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「市場(しじょう)」という言葉の定義について

中学生に経済の授業をする予定ですが、 「市場(しじょう)」という言葉を、どの様に 理解させるかで悩んでいます。 抽象的な概念で 黒板に 「市場・・・社会全体で、ある種類の商品が売買される場のことを全体的に「市場」と呼ぶ」 と書いてもいまいち理解させる自信がありません。 一応例として 日本車市場・テレビゲーム機市場の 話しをする予定ですが。 「市場(しじょう)」という言葉をもっと分かりやすく表現する方法は無いでしょうか?

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noname#22222
noname#22222
回答No.2

今の生産様式においては、商品を販売できるか否かが生産者の死活問題です。 また、ただ売れても利潤が発生しなければ、生産費が得れません。 生産物が売れて生産費が回収されることが再生産を支えます。 したがって、生産が発展していくためには、どうあっても販売市場の形成は不可欠です。 だが、国内市場にも限界というものがあります。 その限界を破るためには、外国市場への進出が必要となります。 先頃、ついに、自動車の海外生産台数が国内生産のそれを上回ったと報じられました。 この辺りは、生産と市場の関係を象徴する一つの出来事です。 と、まあ、かような市場に関する見方・考え方を前提にすれば、 「市場・・・生産の拡大・発展に不可欠な生産物を販売し利潤を得る場」 と定義できるでしょう。 *不可欠等の言い回しの修正は任せます。 *国語の授業ではないので、「経済学的に市場をいかに評価するのか?」が先にありと思います。

fuhaha
質問者

お礼

ありがとうございます >国語の授業ではないので、「経済学的に市場をいかに評価するのか?」が先にありと思います。 とても参考になりました。 どう伝えるかを考えているうちに、言葉の選び方 のみにこだわっていた気がしました

その他の回答 (7)

  • gootttt
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回答No.8

確かに『市場』って専門用語ですし、空を空としか言い様が無いように、市場は市場としか言い様が無い所がありますよね。 そこで一つアイディアがあります。 説明する際に『市場とは~』と説明するのではなく、市場の考え方や仕組みをじっくり説明した後に『これを市場というんだよ』と説明してみてはいかがでしょうか? つまり空を、『地上はるか上方の弧状の広がり』と教えるよりも、実際に空を指差して、『あれが空だ』と教える方が分かりやすいと思うわけです。 実際に二人で取引をさせた後、各々に売値と買値を持たせてクラス全体で取引をやらせてみれば分かりやすいのではないでしょうか?

fuhaha
質問者

お礼

ありがとうございました。抽象的な概念というより、私にとっては 「当たり前の概念」だったので中学生に理解させることに戸惑いました それはあたかも「赤い色は何故『赤』というのか」 という問いかけにも感じられて、難しく感じたのです。 回答いただいた皆さんのご指摘を参考に 授業はすばらしいものになりました。 ありがとうございました。

  • uni37
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回答No.7

 抽象的概念を理解してもらうのは、昨今大学生でもなかなか難しいようで、私の身近にいる先生方も苦労されています。  閑話休題。一つのやり方として、むしろ原点からきっちり説明するというのがあるように思います。たとえばこんな感じです。  市場の原点は、物々交換です。昔々、山に住む人が薪や炭をつくり、海辺に住む人が魚を捕っていました。山に住む人は魚を食べたいと思い、海辺に住む人には薪や炭が必要でした。そこで、時々山に住む人と海辺に住む人は集まってそれぞれのほしいものを交換しました。  魚がたくさんとれたときには、少しの炭や薪でも海辺に住む人はたくさんの魚を山の人にくれました。しかし、不漁のときにはたくさん炭や薪をあげても、少ししか魚をくれませんでした。  とはいえ、長い間の経験から、ふつうの時はだいたいどのくらいの炭や薪と、どのくらいの魚を交換すればどちらも損得がないのかはわかるようになっていきました。  こうした、交換のために集まる場を「市場(いちば)」といいました。そして、やがて交換のなかだちに貨幣(お金)が使われるようになると、もともと炭一山=アジ30匹だったものに、50銭といった価格(値段)がつくようになったのです。  もうちょっと実際はわかりやすくお話いただけると思いますが、発想としてはこんなところです。  ちなみに、経済学と経営学(特にマーケティング)の世界では「市場」という言葉の使われ方が違い、それが日常用語にも入ってきているので、そういうことも混乱しがちな原因かもしれません。  経済学の「市場」は、定義としてはすでにこれまで説明があったものですが、経営学の「市場」はおおざっぱにいって「共通のニーズをもつ(潜在的)顧客の集合体」という意味で使われます。経営学でも経済学的な市場の定義を前提としていますが、派生的な用法が拡大したのではないかと思います。  たとえば「若者市場」「日本車市場」などという場合は、むしろ経営学的な意味合いで使われることが多いのではないかと思います。  おそらく中学高校の教科書には経済学的な意味合いでしか使われていないと思いますが、実際に生徒さんが聞いて混乱しないようにするためには、こうした異なった用法があることにふれておいたほうがよいかもしれません。老婆心ながら付け加えておきます。  参考になれば幸いです。

