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江戸時代の農民の暮らし。

江戸時代の農山村で農民(庄屋・名主を除く)が豊かに暮らしていた例を教えて下さい。 実質には「3公7民」「2公8民」とかいわれた中期以降の例です。 できれば、市町村のホームページに出ている具体例を希望します。 伊勢参りの道中で泊まった宿屋のめしが、ふだん食べているめしよりまずかった、というような記録はないですか。 明治新政府による「幕府は悪政だった」の教育が行き渡って、また戦後の教科書も農民は虐げられていたとの記述もあるが、江戸時代の農民は、実は豊かな生活をしていたという説があります。 これの検証です。

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  • ベストアンサー
  • hekiyu
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回答No.1

慶安の触書には次のようにあります。 「幕府の法令を怠らず、名主や組頭のことを親のように尊敬すること。 酒や茶を買って飲まないこと。粟(あわ)や稗(ひえ)などの雑穀などを食べ、  米を食べ過ぎないこと。  麻と木綿の他は着てはいけない。  早起きし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄をない、  俵を編むなど、それぞれの仕事をきちんと行なうこと。  煙草は身体に悪く金もかかるので吸わないこと」 これを見てみるとかなり細かいところまで決められているように見えますが、 その一方で、法令の最後には「年貢さえ納めれば百姓ほど気楽なものはない」 とも述べています この触書が実際に出されたかも疑問ですし、農民がこの通りの 生活を送っていたかについてはそうでない、との文献が 発見されています。 例えば。 金沢平野の暮らしを描いた「農業図絵」には 農民の一年の暮らしが紹介されています。 これによると。 ・喫煙の習慣が相当に広まっていた。 ・酒や花見を楽しんでいた。 ・禁じられているはずの菜種を栽培している。 ・娯楽がはやっていた。  腕相撲、寝そべる人、鶏がいたり、腕相撲をしたり、  お酒を飲んだり、思い思いにくつろいで楽しんでいます。  鶏は闘鶏といって戦わせて楽しみました。  村によっては休日に若者たちが歌舞伎を演じて楽しむこともありました 百姓が日常生活を規制されていたことは間違いありません。 だからといって休みなく働かされたといたわけではないのです。 酒を飲み、タバコを吸い、あるいは余暇を楽しんでいた、 これが百姓の暮しでした。 そして百姓は「領主には百姓の暮らしを保障する義務がある」 という主張を掲げていろいろな要求を出しました。 法令などに完全に縛られていたわけではないのです。 百姓が悲惨な生活をしていた、というのはマルクス史観に 基づく思い込みで、実証研究が進むにつれ、 その間違いが多く指摘されるようになっています。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 大変参考になりました。 六拾数年前、中学社会科の授業で日本史を教わったときの「江戸時代の農民は封建領主に搾取されて“生かさず殺さず”の状況だった」という知識のままなので、頭の切り替えをするために質問しました。 「農業図絵」は、高校日本史の教科書(1985年版)の『日本史図表』に10枚の絵が載っています。タバコを吸って猿回しの芸を見ている絵もあります。 豊かな暮らしを想像できます。 慶安の触書に「酒や茶を買って飲まないこと。粟や稗などの雑穀などを食べ、米を食べ過ぎないこと。麻と木綿の他は着てはいけない。」とあります。 こんな触れが出るということは、 酒や茶を買う人が目立って増えてきたのでしょう。麻と木綿以外のつまり絹を着ている人がいたのでしょう。 家のつくりや服装は一目で分かるので規制できますが、家の中の食事までは分かりません。 米もふだんに食っていただろうと想像しています。

