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古事記や日本書紀の材質

表題の通りなのですが、ふと疑問に思いました。 古事記や日本書紀の材質は木簡だったのでしょうか。 それとも紙だったのでしょうか。 時代的には紙が使われていてもおかしくはなさそうですが。。

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  • sinar
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回答No.3

原本が確認されていない(失われた可能性が極めて高いですが)ため「○×です」とは言えませんが、ほぼ紙に記されていたものと言って良いと思います。おそらく巻子(巻物)の形で記されていたのだと思います。現在残る日本書紀の最も古い写本は、奈良時代末~平安時代初期に写されたもので、それもわずか数ページしか残されていません。また古事記の場合はもっと時代が下り、南北朝時代のものしか残っていません。 現在日本最古の「紙に記されたもの」としては、東大寺正倉院に伝えられている「正倉院文書」と呼ばれている文書群の中にある、「御野国加毛郡半布里戸籍」などです。これは702年に御野(美濃)国が作成し、政府に提出された住民台帳なのですが、日本書紀完成の約20年前のものに当たります。 また当時の法律である律令には、図書寮と呼ばれる役所に「造紙手」を置くことが規定されていたり、税物に紙があったことからも、紙の普及の度合いを知ることができますね。 もちろん紙は高級品でしたから、紙を使う状況は行政文書や経典など極めて限定されていたと思います。不要になった紙の裏を用いる「反古紙」の使用はごく当たり前の話で、寺院などでは政府から不要になった文書を払い下げてもらい、その裏を自分のところの事務文書用紙として使っていたりもします。 ちょっと脱線しました。

WOc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 記紀より前の紙文書が判明しているんですか! それなら紙の可能性が高いですね。 撰上は確か巻の単位だったと覚えていたので、 それなら木簡とか竹簡などの可能性もあるのかと思っていました。

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その他の回答 (3)

  • o24hit
  • ベストアンサー率50% (1340/2646)
回答No.4

 こんにちは。  「古事記」は712(和銅5)年に、「日本書紀」は720(養老4)年に完成したとされています。  で、日本で紙づくりが始った時期について、「日本書紀」では「推古天皇18年」(610年)に、朝鮮・高句麗から僧侶曇徴(どんちょう)が来朝し、中国の紙漉き技術をわが国に伝えたと書いてありますから、個人的には紙に書かれていたと推測するのが、つじつまが合うと思います。  木管は荷札にも使われていたぐらいのものです。それに比べて両書は国書ですから、いくら貴重であったとしても奮発して「紙」に書いたと思います。

WOc
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 観音経が先日出土しましたが、 そのうち、記紀の下書きの木簡が出土でもすれば面白いと思ったりしてます(笑)

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回答No.2

日本書紀、古事記ともに原本は失われているため、何に書かれていたかはわかりません。 一般的には木簡は行政文書に使用されていたようですし、法隆寺の「聖徳太子直筆の書」と伝えられる文書(真偽については別にしても)が紙であるようなので紙に書かれていた可能性は高いと思われます。

WOc
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 先日No1の方の時と同じタイミングで お礼を書いたのですが、 反映されていませんでした。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

たぶん紙だったでしょう。 紙は貴重だとはいえ、これらの編纂は国家的事業でしたから。 その時代でも使い捨てのものは木簡のようですが。

WOc
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大宝2年の戸籍が紙に記録されているようなので、 私も紙かなーとは思うのですが、 編纂時は木簡資料という文をどこかで読んだ記憶があり、 確証がなくて(笑)

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このQ&Aのポイント
  • 金属メッキされた部分が無くなってしまい、温めても上手くはんだが付いてくれません。
  • この状態から復帰可能でしょうか?
  • Keyball61という自作キーボードの基板です。
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