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勝ち組、負け組について

 勝ち組というのは どの産業の事を示しているのでしょうか? また負け組みというのは、派遣社員のことを示しているのでしょうか?  マスコミは、裕福層ばかり褒め称えていますが これらのことをはっきりさせていないように思えます。

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  • ベストアンサー
  • Willyt
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回答No.3

勝ち組負け組は企業にもあるし個人にもあるでしょう。要するにバブル崩壊後には経済再編が行なわれました。これに巧く乗ることができたのが勝ち組で、巧く乗り損ねた企業や人を負け組と称しているのです。  しかし、これは1,0で簡単に分けられるものではなく、その度合いはアナログ的に連続している筈です。そうは云っても人間社会の中では常に勝ち組と負け組が存在するのは事実で、これをなくそうとしたのがマルクス・エンゲルスでしょう。平等な分配を理想としたのですが、その壮大な実験はソ連の崩壊という形で結果が出ています。  マスコミが富裕層ばかり褒め称えているというのはむしろその逆だと思いますよ。負け組はいわば自己責任で、自業自得なのです。それがあたかも世間や政府が悪いせいにしている傾向があると私は見ています。  私は格差の存在は決して悪いものではないのですが、一度下の方へ転落したらそれでおしまいという傾向が日本の社会にはあるので、これを是正し、努力すればまた這い上がれる機会が方々に設けられているような社会にすることが大切なのではないかと考えています。  失敗を人のせいにして罵り合うことの中からは何も生れて来ないと思います。貧困から脱出するのはやはり自助努力ですよ。その機会を与える努力をするというのなら私も大賛成です。

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回答No.2

この「勝ち組・負け組」と言う言葉が、私は虫唾が走るほど嫌いなんですよ。 金持ちなら勝ち組か?金が儲けられなければ負け組みか? 「その人生を送っていて幸せかどうか?」という、何より大事な観点はどこにある? また、今まで日本は世界に冠たる平等大国でした。今でも「全人口を収入の順に並べて、それを人数で5等分し、一番上と一番下の収入の差を比べる」という計算方法で「平等度」を算出したら、先進国中で一番差が小さいという結果が出ていたと思います。 高額所得者はがっぽり税金を取られ、一方で税金を払わなくていい人がかなりいる。こんなものを「格差社会」といったら世界で笑われますよ。 「マルクスと、ケインズが、あの世で酒を酌み交わしていた。それぞれの理論を、最もよく体現した国はどこか、という話になったとき、2人は同時に『日本』と答えた」 というジョークがあるくらいです。 能力がある人が、「本人が金を儲けたいなら」能力を使って儲ければいいのは当たり前だし、「能力のない人間が」金を儲けられないからといって社会のせいにするのは筋違いです。 何らかの事情によって生活するに足るお金を稼げない人を「おまえには能力がないのだから」といって切り捨てるのは間違っていますが、それは「能力のある人が、能力と努力に応じた報酬を得られる世の中」を作った上で、修正課題として取り上げるべき問題だと思います。 「勝ち組・負け組」と並んで、最近良く聴かれる言葉に「セレブ」があります。身近なある人が、「最近テレビで取り上げられてるセレブに本当のセレブはいない。全部モドキだ」といいました。言い得て妙だと思いました。 テレビで取り上げられる「セレブ」は、金がある、家が豪華、調度品が立派、それしか言いません。本来「セレブ」がもつべき、教養、品性、そういったものはどっかに行っています。たまに「お嬢様が有名大学に行っていて外国語がぺらぺら」なんて言ってますが、そんなものは教養に入りません。 そしてまた、一方で、日本人の標準を決めたい、なんて傾向(テレビとか雑誌の特集)も多いと思いませんか?貯金の額、年収、果ては今まで付き合った異性の数からファーストキスの年齢まで、そんなものを知ってどうするの?という「日本の平均」への興味が少なくない。 今まで日本人は、みんな同質であることに安住してきました。同じ大学を出て、同じ会社に入り、同じように仕事をこなしていれば、同じように出世して同じように給料が上がって行ったのです。 そこに「能力のある者こそ稼ぐべきだ」という資本主義の当然の理屈がついに入ってきた。まだ大した格差社会になってもいないのに、格差社会の予感におびえ、「日本人の平均」を調べて、ああ俺も平均の範囲内だ、と安堵しつつ、一方で「セレブ」を「金を持っているだけの人間」と宣伝して「あいつらも金があるだけで俺らと一緒だ」と安堵し、また逆に低所得者に対しては、本人は満足しているかもしれないのに「君たちは負け組にされてしまった!社会が悪い!政治が悪い!」とプロパガンダし憎悪を駆り立てる。 そこにあるのは「同質であること」を、無条件でよしとする人々、ニーチェの言葉で言う「奴隷」であり「畜郡」です。 他の人にこの生き方を押し付ける気はありませんが、同質であることに毎日汲々として、ちょっとでも違わぬように全神経を使うような生き方をするくらいなら、私は喜んで負け組に転落します。そして、勝ち組にも「畜群」にも理解不能な人生の喜びを見つけてやります。 質問者さんの質問に対するお答えとしてはやや不適切だったかもしれませんが、勝ち組・負け組なんて言葉は、そういう社会において、なんとなくのイメージを作り出すためだけに使われる空虚な言葉だと、私は思います。

noname#19052
noname#19052
回答No.1

勝ち組って、経済的に裕福な方を指してるのだと思ってました。 雑誌プレジデントに特集してあった記事によれば、 一個が何十万もする個性派の時計を気軽に買ったり、長期の休みには海外旅行に行けたり、子供を中学から私立に入れたり。 そういう経済的な余裕のある人達、年収が30歳で700万円以上あれば勝ち組に入れてもらえるのかもしれません。 一方、負け組みは年収よりも支出が多い。 収入だけではとても生活できないとか、住宅ローンでボーナスがほとんどなくなるとか、とにかく一円でも安いものを買わなければ生活できない人達でしょう。 同じ派遣社員でも高額な年収を稼いでいれば勝ち組。 スキルもなく厳しい労働条件に耐えていれば負け組み。 産業や職種というよりも、 個人の年収の高さ=成功度=勝ち負け だと思います。 しかし、勝ち負けよりも問題になっているのは、個人の収入の格差が大きくなってきたということです。 私の子供の頃はみんな中流だと思っていた。 みんなが同じような経済感覚だった。 ところがこれからは金持ちか貧乏のどちらかに別れる。 しかも経済力の差は個人の能力差だ言われれば、貧乏人は無能とみなされかねません。 そういう世の中になってきたなんて恐ろしいことです。

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