- ベストアンサー
正しい使い方のはどちらでしょうか。
○横書きの文書において ・1人1人 ・1人ひとり ・一つ一つ ・一つひとつ 私は横書きにおいては、1人ひとり・1つひとつが正しいと思っているのですが、、、。(漢数字を用いないという認識) といいますか、どちらも、これは普通繰り返して表記していいものですか?1つ1つとかいう風に・・・。 ○洗練という言葉について ・感覚を洗練する ・感覚を洗練させる 私は感覚を洗練させるというのが正しいと思っているのですが、、、 ○事実を追究する・追求する 私は追究だとおもうのですが、、、。 辞書調べても、例文がなく、判断に迷っています。 詳しい方いらっしゃいましたら、よろしくお願い致します。
- hana0521
- お礼率95% (1277/1335)
- 日本語・現代文・国語
- 回答数3
- ありがとう数4
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
●1人1人について…横書きの場合、具体的な数字の場合に算用数字を用いますが、この場合は「それぞれの個人ごとに」という意味合いになり、数字をカウントする意味ではありません。これらのことから、慣例的に横書きでも「一人ひとり」とするのが普通です(新聞等の紙媒体の表記の基準)。 「1つ1つ」に関してですが、「人」を対象としていないこともあり、ケースバイケースで使い分けているようです。数字をカウントするという意味に近い場合は算用数字を使ったり(例:卵を転がしてしまったので、割れないように1つ1つ丁寧に拾った)、慣用的なニュアンスを含めて漢数字にする場合(例:この問題は奥が深いので、一つひとつ検証していこう)があるからです。 ●洗練について…文脈によって、どちらのアリではないでしょうか。ただ、「感覚を洗練する」よりは「感覚を洗練させる」という方が日本的な考え(感覚というものを客観的に見て、○○させる、という言い方が)になじむとは思います。「○○する」という表現の場合は、「感覚を磨く」というような言い換えなら自然でしょう。 ●追求…目的のものを手に入れるために追い求める(手に入れることが目的) ●追究…物事の真相や問題点を明らかにする(明らかにする) という違いがあります。 そのため、hana0521さんの言うとおり、「事実を追究する」が正しい使い方になります。
その他の回答 (2)
- momonaka
- ベストアンサー率26% (15/57)
「ひとつひとつ」の「ひとつ」は数を数えているわけではなく、一つの単語なので、「1つ」とするのはおかしいのでは。 「1旦停止」「2人3脚」「4季折々」「5臓6腑」「7難8苦」「9死に1生」ではおかしいですよね? 「1つひとつ」という表現は、それと同じだと思います。
お礼
>「1旦停止」「2人3脚」「4季折々」「5臓6腑」「7難8苦」「9死に1生」 すばらしく1~9が出揃いましたね! 参考になりました! ご回答ありがとうございました!
- rinring
- ベストアンサー率18% (822/4396)
横書きの場合の漢数字は、長音や罫線と間違えやすいという点ではアラビア数字のほうがいいかと思います。 ネットで調べてみると、洗練するも洗練させるも両方使っているようなので、どちらが正解なのかわかりませんが、使い方によるのではないかと思います。 追求・追究は。 事実を追究するが正解だと思います。 追究は追い求めるで、 追究は明らかにすると言う意味があります。
お礼
>横書きの場合の漢数字は、長音や罫線と間違えやすいという点ではアラビア数字のほうがいいかと思います なるほどです。 ご回答ありがとうございました!
関連するQ&A
- OEDの例文に現れるスラッシュの意味は?
