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言文一致について

tron-hn3の回答

  • tron-hn3
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回答No.2

s-wordsさんとしては「言文一致」している、とお考えでしょうか。 私は「厳密な」意味で「言文一致していない」とお答えしました。これは私の見解です。「不可能」という意見は井上ひさしさんだったと思います。 大雑把には「まるで話し言葉をそのまま書き写したような書き言葉」というのは成立している。だから「言文一致」している、と考える方も当然いらっしゃるでしょう。 標準語を基準に考えるということですので、なおさら「話し言葉」と「書き言葉」は違います。「何言ってるかわからないから困るでしょ」というのは「話し言葉風の書き言葉」。 文章としてはお行儀が悪いけど、親しみを感じてもらうために、あえて崩して書いたものです。こういうことを、私たちはさらっとやれる。それは先人が苦心して、あるいは天性の感受性かなにかで、作り上げた「話しているかのような書き言葉」の蓄積があり、それに接しているからだと思います。 >話し言葉にも友人との会話から校長先生の祝辞まで柔らかさがちが牛、書き言葉の方も、エッセイから論文まで幅がありますよね。そのことを考えると頭がパニックになってくるのですが、どう考えればよいのでしょうか。 ということですが、校長先生の祝辞は「話し言葉」ではなくて「書き言葉」を読み上げたものです。 なかには要点や話の運びなどメモした程度でいきなりスピーチを組み立てる話術の天才、のような校長もいらっしゃるでしょうが、祝辞はやはり原稿を読むもののようです。 軽めのエッセイと論文を言文一致の問題でくくるのも無理があると思います。どちらも現在では「現代口語文」で書かれていることは確かですが、目的が違います。論文はあくまで論理的に研究や意見について書かれなくてはなりませんから。エッセイの方は、まず読者に読んで、共感したりしてもらうことが前提です。そのためには「まるで目の前で話しているかのような文体」で書くと効果的な場合もあるし、それがとても巧い人は大勢いらっしゃいます。 現状としては、「書き言葉」と「話し言葉」との間に 「話し言葉に近い書き言葉」「書き言葉に近い話し言葉」があって、それらは確固たる境界をもたず、連続して変化しているのではないでしょうか。 長々と書き連ねましたが、ここでお聞きしたいことが有ります。最初にお聞きしておくべきだったかも知れません。 s-wordさんは鴎外などの文語文を読んで「言文一致をならしめん」という言葉が出てきて、「話についていけない」と感じた、とのことですが、そのことと「現代の日本が言文一致しているかいないか」との間にはとても距離があるような気がするのです。 「話についていけない」のは「その文章がすでに言文一致している」ように感じるからか、それとも「ちっとも話し言葉に近くない」からなのか、あるいは全然別のことなのか。 単純に「言文一致しているかしていないか」だったら、人が話している言葉を録音してたものを書き取ってみたり、話し言葉調のエッセイなどを音読するのをお勧めします。そうすると書き言葉と話し言葉の違いのようなものが見えてきます。 でも、やはり鴎外の話にはついていけないのでは……。 ここまで口出しするのはお節介でしかないのですが、「これから何かをしていこう」という運動(ここでは言文一致ですね)に疑問をもったら、その運動の成果(現代は言文一致しているのか)を問う前にその運動が必要となった状況(それ以前の文章)を知る方が早いのではないでしょうか。

s-word
質問者

お礼

>長々と書き連ねましたが、ここでお聞きしたいことが有ります。最初にお聞きしておくべきだったかも知れません。 s-wordさんは鴎外などの文語文を読んで「言文一致をならしめん」という言葉が出てきて、「話についていけない」と感じた、とのことですが、そのことと「現代の日本が言文一致しているかいないか」との間にはとても距離があるような気がするのです。 tron-hn3さんお返事どうもありがとうございます。わたしが、「話についていけない」と思ったのは、書き言葉と話し言葉の歴史について見てきて、途中で言文一致とはどういうことなのか自分で整理がつかなくなったんです。平安期の女流文学で大和言葉が出てきてから、以後、脈々と江戸時代の学者などが、平安古文を受け継いできて、次第に話し言葉と乖離してきたと習いました。そのなかで、南総里見八犬伝で一部言文一致していたとも聞きました。そして、明治の人々が、外国の言葉を翻訳するのに、漢語を取り入れて、書き下し文となったと習いました。 そこで、言文一致運動の趣旨を再びお聞きしたいのですが、「助動詞、助詞の用法を撤廃すること」がその趣旨なのでしょうか。もしくは、「漢語を撤廃すること」がその趣旨なのでしょうか。何度もすいません、tron-hn3さんに指摘されて、わたしはここがあやふやだったから、いつも、悩んでいたことに気づきました。 >現状としては、「書き言葉」と「話し言葉」との間に 「話し言葉に近い書き言葉」「書き言葉に近い話し言葉」があって、それらは確固たる境界をもたず、連続して変化しているのではないでしょうか。 なるほど、そのように考えればすっきり行く気がします。自分で境界があるものとして考えようと思ったのですが、あまりそう考えると、逆に混乱してきてしまいました。明治期の言文一致運動と違って、社会が複雑化している現代ですから、いろいろな表現方法や文体があるので、それらをひとまとまりにしてくくるのはちょっと無理がありますね。エッセイにもカギカッコつきのセリフがあるとおもうのですが、これも書き言葉と話し言葉のあいまいな境界線なのかもしれませんね。

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