fuhaha
質問者

お礼

市場の始まり とても参考になりました。 授業も無事終わりましたが 回答を参考に 密度の濃い授業になりました。

noname#44811
noname#44811
回答No.6

経済学になじみがない人に市場を説明するとき、僕はまず値段がどのように決まるか説明します。 そして、値段は生産者の都合だけによって決まるわけではないこと、どうように需要者の都合だけによって決まるわけではないことを意識させ、両者の都合によって決まることを考えてもらいます。 このとき、まず、魚市場をはじめとしたイチバの例を出し、具体的に需要者、供給者の双方の都合によって値段が決定していることをイメージしてもらいます。 そのあとに、ゲームのハードの値段について考えてもらいます。これも、需要者と供給者の都合によって値段が決定、そして変化していくことをイメージしてもらいます。 しかし、ゲームのハードの値段決定では、イチバとは違い需要者と供給者双方がお互いに直接出会って値段の交渉をしていません。 それでも、値段が決まっていることを意識してもらいます。 シジョウとは値段が決まる場という意味です。 イチバでも値段が決まるので、似ている意味です。 しかし、イチバでは需要者と供給者が直接出会っているのに、シジョウではその必要はありません。 本当は、シジョウをなじみあるイチバという言葉を使って説明したい。 しかし、それでは、需要者と供給者は直接あって値段を決めているものと考えられてしまう。 でも、実際は、ゲームのハードの値段のように、需要者と供給者が直接会わなくても、値段が決定、変更されることがあるので、イチバという言葉を使うのを避けてシジョウという言葉を使っている。 こんな風にして説明をしてみます。 理解が早い人でしたら、 シジョウというのは、需要者と供給者の情報をつなげる場であることも説明し、 シジョウがなければ、需要者の情報、もしくは供給者の情報が手に入らず問題が生じるということも説明します。 たとえば、シジョウを介さず政府が生産する場合、需要者(国民)がほしくないものを生産してしまいがちである。このことを非効率的な公共事業の例や社会主義経済の例をあげて説明してみます。

fuhaha
質問者

お礼

ありがとうございます。 授業は終わりました。 「ゲーム」というのが中学生には 馴染み深い例になったようです。

  • daisyan
  • ベストアンサー率46% (64/137)
回答No.5

申し訳ありません。 ↓No.4の「需要(売り手)と供給(買い手)・・・」は     「需要(買い手)と供給(売り手)・・・」の間違    いです。

  • daisyan
  • ベストアンサー率46% (64/137)
回答No.4

私も大学生(非経済学部)相手に、同じ悩みを持っております。 「需要(売り手)と供給(買い手)が出合う抽象的な場のこと」と言うのが経済学的な定義でしょうが、仰せのとおり「抽象的」の説明には苦労します。 私は、野菜市場も市場だが、他に労働市場、金融市場、外為市場といった例を挙げ、目に見えない市場もあるということを説明しております。

fuhaha
質問者

お礼

大学生でも理解しにくい現状を考えると 中学生には確かに厳しいかもしれません。 具体例を挙げる というのは参考にさせ て頂きました。

  • musokunin
  • ベストアンサー率24% (62/257)
回答No.3

  次のやうな説明でいかが。   賣り手と買ひ手が集まり、一つの商品の値決めをするところを、經濟學用語で「市場」と書いて、「シジョウ」と言ひます。   自分の持つてゐる車を賣りたい人、車を買ひたい人、その兩方を引き合はせ、賣りたい人の望む、賣り値と、買ひたい人の望む買ひ値を突き合はせます。賣りたい人が澤山ゐると、その中の安い賣り値をつけた車に買ひ手の關心が集まります。買ひたい人が澤山ゐると、その中の高い値を言ふ人に、賣り手の關心が集まります。一つの商品について、澤山の賣り手と澤山の買ひ手を集めて、その値段を競り合はせることで、「その商品の、その時點での、比較的に公平な値が決められる」ことが期待できます。   市場は、自然發生的なものもありますが、我が國のやうな高度に經濟が發展した國では、株式、外貨、野菜、魚類、工業原料、その他の大量に取引される商品については、嚴密に管理されて、取引結果が公に示される市場が發達してゐて、その取引價格は、新聞紙の經濟欄などに公表されてゐます。   車やゲーム機を賣りたい人が、友達や近所の人を集めて、値段を競はせて賣り買ひしても、また、大勢の賣り手と大勢の買ひ手を集めて、賣り買ひをしても、「それが一度限り」ならば、市場とは言ひません。市場で賣り買ひされる商品は、一定の手續を踏むなり、市場参加者を通すなりすれば、「誰もが、いつでも賣り買ひに參加できる」ことが重要です。

fuhaha
質問者

お礼

>「誰もが、いつでも賣り買ひに參加できる」ことが重要です。 参考になりました。説明に使ってみようと思います。 なぜか旧仮名遣いなんですね

noname#21085
noname#21085
回答No.1

市場【いちば】 (1)毎日または一定の日に商人が集まって商品を売買する所。生産物をもち寄って交換・売買する所。いち。 「魚―」 (2)小さな店が集まって食料品・日用品などを常設的に売る所。マーケット。 市場【しじょう】 (1)商品の売買が現実に行われる特定の場所。魚市場・中央卸売市場・証券取引所など。いちば。マーケット。 (2)商品としての財貨やサービスが交換され,売買される場についての抽象的な概念。国内市場・国際市場など。 (3)商品売買の範囲。

fuhaha
質問者

お礼

ありがとうございます。辞書検索ですね。 「商品としての財貨やサービスが交換され,売買される場についての抽象的な概念。国内市場・国際市場など」 どうも中学生には「抽象的な概念」の理解が難しいように感じられます。 如何に咀嚼した言い方に直せるかが私の課題なのでしょうが・・・。 他の辞書には「不特定の売り手と買い手が取引していると想定する抽象的な場」という表現も見つけましたが 白紙の中学生にどこまで、実態を持って掴ませられるか・・・。頑張ります

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