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

いかなる御所存での検証かは存じ上げませんが 農村は喰い物がまずいという事例をお探しのようですが、 1960年代までのマルクス主義史観に基づいた歴史教育は現在されておりません。 したがってご希望のような書籍は21世紀に探されても難しいかと思います。 現在の高等学校では以下のような歴史教育がなされています。 詳しくわかる高校日本史(某県立高校教諭の 日本史授業講義録 ) www.geocities.jp/hatm3jp/ >実は豊かな生活をしていたという説があります。これの検証です。 下記の著者の作品への反論あるいは内容の検証をお考えでしょうか。 であれば素人では御満足できるような回答はできません。申し訳ありません。 百姓の江戸時代 田中圭一著 ちくま新書 貧農史観を見直す 佐藤常雄/大石慎三郎 講談社現代新書 人口から読む日本の歴史 鬼頭宏 講談社学術文庫 なお、道中記につきましては以下のようなものがあります。 関所抜け江戸の女たちの冒険 金森敦子 昌文社 きよのさんと歩く六百里 金森敦子 筑摩書房 女性が書いた道中記だけあって、詳細に出費が記録されています 江戸時代の物価を知る史料として大切にされいる本の解説書です。 江戸時代の街道筋の人々がどのような服装でどのような生活をしていたかは下記の書籍に図と説明があります。 東海道名所記  国立国会図書館デジタルコレクションのサイトで閲覧が可能です。 尚、農民(庄屋、名主を除く)とありますが、一ヶ村で一人しかいない人間を除かれる理由がよく分かりません。 農村の自治組織は独裁組織ではなくあくまでも合議制でした。 組頭と呼ばれる補佐役の他に百姓代という人がいて選挙(入れ札)で就任していました。 農民は所得に応じて階層化していました 本百姓=田畑を持ち、検地帳に記載されて年貢を負担していました。 小家族で農業をして年貢の払える者が一般の本百姓です。(1町10石の土地を持ち、5人家族くらいの者) 是よりも大規模な耕作地を所有していた農民は、小作と呼ばれる請負人と契約していました。 この契約関係次第で、年貢の負担割合が変わってきました。 このために、土地ごと譲り渡すということが起きて時代とともに、小規模化していきました。 水呑百姓=小作人、年貢負担なし・・・蔑称ではなく正式な身分名でした。 名子・被官=本百姓に隷属、年貢負担なし 年貢の負担は村単位で、村内では本百姓のみが負担していました。 本百姓も五人組という制度を設けて、年貢納入や、治安維持の連帯責任を負っていました。 下記の書籍には以下のような文章が引用されています。 「若者夜遊ニ出、夜更候迄所々ニ集り居、勝負事ヲ企 又ハ酒宴を催候義 已来無之様ニ急度被仰渡・・・」 江戸の少年 氏家幹夫 平凡社 江戸の街での出来事ではありませんので誤解なきよう願います。 喰うや食わずの村で、若者が夜な夜な酒を飲んで遊んでいることができたとお考えになられますでしょうか。 全国の村落の寺院の維持費や郷土芸能にかかる費用は誰が負担していたとお考えでしょうか。 盆踊りは誰が主催して誰が楽しんでいたとお考えでしょうか。 何時の時代どの社会にも経済的に困窮されている人々はいます。 現在生活保護を受給されている方が増えています 子供の貧困率も上がってきています。 平成時代の日本の庶民は貧困に喘いでいるとお考えでしょうか。 歴史は断片的史料だけを取り出して書けばいかようにでも書けます。 先入観を持つことなく幅広く乱読されることをお勧めします。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「検証」は言い過ぎでした。昔の仕事のクセですぐに「それはホント?検証したの?」 と言いたくなるのです。 検証というほど大層なものではなく、確認したいという意味です。 縄文・弥生時代の遺跡の説明では、「豊かな暮らしが偲ばれる」といった記述をよく目にします。 同様に、江戸時代の農民もこんなに楽しく豊かな暮らしをしていたのだ、という市町村のホームページを読みたいです。 市町村に拘るのは、昨今郷土史研究が盛んですから、わが町わが村はこんなに豊かだったと、具体的な話を聞けると思ったからです。 学者や研究者の素人向けの著書も良いですが、郷土史の本を読むと、具体的な村の名や百姓夫婦の名が出てきて現実感がぐっと増します。 農民の生活が苦しかったという話はいっぱい出てきます。 >尚、農民(庄屋、名主を除く)とありますが、一ヶ村で一人しかいない人間を除かれる理由がよく分かりません。 裕福な庄屋を例にして農村の生活が豊かだったと言われては困るからです。 >農村は喰い物がまずいという事例をお探しのようですが、 逆です。宿屋の方がまずかったという百姓の日記があれば、と思いついて質問に書き加えました。 >詳しくわかる高校日本史(某県立高校教諭の 日本史授業講義録 ) <幕藩体制下の農民と身分制度>だけ読みました。 高校教科書『詳説日本史』(山川出版社1999年版)の「村と百姓」の記述内容とよく似ています。 この教科書では「村と百姓」の最後のまとめとして 「食事は日常では米はまれで、麦・粟・稗などの雑穀が主とされ、住居も萱やわら葺きの粗末な家屋で、衣食住のすべてにわたって貧しい生活をしいられた。」 と説明されています。 質問の要点は、江戸時代の農山村で農民が豊かに暮らしていた例、できれば市町村のホームページに出ている具体例を教えてくださいというものです。 孫たちの副教材「わが町の歴史」や「県の歴史」を読むと、農民の生活は苦しかったという印象を受けます。 当地域が大きな百姓一揆の起きたところという理由もあります。 では、気候温暖で作物の生育もよく、百姓一揆のなかった地域の副教材ではどのように説明されているのでしょうか。

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