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昔の敬老の日 長寿の祝い
鎌倉時代から江戸時代において、藩が、古稀、喜寿、米寿等を迎えた、領民を祝うことはありましたか。 領主(その代行として役人、代官、名主・庄屋)が領民を祝うケースで、個人的に祝うケースを除きます。 また、還暦の祝いも除きます。 よろしくお願いします。
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明らかに算賀(70・80・90・100、77・88・99歳などの時点限定)と 言い得るような記録となれば、非常に条件が厳しいですね^^ ■肥後熊本藩主・細川重賢の場合 藩医で、のち藩校時習館の教授となる高本紫溟(名は順)が編集した『銀台遺事』には 「…士にもあれ、農商にもあれ、齡九十に滿つる者あれば、其人の品に随ひて、 衣服・金銀の賜物あり、(又百歳以上は、年毎に之を賜ふ、)…」の記述も見えますが、 より具体的な記述は算賀に限定されない様子の「七十歳以上」の尚齒會の方なので 御参考になるか否かは?です。 ◆近代デジタルライブラリー 『立花遺香 銀台遺事 銀台拾遺/高本紫溟編、高瀬武昭撰/国史研究会/大正5』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/953324/116 (216~218頁)<116・117/172> 銀臺遺事 夏(細川重賢) …年老いたる者を、殊に憐み給ひて、士にもあれ、農商にもあれ、 齡九十に滿つる者あれば、其人の品に随ひて、衣服・金銀の賜物あり、 又百歳以上は、年毎に之を賜ふ、初めは年々六月、此事行はれけれども、 夫までは又半年なり、老木の風を待たぬ例もあれば、命の内にこそとて、 總べて正月十一日を、定例となされたり、 又一年、關東にて尚齒會とて、七十歳以上の人を招きて、終日饗應あり、 御内の者共、其齡なるをば、皆々召して酒賜り、三井孫兵衞親和とて、 その頃高名の能書あり、是も七十餘なりけるに、壽字を篆文に書かせて、 夫を蒔繪にしたる杯を、萬歳杯と名付け、各引出物として、 下賤の者には、金子に此の日の駕の料まで添へ賜ふ、 扨又御内には、女其齡なるをば、小君の許に召して、同じ様にもてなされたり、… …雜人七人 五郎兵衞 喜左衞門 甚四郎 平吉 喜右衞門 半兵衞 彌右衞門 女十九人 ◇早稲田大学図書館 古典籍データベース 『銀台遺事 上・下/高本順<1738-1813>(撰)/文化12<1815>青山雲竜(写)』 1<40~42/65> http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/nu06/nu06_03153/index.html ■第10代徳川家治「安永4年12月22日」の場合 ◆近代デジタルライブラリー 『徳川実紀[第7冊]第7編/経済雑誌社校/経済雑誌社/明治37』 「浚明院殿御實記 巻卅二 安永四年十二月」(471頁下段)<240/440> http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772971/240 ○(十二月)廿二日代官蔭山外記廣迢が翰する陸奥國磐前郡下船尾村の修驗向榮百歳。 その妻八十歳。子高仙六十六歳。其妻五十四歳。孫仙順は三十二歳。その妻は二十八歳。 曾孫大門十一歳なるよし聞ゆ。向榮かく高壽を得るのみならず。 子孫全く團欒して誠に至孝なりとて。向榮夫婦に米貳十俵。 高仙夫婦には銀二十枚を給はりて旌表せらる。(孝義者書上。) ◇東京大学史料編纂所>データベース検索>大日本史料総合データベース http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/tosho/kensaku.html [管理番号]020100144642 [編/冊/頁]99編冊頁 [綱文和暦]安永4年12月22日(17750120220)2条 [綱文]幕府、陸奥下船尾村修験者向栄夫妻、長寿にして其子孫至孝なるを褒し、米銀を與ふ、 [区分]史料綱文 ■上記のほか、大日本史料総合データベース内の幕府関連では下記2件など。 ▼ [管理番号]020100147785 [編/冊/頁]99編冊頁 [綱文和暦]寛政4年4月12日(17920040120)1条 [綱文]辛巳、信濃の農徳右衛門夫妻、並に百歳以上の高齢に達す、 幕府、特に銭五百緡を与ふ、 [区分]史料綱文/(野史) ▼ [管理番号]020100156711 [編/冊/頁]99編冊頁 [綱文和暦]弘化4年12月28日(18470120280)6条 [綱文]幕府、府下市人久次郎夫妻、無告の老人善悦を収養するを賞し、 銀を賜ひ、善悦、年百歳に踰ゆるを以て、米十石を賜ふ、 [区分]史料綱文/(高麗環雑記) ■上記のほか、 ◇東京大学史料編纂所>データベース検索>近世編年データベース 加賀藩史料 ▼金沢藩、百歳の老齢者に物を賜ふ (天保12年正月19日/同年7月5日/天保13年正月是月/天保14年2月17日/弘化4年2月3日)など ■あと算賀以外でもあり、記述部分の真偽の確認も出来ていませんが、 第七代徳川家継の場合 ◇『人間福祉研究 2/田園調布学園大学/1999-12-30』 (1-104頁)「長寿譚/藤澤益夫」 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000040932 <50/104> 代替わりなどの機会に、長寿者を公儀や諸侯が賞することは …この場合の賞は見物の意でもあったが…よくあった。 