OED(オックスフォード英語辞典)に載っている例文(Citation)で、原典名のあとに「765/4」のような表記があります。おそらくその例文が掲載されている場所だと思います。ところが辞書前書きなどを見ても、この件についての説明は見あたりません(見落としている可能性が高いですが)。 スラッシュの前はページ数で、スラッシュ後の数字は段の数ではないかと思います。前の数字は一桁から三桁までさまざまですが、後半の数字は最大で4あたりまでだというのが根拠です。どなたかご存じの方はおられませんでしょうか。 ある例文の原典を大学にコピー請求したいのですが、ページ数がはっきりしないと請求ができず困っております。
- ベストアンサー
- 英語
- ガムの賞味期限
BOXタイプのガムだと賞味期限ってどこに表記されてますか。 写真の数字が賞味期限でしょうか。 (もしそうでしたらいつまでというふうに認識したらよろしいでしょうか。)
- 締切済み
- その他(生活・暮らし)
- 英文法~形容詞“used to”について
【質問1】 “used to”を辞書で調べてみたところ「以前は~だった」,「 慣れている」の二つの異なる意味を持つことを確認しました。 どちらの意味を示しているのかの判断基準として文法上の規則やニュアンスは存在するのでしょうか。 【質問2】 例文1 Did you [use to] live with your friends? ここの例文で使われている“used(use) to”は疑問系文章である為に“use”が現在系になっていると認識をしています。 この認識で間違いは無いでしょうか?また、異なる意味を成しているのでしょうか? 何卒、ご教示の程を宜しくお願い致します。
- ベストアンサー
- 英語
- 主観的な時間の進み方について
えーと、タイトルの通りなのですが、 客観的な時間はもちろん時計ではかれますし世界共通ですが、個人的な時間は人によってさまざまです。 同じ3分間でも、気持ちに余裕のあるときには普通に過ぎる3分が、急いでるときに待たされる3分はとても長く感じます。ボクシング1ラウンドの3分間も多分きっとすごく長い時間だろうと思うのです。l また年齢によっても違います。子供のころは時間の過ぎるのがゆっくりで、年とともに早く過ぎるようになると聞きます。(自分でもそう感じます) このような主観的な時間感覚の違いを、そのまま否定も肯定もせず受け止めて、この主観的な感覚を、ありのままの事実として認識する、まずそれを証明はできないが(将来的には科学的証明されるかもしれませんが)現実に起こっている事実として認める、という風な手続きを踏んで それを主観を構成する1要素として事実として認知する、というような始まる学問体系は存在しますか? おそらく、入るなら心理学か、哲学じゃないかと思うのですが、自分でも調べましたが、見つけられません。 あるいはこういう個人の時間感覚の違いを、事実として認識すること自体無理があるでしょうか?(僕は時間感覚だけでなくもっと広く一般的な人の主観の感覚についても同じことがいえると思うのですが)。 急ぎませんので、何かご意見のある方、あるいはそんな話ならもうこういうのがあるとか、ご存知の方、おられましたらお返事お願いいたします。
- ベストアンサー
- 心理学・社会学
- 意のまま(に)の解釈と呼応関係
例文:意のままに翻訳する 「意のままに操る・動かす」と同様に、上の例の「まま」は「思いつくままに・感じるままに・ほしいままに・わがままに」などと同類であり、大辞林の(1)成り行きに従うこと。他のものに任せ従うこと。「誘われる―,ついて来た」「足の向く―に歩き回る」であり、すなわち上の意は「翻訳者の意」となると解釈しています。これで合っていますか? 一方「まま」には (3)元のとおりで,変えてないこと。そっくりであること。「見た―を話す」「昔の―で少しも変わらない」 (7)(普通「ママ」と書く)書物の校訂などで,原本どおりであること。 という意味もあり、辞書だけを引いて判断した場合、日本語を母語としない人には、上の例文の意は「原文の意」という風に読めたりもするらしいのです。 「意の」を受けて「ままに」とする呼応は(1)の解釈しかできない、すなわち、あえて「原文の意」と読ませるには別の書き方、たとえば: 「原文のままに」翻訳する、または「意をそのままに(とらえて・汲んで)」翻訳する、 などという風に書きかえなければならないんじゃないかなあ、と思うのですが、そういう風に見ているのは私だけでしょうか?
