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ニートは問題?

ニートといわれる人が増えている社会現象は、どう問題なのでしょうか? ニートの人たちが増えると社会はどう問題なのでしょうか? 直感的に考えて、あまり健全なことではないと僕も思いますが、よく分かりません。 他人がどうこういうことじゃないというか。。。

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回答No.6

「ニート」という言葉を日本に紹介した玄田有史さんは、↓の指摘をされてます。 http://www.genda-radio.com/blog/archives/2005/10/post_68.html 長引く不景気が、↑を加速させているのでしょうか。 ↓の指摘も興味深いです。 http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1570102516/E1313323945/ ちなみに、“働かざる者食うべからず”は、社会主義の原則です。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1256667

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございマッスル。 教えてくれて嬉しいです。こんなページあったのですね。できるだけまめにチェックしたいと思います。 ちなみに、下のお礼にも書きましたが、僕の中では、働かざるもの食うべからず、は理屈を越えたところにある人間の根源的な定理となりました。

noname#32078
質問者

補足

またここに書いてしまいますが、僕の場合は、働かざるもの食うべからず、といっても、それは働かないのもそれはそれで辛いことだと思うからです。やっぱり働かないより働いている方が心が健やかでいられると思います。 別に自分は働いているのに、ただ飯食う奴がいると思うと腹立つ、ということではないです。

その他の回答 (11)

回答No.12

>僕は競争の過剰がやる気を喪失させたんだと思います 日本は資源の無い国です。無から有を生み出す為には何が必要でしょうか? >他人がどうこういうことじゃないというか。。。 無気力な人が集まってどんな社会が出来るでしょう。 小さな国・・って言いますが、資源も無く資質も無く 無気力な人間の集まりなら、かなり悲惨な生活になるでしょう。 今がよければそれでいい・・そんな考えはあまりに無責任ですね。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 社会というのも漠然とした言葉なので、「ニートのような人たちをなんとかしなくちゃならん。やる気に満ちた人が多い健やかな社会の方がいいよね」という意味では僕も社会の問題だと思っています。 だけどやっぱり働いている人がニートの人を断罪する権利を持っているかのように責めるのは違うと思います。国家の将来を盾にニートの人を責めるのは違うと思います。他人がどうこう言うことじゃないというのはそういう意味で僕は用いました。ニートの人だってただ飯食っているなどということは人から言われなくても自分が一番分かっているわけで、それを改めて指摘されたぐらいで働き出せるなら誰も苦労はしないと思います。ニートの人も本当は働きたいはずです。ニートの人たちでもやる気が出てくるような社会にしなければいけないと思います。 というわけで玄田さんの「仕事の中の曖昧な不安」という本を買って読んでみました。他の本はまだ文庫になっていないようで高くて買えませんでした。この本を読んで分かったのですが、ニート問題は間違いなく行政の責任です。まあ行政の人もそんなに頭のいい人達じゃないだろうから、事前に防ぐのは無理だったかもしれないけど、これから対応しないといけないのは行政だと思います。 あといろいろ言いたいことはたくさん出てきたんですが、ここは意見を表明する場ではないらしいので、このへんにしときます。回答をくれたみなさまありがとうございました!

