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ホトトギス

nyakahjiの回答

  • nyakahji
  • ベストアンサー率44% (4/9)
回答No.4

ホトトギスとカッコウが混同されていたという確証はありません。 両者が混同されていると考えられている原因は「郭公」を音読みすれば「かつこう」だということが証拠とされています。 ホトトギスの表記として「郭公」が使われたのは両者が混同されていたことを意味しているのではなく、単なる誤用なのではないかと思われます。 中国の使い方に従うならば、ホトトギスは「杜鵑」「子規」「不如帰」「蜀魄」などと表記されねばなりません。 しかし平安時代の辞書(『新撰字鏡』『類聚名義抄』など)、を調べてみると「杜鵑」は「くまたか」「よひことり」と訓まれており、「ほととぎす」とは訓まれていません。 そして、ご存知の通り「郭公」はカッコウに使うべき表記のはずなのに、ホトトギスの表記として使用されました。 つまり、「杜鵑」も「郭公」も誤用されていたと考えられます。 こういった誤用の例は、中国ではナマズを表す「鮎」を「あゆ」と訓むとか、コウライウグイスを表す「鶯」を「うぐいす」と訓むといったものがあります。

k-saburo
質問者

お礼

ありがとうございます。 「杜鵑」は「よひことり」と訓まれ→「よぶこどり」であればカツコウことのように思えます。 いずれにしても、鳥を混同したのではなく「言葉」が誤って使われたという ことなのですね。 古今集では「山郭公」→ヤマホトトギス  「郭公」→ ホトトギス      「時鳥」 →ホトトギス   新古今集では 「ほととぎす」                  が多く見られます。      「呼子鳥」→カッコウ      「呼ぶ子鳥」→カッコウ はホトトギスの 1/10~20位です。  

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