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犬に私の主観をコピー?

noname#31063の回答

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noname#31063
noname#31063
回答No.9

毎度です。道徳と愛って似ていますよね。しかし、道徳は理性に、愛は感情によって求められるもののような気がします。 道徳は「よりよく生きる」為に必要な支配力がある。動物の最も大きい支配力は暴力であったり、本能的な恐怖であるのに対し、人間に適した支配力は「良い方法を模索」する知能ではないかと思います。その為に相手が対等以下であると、努力をした結果であっても妬むことがある。 愛は…ある“美”です。愛は美しい愛しいと感じるもの、美しいものは心地よいのです。概念ではなく感じるものですね。充実感とか感動が起き行動を無理なく起こさせるものは知識よりも支配力があると思います。“感動”は受動的でありながら必ず執行させる支配力がある。 意志は能動的なものであるのに、必ず美しくも心地よくなるとは限らずその支配力は長続きしない場合も多い。 私は生物学も詳しくありませんよ、推測で書くのは良くないかもしれないけれど、犬の社会的種族保存の概念には嫉妬はないと思う。優劣を競うより能力を発揮して全体に奉公するのが道徳だと思っているんじゃないかと。 人間は優劣に拘る。拘りたくなくて(怠けたくても)も拘らなければ与えられる報酬も少なくなってしまうのだから。しかし、優秀で多くのものを手にいれても失う自由も多く責任が圧し掛かるのだから、人間にとって自由に生きるということは簡単なようで難しいものですね。 よって道徳は種族の為、社会的に行おうとする時は自由からの逃避であり、動物は個であっても全体の欠片となるが本人の救いでもある。 人間は特別利己的な部分がある。個人的に(内面から)道徳を.行おうとする時(愛の時)は美しく愛しく自由で生き甲斐のあるもの。 犬が自分の能力範囲ではないのに悩むことが出来たら、自殺も出来るようになるだろう。そんな脳の領域があるならコピー出来るかも?死を道徳以外の理想にする自殺願望の脳の領域までも差し上げたくないけどな。 動物が不道徳感や不条理感で自殺が出来る?・・・toraumaさんはどう思います?(みなさんも) 犬は犬の能力で素晴らしいし、そのままで充分人間の仲間に成り得ているし、よろしいと思うのですが(笑)想像すること、創造することは人間に必要で生き甲斐で、神を信じることも大切な意味があるのでしょうね。

torauma
質問者

お礼

・・・・・品位とは、絶望と再起、あるいは状況を覆い隠すこと(幻想)なんですよね。 絶対的挫折を見るとき、我々は思惟の非独立性と妄想に陥る欠点を見落とすという意見に私は同意します。 ある種の充実感や希望が空虚なものとなる訳です。 というのも私の場合ですが、「差別的レッテル」を貼られた排除項3項の者となった時代の記憶がよみがえるからです。 孤独というものから「動物に対する人間の優位」を感じる事は私についてはなかった様な気がします。 私は品位を保つ程の尊厳も信念も持ち合わせてはいなかった。 レッテルを貼られて標的とされた時代の記憶と報復意志がよみがえるのです。 従って、報復-道徳(理性的)-破滅という一種の美学的必要を感じた事はあるものの、ここに正当性を見つけることもできず、破滅という名前の先にある種の”あきらめ”を見出したのです。 その結果として己自身を知る必要に迫られる事になりました。 その後は、つまり己自身を成立させている本来的交わりを完全に否定した、ヤンチャ学生達の「屈服か絶滅」遊びからの逃避です。彼らの多くは「多様であるという現実を否定しながら、一意の優劣判定に属する事を良しとする」古い道徳観念に従う事を正義にしていたといっても良いでしょう。 >動物(である私)が不道徳感や不条理感で自殺が出来る? 上記が私の回答になります。 つまり私は(おそらく、あなたの言う) >人間は特別利己的な部分がある。個人的に >(内面から)道徳を.行おうとする時(愛の時) >は美しく愛しく自由で生き甲斐のあるもの。 という連帯について、その後は常に否定的・懐疑的な者となったのです。 自殺という表現が特別に何を意味するのかわかりません。 あくまでも個別の理由の事と解する訳です。 一方で犬・猫はもちろん動物達は消えていなくなるのみです。 以上まで、お礼を申し上げます。

torauma
質問者

補足

No1.様~No.9様まで、皆様、御回答をいただきました事、改めてお礼を申し上げます。 上手くリードして戴いた様な気がします。 皆様の御発展をお祈り致します。

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