回答No.11

No.9 です。 > でも、やっぱり働かない人が増えた時、GNPが減った時と言い換えてもいいですが、社会がどんな風になるのか、どんな風な問題となるのか、いまひとつイメージできません。いろんなものの値段が上がったりするのでしょうか? それは程度によりますが、最悪の場合はそれこそ、日々食うものも手に入らない状態になります。 現状でも、日本の食料自給率は40%、自分たちの食べるものは、自動車やら家電やらを作って、外国に売ってそれで得たお金で買っているわけですが、すなわち、日本人は自分たちの働きで海外にこういったものを提供することで、海外から食料をもらっているわけで、働かなければ食べるものすら手に入らないことになります。 国内に限っても、われわれの日々食するもの、それを育て、加工し、流通させるだけでもたいへんな労力が必要なのですが、これらは「労働」によって支えられているのです。 医療、福祉もそうですし、身の回りの鉛筆一本に至るまで、誰かの労働により生み出されたもの。労働する人が減るのであれば、われわれが得るものが少なくなるのか、その分働く人にしわが寄るかなのです。 われわれは現在、世界的に見てもかなり恵まれた生活をしているといえるでしょう。多少ニートが増えた程度では、「世界標準」に少々近づくだけやもしれませんし、適当なところでバランスする可能性も無いわけではありません。ですが、それがどこまで行くのかは誰にもわからないし、いよいよまずいと思ったときにブレーキをかけはじめたところで、すでに遅いかもしれません。 まぁ、ニートをほっておいたところで、そのようなしくみで自然と日本の経済が崩壊し始めれば、自然と人口が減り、もちろん、農業の生産性も大きく低下するでしょうが、それを補う程度にさらに人口が減れば、いずれ食料の自給率も上がってゆくでしょうし、世界各国から援助も来るでしょう。そして、そこまでゆけば、いくら鈍感な人々でも働かざるを得ないことがわかるでしょうから、自然と「解決」してゆく問題でしょう。それも、市場原理の一つかもしれません。 でも、そういう「解決」を望まない人はまだ多いのです。「他人がどうこういうことじゃない」などといっていられるのは今のうちだけ。ほっておけばほっておいたほうにもしっぺ返しが来るのはかなり明らかですから、多方面でこれを問題にしているのです。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。僕は市場原理でいい具合のところに落ち着くと思います。(市場原理に任せた結果今のような国になったというようなことが、このあいだ紀伊国屋書店で立ち読みした『国家の品格』という本に書いてあったので、市場原理という言葉もあやしい気がしますが今は簡単のため追及しない) No6の人が紹介してくれた玄田さんのHPの新作のところの「関西こども文化協会」の文章は、僕はとっても理解できました。さすが日本のニート問題の第一人者でした。僕がニートの人を説教するテレビ番組を観ていて感じた違和感を玄田さんはとっくの昔に指摘していて、そのことをこそ世間に向かって理解してもらおうと活動しているようです。 僕が、社会にとって何が問題か?という風に質問してしまったので、それに対する回答をみなさんは入れてくれたんだと思います。みなさんいろいろな回答をありがとうございました。今のところの僕の思いは、やっぱり社会にとってはそんなにたいした問題ではない、という感じです。今にして思えば社会にとって何が問題か?というのは、僕が本当に知りたかったことを的確に質問していないので、質問の仕方を間違えたと思っています。ごめんなさい。

