレベルの弟子たちが奮起したのは、無惨な殺され方をした後に起こった「復活」があったからではないかと思うのです。 処刑、復活といったセンセーショナルな出来事が身の上に起きて、初めて自分の主が「本物」だと悟った訳です。 しかしながら、イエスの復活が「肉体をまとっての復活」であったならば、それはキリスト教が唯物論に敗北したことになりますので、その様な安易な復活ではなかったと推測されます。 後にキリスト教布教の功労者となるパウロですが、直弟子のステファノを捕らえて、「改宗しなければ石打ちの刑に処す」と脅し、実際に殺害したのですが、死に至る最後まで改宗の意志を示さなかったステファノを見て、「恐ろしいまでの信仰心」を感じた訳です。 こうしたいきさつがあって「ダマスコの改心」に至り、キリスト教布教の功労者となって行くのです。 質問のように、こうした唐突かつセンセーショナルな最期を遂げることになる「処刑」がなかったとしたら、弟子たちが、これほどまでに真剣になったかは疑問の余地があると思います。 あんのんと「ユダヤの一預言者」として扱って、歴史の影に埋没してしまったかも知れません。 ただし、これは12弟子以上に増えなかった場合ですが、伝道期間の延長と共に、イエスの説く文学的で感性的な教えに対する理解者が増えて行くことも考えられます。 そうした道に進みますと、現在主流の「パウロ神学」に基づいたキリスト教ではなく、徹底した「愛の宗教」となっていた可能性が高いと思われます。 こうなった場合は、どうしても「伝道の意欲」が薄らいで来ますので、現在ほど広まっているかと言いますと、さほどでもない様に思います。 そうですね・・・「弟子たちの信仰心に火を付けた」という意味では良かったのかも知れませんが、救世主を屠(ほふ)ってしまうのは、最大級の罪であると思います。 事実その報いは、ローマ帝国によってユダヤ人国家が崩壊され、その後2000年近くも再建出来なかった「呪われた民」となってしまいましたね。 ですので、ユダヤ人に対しては、「キリスト教の功労者」とはお考えにならない方がよろしいかと思いますよ。

taicyan
質問者

お礼

情報有難うございました。小生のキリスト教の功労者という表現が良くなかったようです。しかし歴史にはもしは無いと言えばそれまでですが死刑にならず無罪だったらユダヤだけの預言者という思いが、やはり抜けないというのが本心です。

taicyan
質問者

補足

わかりよい説明有難うございます。でも、もし処刑がなければ今日のキリスト教はなくユダヤの預言者で終わっていた気がしてなりません。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.1

もの凄い仮説ですね.... こればっかりは想像しかできませんが、幾つかの選択肢 を考えてみました。 1.イエスがユダヤ人の王となる。 ちなみにユダヤ人の救世主観というのは、キリスト教のそれ と大きく異なっています。 彼らの信仰では、キリストはダビデ王(ユダヤ王国建国の祖) の座につき、滅ぶことのない王国を建設するという旧約聖書の 預言を信じていましたので、もしイエスを救世主であると ユダヤ人たちが信じ受け入れたならば、彼をユダヤの王と して推戴していたことでしょう。 新約聖書を注意深く読むと、イエスに心酔していた人たち の一部が、イエスを王にかつぎあげようとする動きがあった ことが書かれています。 当時のユダヤはローマ帝国の占領下にありましたが、ローマ の支配に対してユダヤ人には根強い反発がありました。 (映画『ベン・ハー』を見れば、その辺の事情がよくわかります) きっかけさえあれば、ユダヤ人は結束してローマに反抗した ことでしょう。 |イエスの死から数十年後、実際に大反乱が起き、それが |きっかけでユダヤ人は祖国を追われ、流浪の民となるの |ですが ただし、イエスがユダヤ人の指導者になって武力闘争への 道を進んだどうかについては、はなはだ疑問です。 右の頬を打たれれば左の頬も打たせ、上着を取る者には下着 も与えよという教えを残していますから。 後世のガンジーのように、非暴力運動をしたかもしれませ んが、想像の域を出ません。 2.ユダヤを離れ、ギリシャ・ローマへと宣教していく。 後に彼の弟子たちがそうしたように、ユダヤで受け入れられ なかったイエスが、ユダヤの外で伝道活動をした可能性も あるかもしれません。 これも新約聖書の記述によりますが、他のユダヤ人がイエス がギリシャに在住しているユダヤ人たちの元に行くのでは ないかという憶測を述べた箇所があります。 ただし、イエス自身はユダヤを離れることに否定的でした ので、実現の可能性は非常に低かったかと思われます。

taicyan
質問者

補足

仮説というのではなくして、もし死刑になっていなかったら今日のキリスト教はなかったはずだと思うのですが、こんな考えは不敬なことでしょうか、私自身よくわかりません。

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