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日本書紀は、古事記について言及していません。なぜ?

古事記の序を信じれば、その成立の経緯は、天武天皇の命で編纂したもの、とされています。稗田阿礼が誦習していた天皇の系譜と古い伝承とを、太安万侶が書き記し編纂したもの、とされていますね。 天皇の命ですから、公のもの(大げさに言えば、国家事業)ですよね。 しかし、日本書紀は、古事記について言及していません。なぜでしょうか?

  • 歴史
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  • TANUHACHI
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回答No.3

 簡単に言えば、『古事記』と『日本書紀』では書物の性質が異なるからです。『古事記』は天皇氏なる一族の系譜を創世の物語として伝承された(殆どは当時の作り話である)口誦を文字に記した書物であり、一方の『日本書紀』はその編纂者も異なります。この編纂を主導したのは当時の政権中枢部にいた人物であり、それは藤原一族による政権維持を正当化する目的が背後にあったことも確実であり、また「国家の正統な歴史」を記すとの意味での編纂事業です。  ですから、律令国家と天皇氏の歴史は必ずしも等号で結ぶことができない、との話になります。『書紀』が『古事記』と異なる部分は「記述の仕方」にも顕著に示されています。  一代の天皇の治世下で「どの様な事象があったか」を時系列的に記述している。こうした意味で史書と呼ぶことも可能になります。  けれども『古事記』の殆どは物語や古代歌謡による記述です。そうした部分からは史書とは評価しがたいとの見解もあります。  僕自身は『古事記』はデタラメの巣窟であり、『日本書紀』にもあやしい部分がかなりあるとの立場です。他の史料との整合性が確認できなければ、それは史料としての価値はないに等しいとなります。

park123
質問者

お礼

早急な回答ありがとうございました。 古事記と日本書紀とでは、性質が異なるのですね。 <『古事記』は天皇氏なる一族の系譜を創世の物語として伝承された(殆どは当時の作り話である)口誦を文字に記した書物であり> 日本書記は、 <「国家の正統な歴史」を記す> ということですね。また、 <「記述の仕方」> も異なっているのですね。 日本書記は史書であり、古事記は、 <物語や古代歌謡> ということですね。

その他の回答 (4)

  • TANUHACHI
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回答No.5

 先日は「物語と歴史」に関する少しばかりの違い、関してお話ししましたが、今回は少しばかり掘り下げてみます。  具体的に申しますと、「歴史学」それも文献史学からのスタンスです。早速始めます。『日本書紀』には「それに関する注釈書」も存在し、鎌倉時代の『釈日本紀』がその代表例です。他にも平安時代の『日本書紀私記』があります。  なぜ公式史書にこのような注釈書があるのかとの問題を立てるなら、少なくとも二つの答が成り立ちます。 (1)対象となるテクストそのものが「成立当初から既に改竄されていた可能性」もあり、それを検証する (2)対象となるテクストの原本が散佚したり写本の際に誤写や誤記があるなどの可能性 更に「注釈の対象部分」と「注釈を担当した者のイデオロギー」によっても、原本から更に意図的に改竄している可能性もあります。  『日本書紀』の成立事情からいえば、少なくともそれが「国家的イデオロギーの形成」並びに「権力者の有する政治力の正当化」が背景にあることだけは間違いなく、それが平安末から鎌倉期に注釈書が編纂されたことを勘案するなら、「オオヤケなるもの」の再構築と理解することも可能です。そのため『釈日本紀』の編纂は占部神道の神官でもある家柄の占部兼方であることも納得できます。  彼がこの書物を編纂するにあたって引用元としたテクスト群を調べるとわかりますが、『上宮記』『先代旧事本紀』などやはり神道及び神道関係者が重視する史料群が並んでいます。  彼が「公式に対する注釈書」にこだわった理由はこうした部分からも明らかであり、それは少なくとも「権力の正当化」と解釈することは他の回答者の方々とも一致します。  と同時にこれらの時代にもうひとつ「再編および再構築された人物像」があります。いわゆる「聖徳太子」なる人物ですが、実際にこの人物が「この名前で」『書紀』に記されている部分は一ヶ所もありません。この名前は諡号といって、その人物の評価をベースとして死後に追号される形で使われています。  ということで、「国家的イデオロギーの再構築」と「古代的国家の形成に関与した人物」の二つの要素を基軸としてこれらの注釈書が作られたことも合わせてかんがえる必要もあります。    一方の『古事記』ですが、これはもそっとわかり易い構造になっています。こちらの注釈書群を見ますとやはり『先代旧事本紀』の名前が出てきます。他にも宣長による『古事記伝』あたりは有名なところですが、この宣長の注釈書は少し性質も異なり、日本語研究の上では評価される部分も相当にあります。  少なくとも『古事記』は天皇家の物語であり、それは天皇の正当化を立証するための目的として編纂されたことをかんがえねば、他の事象を説明できなくなります。  一方の『日本書紀』はパーソナルとしての権力者ではなく、「権力装置としての国家と権力組織の正当化」を目的としていることを先ずは念頭に置かねばならない。  だから前者は物語であっても、それは史実とはかけ離れた部分に紙幅を割いているともいえます。逆に後者では少なくとも二種類の日本語が使われていて、一方は公式文書としての性質を示す「漢文体」もう一つは「宣命体」と呼ばれる「音声に記号としての文字をあてた文体」を混在させてもいます。  