回答No.10

>ニートのような考え方の人たちが、もっと増えて全体の20%とか、極端にいえば50%を超えるようなことがあれば、企業がニートのような考え方をする人に合わせなければならないと思います。 現在でもその問題は起きています。企業側に、ニートのような人が入りやすい体制を既に求められています。今後の労働力の減少を考えれば、早かれ遅かれそのような問題に直面すると思います。 しかし、「働きたくない人」の為に企業があわせるというのはどう考えても健全なことじゃないと思います。企業努力とは別のところに注力されるべきです。仕方ないですが。 >それから国の生産力が落ちて何が悪いのか?というところが僕にはよく分からないんですよね。 単純に言うと、国が貧乏になるということです。今享受しているものが受けられなくなるかもしれない。ということです。 日本は極めて資源の少ない国です。資源は外国から買う必要がありますが、国が貧乏になれば資源を買うことができません。必要なものが買えないのです。また、貧困が進めばホームレスの増加やストリートチルドレンの出現、社会格差の拡大などの問題も、極端に言うと生じる可能性があります。 また、労働力が減少すると海外からの出稼ぎ労働者を積極的に採用する必要があります。それはそれで悪いことではないですが、それが進むと日本もアメリカのような多国籍な人々で溢れ、日本らしさを失っていくことにもなります。 ちなみに少子化が問題なのは、ずっと少子化が続けば民族が途絶えるという大きな問題と、子供は減っても、中高年は急には減らないということです。 つまり、少数の人々で多数の年寄りを養うという逆ピラミッドの構図です。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 韓国は日本より人口がだいぶ少ないと思いますが、ちゃんと国として成立しているので、人口が少ないこと自体は問題ないように思うのですが、過渡的な問題として、逆ピラミッドの問題は確かになんとか解決しないといけない気はしました。 これが過渡的でなく、日本人が消滅したら確かにまずいですね。まずいというか悲しい。最後のトキとか最後のゾウガメみたいに保護されるんでしょうか。 日本らしさを失うのも悲しいですね。僕は平安時代とか和歌とかが好きなのですが、現代の東京の高層ビルなど既に日本らしさが失われていてあまり好きじゃありません。(←これは余談かもしれない) 僕が思うには(というか僕は)、働く気力が喪失したのは、空虚な消費が肥大化しているからだと思います。ただ自社の商品を売ればいいんだという考えに虚しさを感じるんだと思います。消費を煽ってお客の財布からお金を盗む。1年前の商品はもう古いと宣伝する。でもホントはちょっと変えただけ。それをさもすごい進化のように宣伝する。それでライバル会社よりちょっとでも多く売る。どんなせこい手段でもそれをマーケティング戦略とかって横文字にすれば、なんかビジネスをしているみたいだ。でもなんかアホらしくないか?いい大人がすることか?これが企業努力か?その時の気分によってはそういうことを面白く感じる時もあるとは思う。商才のある人というのはそういうことをずっと面白いと感じて追求できる人なのでしょう。でもそんな人ばっかりじゃないし。かといって警察官とか看護婦とかちゃんと意味のある仕事に就くのも簡単じゃない。だったらどうすりゃいいんでしょ?という感じだと思います。働くということが、自分に出来る範囲の与えられたノルマを毎日きっちり達成して、あー今日も働いた、といって充実感を得る感じではないと思います。とうてい出来るはずもないノルマを与えられて疲弊していく。(←単に僕の愚痴を書いただけみたいになってしまった。すみません)