たとえば、正徳3(1713)年、 7代家継がわずか五歳で将軍宣下をうけた年の10月中旬のこと、 当時、美濃国に百姓母当年百五歳と嫡男九十以下五男八十二まで、 それぞれ五人の子持ちの一家があり、 「右の母……江戸被召致登城、於御書院ころび申候得ば、女中わらはれ候故よめる、 /年よりをゆびさしわらふ其人の命ながかれおもひしらさん/かくいたし申候由、 女中閉口。黄金時服拝領」。 このできごとを「江戸より書付参候」と記すのは、京都の本島知辰『月堂見聞集-六』である。 上記以外でも、算賀・年祝を問わずの「○○歳以上」であれば、 陸奥会津藩保科正之などの名も浮かびますが… 取り敢えずはこんなところでしょうか^^
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- 川原 文月(@bungetsu)
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こんばんわ。 bungetsuです。 追加です。 なお、城への登城が出来なかった70歳以上の老人には、酒樽1斗を配ったとも言われています。 但し、その数については少々不確実のため、省略させていただきました。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 なるほど、そこまで気配りが行き届いていたのですね。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>鎌倉時代から江戸時代において、藩が、古稀、喜寿、米寿等を迎えた、領民を祝うことはありましたか。 ありました。 米沢藩の上杉鷹山が40歳頃に、藩の100万両とも言われた赤字財政を建て直し、さらに50万両の黒字に転換させました。 そこには、鷹山独特な手法があり、成人はもちろんのこと、子どもや老人には、庭の池で鯉をかいなさい。さすれば、老若男女ともに藩の利益になる・・・と言うものでした。 こうして財政再建を果たした鷹山は、自らが70歳になっ時、領内の70歳以上の老人を城に招き酒食を振舞ったといわれています。集まった老人は実に72人にもおよび、翌年の鷹山71歳の時には、同じく70歳以上の老人を城に招きました。その数105人だったと言われています。
お礼
真っ先のご回答ありがとうございます。 さすがは、“上杉鷹山”ですね。 生まれ変わって今の世に出てきてほしいです。 「集まった老人は実に72人にもおよび、翌年の鷹山71歳の時には、同じく70歳以上の老人を城に招きました。その数105人だったと言われています。」 このような話を待っていました。 実は、この質問をした動機は、70歳は、ほんとうに「古来稀なり」だったのだろうか、という疑問でした。 古稀を迎えた元気な老人は、いっぱい居たに違いないと思っているからです。 大変参考になりました。感謝です。
お礼
いつもご親切なご回答ありがとうございます。 素人の疑問にこれほどまでの内容の濃いご教示を頂き恐縮しています。 態々論文の該当箇所を抜き出して、パソコンに打ち込んで下さったのですね。 『銀台遺事』なる書があることなど、全く知りませんでしたが、読んでびっくりしました。 「士にもあれ、農商にもあれ、齡九十に滿つる者あれば、其人の品に随ひて、衣服・金銀の賜物あり、又百歳以上は、年毎に之を賜ふ」とありますから、百歳を超える長寿の人が現実に居たということ、そして、制度化されていたことになります。 その祝の席の「御客」「家臣」の年齢も、有馬備後守79歳 柳生播磨守82 家臣 成瀬尉内81 白井平治79など、高齢者がずらりと並んでいますね。 私は、江戸時代の人は、現代人よりも「健康体での年齢」が高かった、と想像しています。 だって、安全な食品と澄んだ空気があって、よく歩いていましたから長生きできたはずです。 さらに驚いたのは、『人間福祉研究 田園調布学園大学』の「長寿譚/藤澤益夫」です。 『銀台遺事』にあった「關東にて尚齒會とて、七十歳以上の人を招きて、終日饗應あり、」の「尚齒會」の意味が分からなかったのですが、歯=年齢を尚ぶする会の意味であることが、この論文を読んで解りました。 そして「尚齒會」が平安時代初期から続いており、藤原敦頼=法名道因法師84歳がこの会で歌を詠んでいますが、元気溌剌の感があります。 私の質問の仕方が拙かったのですが、長寿を祝う制度があったのか、という主旨ですので、「長寿譚/藤澤益夫」は、大変参考になりました。 長文ですが、面白いので退屈しません。 「東京大学史料編纂所>データベース検索>近世編年データベース」も私にはもったいないデータです。 「長寿」で検索すると、ゾロゾロ出てきますね。 「天保9年7月22日 金沢藩、百歳以上の高齢者に金品を下賜す」と書いてあっても、驚かなくなりました。 まだ全部を読みきっていません。まだまだ、楽しめそうです。 本当にありがとうございました。