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精神と肉体のアンバランスさに苦しんでいます

ereignisの回答

  • ereignis
  • ベストアンサー率57% (11/19)
回答No.13

人間を肉体と精神に分ける考え方のことを一般に心身二元論といいますが、これは近代に生まれた考え方です。これは、世界は物質界と精神界の二つに分かれるという考え方を人間に適用したものです。 それまでは、世界は物質界・心魂界・精神界の3つに分かれると考えられていました。この3つうち、人間は肉体を持った生き物として動物などと同様に物質的な生き物だが、心をもつことで心魂界におり、さらに様々な経験から世界を知り洞察を得ることで、世界の理法・摂理・真髄(これが本当の精神)に到達することを目ざす存在だということになっていました。 一般に、人間を肉体と精神の合成物だと思われていますがそれはここ数百年ほどに生み出された相対的な考えです。 その上で言うのですが、「肉体はどうしょうもなく存在してしまうのに精神は何故こんなに存在して無い物なのだろう」という設問ですね。 確かに肉体は、物理的に、現前に、可視的に存在します。しかし常に一定ではありませんね。もともと小さかった赤ちゃんでも成長して大人になりますし、どんなに綺麗な女性でも年齢とともに肌にハリはなくなり、魅力はどんどん減ってしまいます。 逆に、心は移り変わりがはげしく、目にも見えず、失恋でもすれば冷静な判断力はなくなり、歳をとれば記憶力はなくなってしまいます。しかし、芸術作品からうけた感動はいつまでものこりますし、「三つ子の魂百まで」というように一度理解したことは死ぬまで身についていたりしますし、例えば三角形という概念は何千年もかわらずに三角形という図形のカタチを保持しています。 人によっては、「精神はどうしょうもなく存在してしまうのに肉体は何故こんなに存在して無い物なのだろう」という逆の疑問を持つ人もいるくらいです。実を言うと、肉体にしても心にしてもどちらにしろ普遍・不変ではないですし、しかしだからといって存在していないとはいえません。普遍的で恒常的なものこそ真に存在するものであるという考え方は、間違いとは言いませんが、絶対のものではありません(おそらくプラトンがその源流)。 そもそも、人間は肉体と精神の合体物なのでしょうか。あなたの心はあなたの身体に「宿っている」のでしょうか。肉体のない心なんてあるでしょうか。逆に、心のない肉体はあるでしょうか。死体には心はありません。しかしそのとき、死体は果たして人間でしょうか。また、肉体を離れて心は存在しません。歯が痛ければ、憂鬱になりますし、逆に気分が優れなければスポーツをやってもうまくいかないでしょう。身体と心は連動しつつ、それぞれ成長し、衰退し、そして死んでいきます。 人間は肉体と精神の合体物ではなく、人間は肉体的であると同時に心的でもあるのではないでしょうか。もし人間の本質をその精神的・理性的存在であることにおくとしても、その精神・理性は肉体的に存在しています。 確かに身体と心はアンパランスです。しかし独立しているわけではないですね。だから、身体を鍛えることで精神力がつく場合がありますし、逆に心があやふやだと身体にも変調をきたします。両方を鍛えるのが理想ではありますが。 さて「肉体の死=精神の死」かどうかですが、多分「肉体の死⇒その人の死⇒精神の死」というのが、存在論的にはいえると思います。 これでお悩みの答えになっているかどうか、私にも心許ないので、最後に、二人の先人を紹介します。一人は宮沢賢治です。「月天子」という詩にこんなフレーズがあります。 (前略) もしそれ人とは人のからだのことであると/さういふならば誤りであるやうに さりとて人は/からだと心であるといふならばこれも誤りであるやうに さりとて人は心であるといふならば/また誤りであるやうに (後略) もう一人は、ドイツの哲学者ハイデガーという人です。主著『存在と時間』という大部な本があり、実存主義の古典とされていますが、これは存在とはなにかという問題を人間の有り方を分析することで思索したものです。特に、人間の死の意味を考察している部分は圧巻です。難しいので、木田元という日本人がたくさんの入門書を書いているのでそちらを当たるといいでしょう。

714020
質問者

お礼

推薦していただいた御本、早速探してみたいと思います。有難うございました。

714020
質問者

補足

肉体や精神は変幻する、だから存在しないのですか? あと、「肉体の死⇒その人の死⇒精神の死」との事でしたが、ereignisさんのお考えでは人間の死=精神の死とイコール化が出来るとお考えですか? デカルトの説を引用されましたが、では、手を動かしたいと思った時に手が動くのは何故でしょう? 自分は頭を使うのが得意でないので解りやすく説明していただきたいです。申し訳ないです・・・・

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