回答No.9

とにかく、「ニート」が増えるとどうなるか、という点に限って申します。その他、たとえば原因については一切触れません。話が発散しますから、質問者様もその辺には意見されように望みます。 よく誤解されているんですが、経済活動というのは、簡単に言えば、1000円の価値あるものを、800円で売ることによって成り立っています。(逆ではありません。) たとえば商店主は、品物を仕入れ、それに利益を乗せて売って生活しています。先ほどの話と逆だと思うでしょうか。そうではありません。卸売業者が、商店主に1000円で売れるものを、800円で提供しているので、商店主は商売が出来るのです。商店主も、商品を右から左へ流しているわけではありません。商品を店舗に陳列し、お客が必要とするときまでその商品を店舗に保管し、必要に応じてお客に商品を説明したり、その商品に、お客が払うお金以上の価値を与えることによって、初めて商売になるのです。これを「付加価値」といいます。なお、一国のその総計を「GNP(国内総生産)」といいます。 「労働する」ということは、己の時間を雇い主(もしくは顧客)のために差し出し、ちょっとだけ自分の身を削り、相応の体力と知力とを相手のために提供することです。その対価として、給料というものを手にします。 労働者は給料を使って削られた体力を回復しますが、それで少々余った給料で、ささやかな幸せを買うわけです。 大事なことは、社長でさえ、100万円分の働きをしてもそれをすべて自分のものにすることはできず、その一部だけをもらえるに過ぎないということです。あなたが1000円出して買うものは、あなたにとって1000円以上の価値があるから買うわけです。もちろん、買占めや押し売りなど、そうでない場合も無いわけではありませんが、だからこそそれは法律で規制されているわけです。 それがニートとどう関係するかというと、労働というのは、それ自体が何かの「価値」を生んでいる、ということです。労働するということは、それ自体が社会に貢献しているということです。われわれが生きてゆけるのは、そう意識していないとしても、だれかが生んでくれた「価値」に支えられているのだということです。そして、そういった「価値」の生産がなければ、現代社会自体が成り立たないということです。 今の時点では、ニートが多少増えたところで、経済活動が破綻することは無いでしょう。ですが、ニートはその存在が「価値」を生み出すことはありません。結局のところその数と時間の問題でしか無く、いずれ、ニートが増えてゆくと経済に深刻な影響を及ぼすことが十分に予想されているので、問題となっているのです。 今、ニートが増えていることを問題視しないということは、収入がどんどん減っていても、まだ何とかやっていけるから、そのうち何とかなるだろうとか思って問題にしないのと大して変わらないといえます。経済学の基本から見れば、これが由々しき問題であるのは疑いようもありません。日本国憲法にも、「労働」は国民の義務とされています。 いろいろな言い方がありますが、ニートの問題点はこんなところでしょう。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 僕は働いている方が本当は心が健やかでいられるから、働くのは義務だと思ったのですが、それだけじゃなくて、経済の面から見ても、働かない人が増えると国家が破綻してしまうということですね。だいぶ分かりました。ありがとうございます。 でも、やっぱり働かない人が増えた時、GNPが減った時と言い換えてもいいですが、社会がどんな風になるのか、どんな風な問題となるのか、いまひとつイメージできません。いろんなものの値段が上がったりするのでしょうか? 小規模な国になろう、というのではダメなのでしょうか?(これは僕が少子化のことが問題と思えないこととも関連します)

noname#16499
noname#16499
回答No.8

働いていないのに食っていてごめんなさい。 無駄飯食いでごめんなさい。 精神的な病気になって会社を辞めてごめんなさい。 連中なんて呼ばれる存在でごめんなさい。 仕事ができない状態でごめんなさい。 死ねば許されますか?死ねばいいんですか? 死んだらお金がかかって迷惑ですか。 戸籍を抹消して生活保護が受けられないようにすればいいですか。 人として扱われないんですよね。もう。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうっP 僕はそんなことは言ってませんよ。死なないで生きてね。卑屈にならずに自信を持ってニートでいていいと思います。社会や行政が原因です。

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7417/18945)
回答No.7

犯罪者ではないですが、仕事をしないで消費だけするわけですから 親や兄弟がいるうちは、そちらに家計の負担が生じますので 贅沢品の購入がなくなるため、景気に悪影響を与えます。(親が大金持ちならまだいいのですが) また子供を作らないから、少子化対策にも影響が出ますし... 親兄弟がいなくなると最低限の負担を国や地方に頼る為、余り増えると困ります。 (年金もありませんし、親の遺産がなくなれば浮浪者と同じになりますね) ニートが急増した原因は義務教育で競争(運動会での着順、成績の掲示等)をなくしたことではないかとも思います。 競争の結果として他人ができないことを、あざけるのはよくないことですが より良くなろうとする意欲(勉強しよう・お金を稼ごう)がなくなれば、 ニートを増やす土壌を広げるだけではないでしょうか? 平均的に何でもできる子供より(そういう子供が駄目だというのではありません) 何でも(犯罪は除く)いいから一つでも飛びぬけた才能を開花させることが教育に必要なのではないでしょうか? もちろん、倫理観や道徳を教えることや集団生活に慣れさせることは上記とは別に大切だと思っています。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございマッスルー。 これまでの皆さんの意見をだいたい要約すると、 ・一応当人のことを心配している ・国家のゆく末を心配している ・血税が怠け者に使われるのが腹立つ だから問題だ、というところでしょうか。 どうも僕の中では景気や経済のこととか、少子化のことはピンと来ないというか、それをあまり問題と思えないです。 僕は競争の過剰がやる気を喪失させたんだと思います。

noname#32078
質問者

補足

またここに書いてしまいますが、経済のこととかが僕にピンと来ないのは、国家は国民がいて国家なのであって、国民の心理状態が疲弊しているのに、表層的に国家の経済的ななにかを示す数値がよくても仕方ないんじゃないかと思うからです。

