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未必の故意?危険運転
危険運転致死罪、というのができたということなのですが、 そもそも、運転免許を取得する時点で、車は走る凶器であること、年間1万人の日本人が交通事故で死んでいること、飲酒は危険であること、みんな納得した上で運転している(塩爺みたいに「忘れました」というやつは更新できない)わけですから、それを知りながら、飲酒運転や暴走によって人を死なせるのは「未必の故意」による殺人罪にならないのでしょうか。 町なかを刀を抜いて走り回るより、車の方が危険だし、じっさいに刀で切られて死ぬ人は何人もいない。「殺すつもりはなかった」といっても刀で死なせたら殺人で、車で死なせたら殺人でない、という区別の根拠がわかりません。 あえて、「致死罪」をつくることで、かえって罪が軽くなるような気もするのですが。
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- poor_Quark
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未だに飲酒運転で事故。更には死亡事故が起きてますよね 厳罰化が進んでも未だに逮捕者が絶えない・・・ 飲酒で子供2人を殺しておきながら自動車運転過失致死 アルコールの量から危険運転致死での送検は無理って・・ もうこう言う場合って泥酔とかお酒の量かと関係なく危険運転致死容疑 を適応とかもっと厳罰化した方がいいのではないのでしょうか? 飲酒で人を殺したら危険運転致死って無理なのでしょうか? 子供が2人も死んだ事件でも過失致死と危険運転致死では 全然違いますよね・・・ 簡単に言えば飲酒で摘発される量でも泥酔する量や泥酔状態でなければ 人を引いても過失致死なんですよね・・・ もう飲酒=ひき逃げや死亡事故で危険運転致死 法律は改正できないのでしょうか?
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ありがとうございます。 「刀を振り回す」というのが、時代劇で敵陣につっこんでいくようなものであれば、切ることが目的ですから「未必」なしに「故意」になるとおもうのですが、誰も狙わず、ただ振り回して人込みの中を走りまわった場合、とお考えください。 過去の質問もみたのですが「死ぬかもしれない」と認識した上で実行に及ぶのは「未必の故意」だそうですが、運転免許を取得・更新する場合に、「飲酒は事故の元である。毎日悲惨な事故を起こしている。被害者も加害者もたいへんなことである」というのはさんざん教え込まれているわけです。 ただ、聞くだけで納得しなくても免許はもらえる、ということであれば、免許を与えるほうがおかしい。 (刀であれば、許可がいるけれど、刀の許可のために教習所通いも更新のための講習もないし、包丁であれば許可も要らない。「包丁で人を刺したら死ぬとは思わなかったなあ、」ということは通用しなけれど、実際には身の回りで包丁で刺されて死んだ人は殆どいません。車で死んだ人はいます。) 集団暴走なんて、刀よりよほど危ない。 実際の量刑については、それぞれの場面で考えればいいと思うのですが、最初っから刑事犯罪として立件もしない、というのが理解に苦しむところです。 いちいち損なことで犯罪者を増やしていったら、社会が動かないから、大目に見よう、というのが原則なのでしょうかね。