- 締切済み
- 日本語・現代文・国語
- 金額を未記入の領収書がまかり通るのはなぜ
お店で金額未記入の領収書を渡される光景をみかけますが、その仕組みを教えて下さい。 飲食店(主に夜でしょうか)で、 「領収書は金額を入れますか?」とお店からいうことがあるようです。 本来はお店のほうがそれは避けなければならないことなのに、と不思議に思うのです。 「常連さんだから信用してるから、適当に金額上乗せして書いて経費にしてね」 といっているようにも見えますが、その認識は正しいでしょうか。 (そうだとしたら、違法を助長する行為のようにもみえますが) このようなことは、リピーターがつくような飲食店では日常的に行われていることですか? ●お店側のリスクについては・・ 大幅に事実と違う数字を記入されたり、数が多くなってくれば税務調査が入るといったリスクがあるように思うのですが、どうなんでしょう。 一発でばれると思いますが、小さい店ではまず調査などこないと考えてのことでしょうか。 ●お店側の責任は? お店側も、は私文書偽造の幇助にもなりそうですが、 お店側の違法性は問われないのでしょうか。 (お店が、嘘の数字が記入されることを想定していたのかは難しいところですが) こういうことは数が多すぎて事実上は黙認状態なんでしょうか・・
- ベストアンサー
- 財務・会計・経理
- 場所をいうときに使われる前置詞について
質問お願いします。 場所をいうときに使われる前置詞についてです。 狭い場所やある地点をいうときはat 施設の中など、中にいるときや広い場所にいるときはin と認識しているのですが、 お祭りのポスターにて On the school playground, Saturday, July ○○ という表記です。 7/○ 土曜日、学校の校庭にて という意味はわかるのですが、なぜここではatではなく、onが使われるのですか? 辞書をひいてみると、前置詞のon(位置、場所)の例文でも work on a farm 農場で働く live on an island 島に住む とありました。 なぜlive inじゃないのでしょうか。 使い分けを教えていただけると幸いです。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 英語
- 手紙のわき付けは、横書きの場合はどう記せば良いのでしょうか
手紙をあまり書き慣れていませんが、辞書を見てわき付けを知ったので、使ってみたくなり、質問いたします。類似質問は見つかりませんでした。 手元では「日本語大辞典」を引いていますが、ビジネス文書以外は縦書きの例文ばかりで、横書きの場合の使用例がわかりません。 とある企業の個人宛てに手紙(ビジネス的内容より、もっと個人的な内容のもの)を書いており、へりくだった気持ちを示したいため、「硯北」(あるいは「机下」「机右」など)を使いたいと思っています。これらの言葉の意味はだいたいわかっていますが、記すべき場所を具体的に教えてください。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 平成 年 月 日 ○●株式会社 部長 山田太郎様 [TAB2個分空白]硯北 O原0子 ○○についての御礼と御願い 謹啓 ・・・・ ・・・・・・・・・・ ・・・・謹白 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 上記の様な原稿を書いてみたのですが、かなりの違和感がありますか? 横書きですので、宛名を文末に持ってくるのはおかしいと思い、わき付けは宛名に添えるという原則を意識すると、上記のような配置にしてみました。 そもそも、硯北という丁寧な単語を使いながら、横書きのワープロ打ちの手紙を差し出すこと自体が不釣り合いなのですか? それとも逆に、会社の役職者宛てで、タイトルまで掲げるような手紙で、硯北という敬語形式を使うことが、そこだけきわだっておかしいのですか? どうしたらバランスが取れるのでしょう。(手紙内容の性格上、タイトルは記したいのです) 教えを乞うのに多少失礼ですが、なにぶんマナーのことですので、ある程度使い慣れていて自信のある方からのご回答を歓迎いたします。私としては、31日夜までに明解な回答を得られなければ、使い慣れないわき付けはやめた方が先方に非礼をしないで済むかな、と思っています。 よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
- 「四川菜比湖南菜还要辣」の「要」の意味は?