回答No.5

調べてみたところ、ニートとは「働けるのに働く意思の無い者」と「働くことができない者」に大きく分けられるとありました。 が、後者の者に関しても結局、「精神的理由により」ということが多いので、結局同じことかなと思いました。 それはさておき、社会的な影響ですが、最近労働力不足が大きな問題になっています。それに加えて少子化傾向にあることからも今後労働力不足は深刻な問題になると容易に予想されます。 そのような状況の中で、「働けるのに働く意思が無い」人々は大きな問題です。 それに大して、「彼らを受け入れない社会が問題だ」との指摘もありますが、もちろんそれもあると思います。しかし、企業が人材を欲しがっていることは明らかです。枠があるのですから、採用されるような技術を身につける、資格をとる、勉強するなど、出来ることはいくらでもあるはずです。それもせずに社会や行政が問題だというのは、彼らに対する過保護だと思っています。 事実、先日テレビで取材されていたニートの話しで「なかなか自分に合う職場が無く、就職してもすぐにやめてしまった」とありました。 「は?何言ってんの??」というのが正直な感想です。 何故企業が彼らに「合わせる」必要があるのでしょうか?この世の中で働いている99%の人は、自分をその仕事に「合わせる」努力を多少なりともしています。 自分を変える努力を一切せずに「会社があわない」「自分に合う会社をさがしたい」だの、馬鹿じゃないかと思います。 もちろん、自分が望む環境の会社を誰しも探します。ですが、100%自分の望む環境はそうそうないでしょう。 85%が望み通りなら、残り15%は自分を合わせていく必要があるのです。 そんな、社会適合性の無い若者が増えていくということは、社会にとって健全であるとは言い難いですよね。 国や社会というものは、そこに存在する「人々」によって構成されるものです。ということは、その「人」の質が「社会・国」の質に直結することは明らかですよね。つまり、生産人口が減るということは国の生産力が落ちるということです。 国を企業に例えるとわかりやすいですが、企業の中の社員はだれしも役割を持っていて、それで企業が構成されています。その中で、仕事をしない人間がいたらそれだけ他の人の負担も増えるし、企業力が落ちます。 専業主婦、または病気で働くことができない人々、親に養ってもらいながら司法試験合格を目指す人、それも色々な側面で社会の「役割」といえますが、「働けるのに何もしない人」は「役割」ではないですよね。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございまする。 国家を企業に例える所は分かり易かったです。 たぶんニートの人は自分を合わせないといけない部分が95%くらいあるんだと思います。 病気で働くことが出来ない人のことは認めていらっしゃるようですが、メンタルな病気と単なる甘えの線引きはどのあたりにあるのかという問題はありますね。 あわせないといけない部分が95%くらいある人は殆どメンタルな病気と考えてよいんじゃないかと思います。

noname#32078
質問者

補足

お礼の所に書き忘れたのでここに書いてしまいますが、ニートのような考え方の人たちが、もっと増えて全体の20%とか、極端にいえば50%を超えるようなことがあれば、企業がニートのような考え方をする人に合わせなければならないと思います。 それから国の生産力が落ちて何が悪いのか?というところが僕にはよく分からないんですよね。