park123
質問者

お礼

再度の回答痛み入ります。 今回は注釈書を通して、記紀の分析をして頂きました。注釈書によれば(現在の我々のとらえ方とは別に)編纂時期に近いため、編纂事情が明確に誤りなく理解することができるのですね。 日本書紀は、単なる史書ではなく、 <「権力装置としての国家と権力組織の正当化」を目的としている> のですね。 一方、古事記は、 <天皇家の物語であり、それは天皇の正当化を立証するための目的として編纂された> なのですね。 詳細に説明して頂きました。(猫に小判にならないように、これからも何度も読み返します)

回答No.4

そもそも日本書紀と古事記は役割が違います。 日本書紀は当時の朝廷が意識していた中国大陸の王朝の文法ルールに従った記録で対外国向け。 一方古事記は国内の各豪族向けです。 正史の編纂には必ず動機があります。 当時の為政者が自分達の立場を正当化するために作られるのですから、イイ顔をしたい相手別に作られても不思議ではありません。 近世の沖縄に到っては対中国、対日本(対薩摩とも言える)、対国内向けに3パターン作ってます。 国内向けの「球陽」は制作当時機密文書扱いだったそうです。 読み比べると微妙に記述が違ってて面白いです。

park123
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 <イイ顔をしたい相手別に作られても不思議ではありません。> そうですね。編纂する動機が、対外国向けと対国内豪族向け、とに分かれていたのですね。私も報告書を作成する際には、相手の顔を思い浮かべて、すこしはイイ顔ができるよう内容を考慮しています。 沖縄の件は興味が惹かれます。沖縄は、地理的に微妙な所に位置しているため、住民はご苦労をしたのだし、今もしているのですね。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.2

>古事記の序を信じれば、(略)天武天皇の命で編纂(略)古い伝承と(略)編纂したもの その通りですね。 が、同時に「漢字では、記録できない」とも序に書いていますよ。 曰く「音読みで書くと、伝承の意味が伝わらない。訓読みで書くと、文字が長くなる」 つまり、読み方と漢字の意味は「全くの別物」という事です。 八雲と訳されている文字。古事記では、「夜久毛」と記載。日本書紀では「夜句茂」と記載していますね。 同じ地名ですから、双方共に「八雲」と書けばいいのです。 伝承は、漢字では表す事が出来なかった証拠です。^^; >天皇の命ですから、公のもの(大げさに言えば、国家事業)ですよね。 国家的事業と言うよりは、時の権力者の正当性を表す事に重きを置いたに過ぎません。 勝者の歴史が、正史となりますから・・・。 >日本書紀は、古事記について言及していません。なぜでしょうか? 日本書紀は、百済の王子である中臣(藤原)鎌足一族の正当性を記載した書物です。 天智天皇は、中臣(藤原)鎌足を重用し「(滅亡した)百済系の亡命者を、政治の中枢にすえた」ので有名です。 古事記は、天武天皇ですよね。 教科書では、天智天皇の弟となっていますが「実際には、何ら血縁関係は無い」との説が有力です。 年上の弟は、存在しません。何故か「天智天皇は、実の娘を4人も、天武天皇の嫁」としていますよ。 天智天皇(中大兄皇子)は、天武天皇(大海人皇子)を恐れていた証拠とする方もいます。 つまり、天智天皇と天武天皇は「別系統の血筋」なのです。 事実、天武天皇系の天皇は「天皇家菩提寺(泉涌寺)に、位牌が無い」です。 ※継体天皇以降は、万世一系と主張する方々は「この事実を封印」しているます。 確か、天智からすぐに光仁・桓武と続き「天武系は存在しない」と聞いた事があります。 つまり、古事記と日本書紀は「全く別の権力者が中心となって編纂した」という事になりますね。 敵対する勢力同士ですから・・・。 以上、文部省非公認の説明でした。 信じるか否かは、質問者さま次第です!

park123
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございました。 <時の権力者の正当性を表す事に重きを置いた> ということですね。古事記は、天武天皇系であり、日本書紀は天智天皇系であり、 <「別系統の血筋」> なのですね。したがって、日本書紀は、政敵の古事記を抹殺しているのですね。 万世一系も、無理した主張なのですね。

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.1

門外漢ながら、古事記以外のものについては言及していましたっけ? 国家事業で作られる正史の日本書紀が、それぞれの豪族が勝手につくっている各家に関する個人的な記について言及する必要があるかどうか、というところではないでしょうか。 あと個人的には、古事記のほうが完成は早いものの、作り始めたのは日本書紀のほうが早かったのではないかと思っています。

park123
質問者

お礼

早急な回答ありがとうございました。 古事記は、 <各家に関する個人的な記> ということですね。従って、序に記載されている天皇の命とは、誤り・偽りであるということですね。 次に、日本書紀の方が、今の言葉で言うと、資料・原稿の締め切りが早かった、ということですね。

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