こんばんは。 カルチャーセンターで中国語をちょこっとかじったあと、本で独学しています。 「中国語作文のための短文練習ー中文造句」(中山時子・飯泉彰裕 著、東方書店. 1999.)で分からない例文が出てきたのでお尋ねします。 中国語文: 四川菜比湖南菜还要辣。 日本語訳: 四川料理は湖南料理よりも更に辛い。 (上掲書第19課、p. 60-61.) 比較の表現の例文ですが、「四川菜比湖南菜ナニナニ」ということが、「四川料理は湖南料理よりナニナニだ」という比較の表現になっているのは理解できるのですが、「还要辣」がわかりません。「还」は「さらに」、「辣」は「辛い」ということだろうとは分かりますが、「要」が何なのか、どこにつくのかがわかりません。一般に「要」は、欲しい、要求する、したい、しそうだ、もうすぐこうなる、といった意味がありそうですが、文章とのうまいつながりに気づきません。「还要」とか、「要辣」という単語も辞書で見つけられませんでした。 「还要」は単語としては出てきませんが、文例では辞書にこの2語のセットで文例が出てくるものがあります。辞書の「还」の「もっと、その上」という語義の項目のなかには次のような文例があります。 気象予報説、明天風力还要増大、気温还要下降。 (天気予報によれば明日は風がさらに強くなり気温がもっと下がるそうだ) しかし、この場合の「要」は未来についての判断、「もうすぐこうなる」という意味を担っていそうなので、私の質問の例文には当てはまりそうに思えません。「四川料理は湖南料理よりももうすぐ更に辛くなる」というのはもちろん変です。 上記の疑問についてご教示いただければありがたいです。
- ベストアンサー
- 中国語
- このような現象はどう呼ばれますか?
相手の事実や真実を歪曲するための理屈を述べるほど、追求する本人にとってもの事実から離れていくような現象や心理を定義している既成の概念がありましたら教えてください。 ある例を挙げます。 たとえば小舟を持っている人がいるとします。 ある時期から舟を係留しているロープが何度も切られている。 これは明らかに人為的なものだと確信したため通報した。 現場にきた警官から事情説明を求められたが、どう考えてもこの警官、人為的なものではなく自然発生的なものにしたいらしい。 「風が強かった日もあったからロープの摩擦で切れたのでは」 「波が荒くて、フックがなんらかの偶然でとれたのでは?」 「こんな寒い時期に人は出歩かないからわざわざこのような悪戯を何度もするとは思えない」 ロープといってもそれ専用のものである。フックが外れるのも考えられない。(説明書きにある許容範囲を守ったうえでの利用であるのなら、ロープやフックを制作した企業の信用が損なわれる)。 寒い日には誰でも人は出歩きたかないが、出歩かない人はゼロではない。 警官の質問(というより尋問)をひとつひとつにまじめに考えると、逆に疑問が生じる。 このような場合です。 (ちなみに例の対象は変えてありますが、身近なところでおきた実話です) 「真実を歪曲する目的のための理屈」自体が屁理屈ともいえるのですが、屁理屈をあまりに重ねると過剰防衛にもなると思います。 なぜ過剰防衛するのか、それは警察は小さなことを事件化にしたくないためだからです。 つまり、状況説明というよりも事実(事件)をなかったことにするための「本人にとっては賢明な」屁理屈です。 複雑な事件ならまだしも、正常な感覚をもつ人間でしたらその質問自体が滑稽であるということに気付きます。つまり追求していけばいくほど、その矛盾を逆に問われるような明らかな事実に対するこういう態度は警察特有の社会心理と言ってしまえばよいだけですが、それだけではあまりにも広範囲すぎます。 概念としてくくると(たとえばモラハラやパターナリズムのように)、互いの認識が共有しやすいと思い、このような現象を説明するひとくくりの概念があるのかと思って質問しました。 またこの典型的な警察の過剰防衛という攻撃を、哲学的、心理的にどう考えるべきでしょうか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
こんなに詳しくご回答くださり、誠にありがとうございます! 1つ1つ等についてはとても奥が深くてびっくりしております。日本語って本当に難しいですね。 洗練と追究に関しましては見込み通りでよかったです!! またよろしくお願い致します。<(__)>