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ミッドウェー海戦大敗

海軍は、この大敗を陸軍に隠しており、後で事実を知った東條首相が激怒したということです。 クリック20世紀「ミッドウェー海戦についての大本営発表」 http://www.c20.jp/1942/06happy.html 1.海軍は、陸軍に何故すぐばれるウソをついたのでしょうか。 ただ単に、陸軍にだけは「負けた」とは言いたくなかったという浅はかな理由だと思っているのですが、こんな認識でよいでしょうか。 ウソがばれたところで、東條は陸軍出身ですから、首相といえども海軍に苦情は言えても指図はできず、せいぜい形式的な叱責くらいですむと、海軍は判断していたのでは・・。 それとも、歴史は複雑怪奇で他の理由があったのでしょうか。 2.「天皇が何げなく実際の数字を洩らしたのである。」ということは、 天皇にはどのようなルートで報告されていたのですか。   侍従武官長からでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • nazewhy
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回答No.2

質問1.については知りません。2.については軍令部総長から報告があったのではないでしょうか。木戸日記の6月6日(敗北の翌日)にそのような記述があるようです。(現物は確認していませんが)天皇は普段と変わらない様子で総長には意気消沈しないよう、また今後の作戦が消極的にならないよう注意しておいた、というようなことをおっしゃられたようです。なお軍令部総長は海軍の作戦部門の最高責任者であり、最高司令官たる天皇に直属しています。

goo-par1732
質問者

お礼

あっ、そうですか。 軍令部総長からですか。 しかも事実を報告しているようですね。 いずれ東條首相から上奏があることを知っていたはずだと、思いを巡らすと…。 「木戸日記」を読んでみます。 私は、天皇は短波放送で情報を入手されていたのではないかと、推測していましたが、ご回答に納得しました。 ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • gonveisan
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回答No.4

仲が悪いからドイツから後の飛燕 艦爆彗星のエンジンダイムラーエンジンの設計図を陸海軍でライセンス件を 二度買い 先にどちらか忘れたがライセンス件を販売してあるからそちらから手に入れてくれと ヒットラーが言ったがそんなとことは話したくないので陸軍海軍とも買い日本陸海軍は 犬猿の仲か仇同士かと笑ったと逸話あり 創成期軍隊教育も全然違う国から指導されていた海軍イギリス 信長の桶狭間の戦いといいミッドウェー海戦といい情報戦に先んじた物が制す現代も言えることですね *もともと勝てる見込みがあって始めた戦争ではないと私は思っていますので 零式艦上戦闘機が出来たからハワイ攻撃を決断した山本長官はアメリカに駐在武官として 勤務した事がありアメリカの国力は分かっていたが勝てる見込みがあるか? 軍人なので半年一年は出来ると天皇に奏上した この一言がアメリカが本気になれば勝てないのが分かっているのに 短期決戦講和というもくろみでした。

goo-par1732
質問者

お礼

海軍が「大敗北」を陸軍に隠したのは、やはり「仲が悪い」からという理由だけみたいですね。 もともと対米英蘭戦争は、大義名分がない戦争だと私は思っていますが、もしあるのなら、大義名分が泣きますね。  >短期決戦講和というもくろみでした。 始めるのは簡単だが、終えるのはむずかしいとか。 ご回答ありがとうございました。

noname#94392
noname#94392
回答No.3

陸軍はノモンハンでのロシアに喫した大敗戦を隠した前歴があるので、海軍も陸軍の痛いところがわかっているので、文句は言われるかもしれないけれども大敗戦を過小評価して大本営発表にすることを陸軍が受容すると踏んだものと思われます。  たとえ、ばれたにせよどうしようもない戦局になっていたはずですが、天皇も国民も戦争遂行上は事実上蚊帳の外だったのです。  木戸内大臣が全て伝えていたはずです。彼は天皇と自分に戦争責任が及ばないよう日記をつけたとのことです。

goo-par1732
質問者

お礼

>大敗戦を過小評価して大本営発表にすることを陸軍が受容すると踏んだものと思われます。 軍が国民にウソを発表することは、そんなものだと理解できます。 しかし、陸軍と共謀して「大本営発表」をしたとすれば、なぜ、陸軍出身の東條首相は「大敗北」を知らされていなかったのか、という疑問が出てきました。 つまり、陸軍出身であっても内閣に入れば「名ばかり首相」となり、陸軍が知り得た「大敗北」の事実の報告はなかったということになるのですね。 >陸軍はノモンハンでのロシアに喫した大敗戦を隠した前歴があるので…。 もともと勝てる見込みがあって始めた戦争ではないと私は思っていますので、こんな会話が聞こえてきそうです。 陸軍が海軍に 「どうして本当のことを教えてくれないのだ」 「ノモンハンのお返しですよ」 「そういうことね。了解」 なんだか寒々としてきます。 ご回答ありがとうございました。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.1

詳細はあとの方に託して、 恐ろしいことですが、海軍と陸軍は、お役所がちがいます。あの戦争で例えば陸軍が船など使いたい、護衛が欲しい、というような場合は「海軍に要請し話し合って」その作戦をしていました。つまり、陸海一括に戦略指導する総司令部、がなかったのです。真珠湾の時、「大本営陸海軍部発表」という一言、陸海軍部、となっています。 ですから、海軍は陸軍に報告は「あとまわし」にしていた。ただ、恐らく宮中には何らかの形で(これは私にはわかりませんが、政界筋、海軍の一部、同盟通信関係、外務省、からの可能性もあるでしょう)伝わっていたことは、想像できるとおもいます。 ただ、海軍大臣が嶋田から米内に代わった時、米内大臣が「なんだ、ウソの報告をお上にしていたのか」と唖然としたそうなので、こればかりはなんともいえません。

goo-par1732
質問者

お礼

>海軍は陸軍に報告は「あとまわし」にしていた。 省益優先のお役所仕事とはそんなものなのでしょうね。 「やっぱりアメリカは強かったではないか!」  「言っておきますが、オレはあの作戦に反対でした。」 昔も今も変わらないみたいですね。 ご回答ありがとうございました。

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