  • K-1
  • ベストアンサー率21% (832/3844)
回答No.4

「肉体的精神的にも問題はないのに働く意思が無い」奴をニートと呼ぶことを踏まえて。 早い話「無駄飯喰い」です。 親に寄生し、何も生み出さず、何も流通させることもなく、何も学ばず、ただ消費するだけ。 寄生できる親がいるうちはいいです。 しかし親もいずれリタイアし、ニートを養うことが出来なくなります。 そのとき連中はどうなるのでしょう。 福祉の世話になります。生活保護です。 ずっと働いて税金を納めてきた人たちが、働かず税金も払っていない奴を養うのです。 現在は人口減少しています。勤労人口は減る一方です。 その中で無生産者が増えるということは、勤労人口の負担が増えるということです。 増税です。 勤労人口の低下は質の低下にも繋がります。 たしかに憲法で人間として最低の生活をする権利は保障されています。 しかし権利は義務を果たしてこそ行使できるものです。 国民としての義務を果たしていないのに権利だけ行使しているわけです。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうごじゃりまする。 ちょっと考えてみたのですが、 無駄飯食いは罪か?という問いは、人を殺してなぜ悪い?というのと同じで、理屈を超えたところにあるような気がしてきました。 理屈を超えたところで、無駄飯食いは罪なのでしょう! だけど働くのが嫌になっちゃった人の気持ちは僕にはよく分かります。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.3

ニートは誰にご飯を食べさせてもらっているのでしょう? 特定の女性であればヒモと言われてきました。これは仕事と言えるかもしれませんね。 親に食べさせてもらっている人が問題ですね。 親もそのうち年金生活者になります。そして、いつかは死にます。 その後、どのようにして生きてゆくのでしょう? その人が、その時点で働くなら問題ないですが、ホームレスになるか、生活保護をもらうようになると、社会にとっては大きな重荷です。 生涯暮らしてゆける資産をもっているニートは、問題ではないと思います。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 僕の予想では親がいなくなったら働き出す人の方が多いと思います。根拠はないけど勘です。 ホームレスになるのも自己責任と思います。 生活保護を貰っている人も、それに甘んじている人は、そんなにいないんじゃないかと思います。抜け出せるなら抜け出たいんじゃないでしょうか。 人間の集団があったら必ず順列がつけられるので、重荷な人というのは、社会がある以上は必ずいるように思います。 ニートに限った話じゃないけど、どんなことでも順番をつけて、下層部にいる人達を問題視する人間の無意識というか本能?

  • mn214
  • ベストアンサー率23% (306/1302)
回答No.2

普通の人は何らかの仕事をして、収入を得て、税金や年金や保険を支払い、欲しい物を購入するという経済活動を行って、そうやって“社会を構成する一員”を担っているのではないでしょうか。 家庭の主婦も外では働いていないかもしれませんが、家庭で家族を支えるという大事な仕事を担っています。 また、学生は本来勉強をすることが最優先されるべき立場でしょうから、こうした立場の人はニートとは全く異なります。 ニートは仕事をするべき年齢、立場でありながら全く仕事をしない人でしょうから、収入が無く、経済的な余裕が無ければ大した消費活動もしないでしょうし、年金や税金や保険といったことにも不充分になってくると思われます。 こうして考えるとニートは社会を構成する要因には当らないと思われます。 若い頃は親が面倒を見ているのでしょうが、親がリタイアする世代になり、親の庇護を得られなくなった時にニートの連中はどうするのでしょうか。 働かなくても一生生活できるだけの裕福な家庭の人はニートでも問題無いと思いますが、一般家庭のニートがこのまま働かないまま数年後に税金による生活保護を受けるようなことになれば私には納得できません。 “働かざる者食うべからず”です。

noname#32078
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。僕も、人間は生まれてきただけで個人であり公民であると思います。 ですが現代は、特に若い人達は公民である意識が薄くなってきているように思います。 考えてみれば勤労は義務として定められているので、逮捕はされないけど罪といえば罪なんですよね。 血税が無駄に使われるのは腹立ちますよね。でもニートの人に使われるのは、僕はそんなに腹立ちません。なんか気持ち分かるんですよね。僕は一応働いているけど。シンパシー感じちゃうっていうか。

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