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庄屋・名主の身上
tammの回答
- tamm
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厳密に何反以上の者が資格者であるといった決まりはありません。 庄屋(関東で名主)とは職名で、今でいう『村長』のことです。江戸時代の農村には、村方三役と呼ばれる役職が存在しましたが、庄屋・名主はその1つです。 多くは草分百姓と呼ばれる、自ら自墾して田地を開拓してきた一族が世襲してきました。 ので、そのときどれだけ開墾したかがその広さとなります。もちろん人によって違いますが反単位ではなく、 町(1町=10反)単位で土地を所有していたのではないのでしょうか。
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お礼
強いて言えば町単位になるのではと言う事ですね、どうもありがとうございました。