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今思い出す母親にされた何気ない発言と態度

こんにちは。半年前に結婚をしました。今旦那様と子供ができると良いね~と良く話しているこの頃です。 子供ができたらこれをしてあげようあれをしてあげようと考えるだけで楽しみなのですが、、そう考え始めてから私が母にどう育てられたか考えるようになり、それは決してよいものではありませんでした。 母の名誉の為に言いますが、完全に悪い母だけではありませんでした。行事ごとには時間どうりにあらわれ子供ながらに信頼のできる母でした。私は母を愛しています。 しかし結婚してから、幼いころ母に言われたことが妙に思い出されるのです。(今まできにしていなかったのに) 小学校5年生のころ私のくせ毛の髪を前髪だけあげていたとき母は麻原ショウコウのようだと言ったのです。思い出すと溢れてくるもので妹ばかりに愛情がいっていたことも思い出しました。姉として年上として成長して欲しかったんでしょうね(^-^;)でも当時を思い出すと辛いですね。 こういった体験をされた方に質問です。大人になってきづいた時母親とどうやってその溝を埋めましたか。

みんなの回答

回答No.7

良くわかります、そのお気持ち。私は幼い頃から、どうしてこんな親の間に生まれてしまったのだろう・・・と考えていました。困った時や悩んでいる時には、すぐに最優先で助けてくれようとしていた事は事実です。が、普段の言葉や暴力、裏切りにいつも神経を張っていて、当たり前になって来ていました。 家を出て、一人暮らしをしても夢でうなされ、なぜ、あの時、ああ言い返さなかったのだろう・・・等、一人で後悔したり、トラウマのように、いろいろ溢れてくるんですよね。 でも、自分が家庭を持ち、あの時と同じ年齢になってくると、親のレベル(?)がわかってきた気がします。親は、自分よりできて当たり前、優れて当たり前のような、変な固定観念が母親なのに、父親のクセに・・・という感情をつくるのかな?って思うようになりました。親は親でも、やはり人間。完璧な子育て、完璧な対応なんてできないですよね。親だけど、人間が持つ感情で生きている。過ちだって、あって当然だって思うようになりました。 ある時、私の新居から帰る際、手紙をくれました。 「親を越して、いい家庭を築いた事、嬉しく思います」とありました。 あの時の言葉や暴力は、未熟な親の態度ではなく、未熟な人間であった為だと思う事にしました。 そして、未熟ながらも「親」をがんばってきた事にがんばったんだねって言ってあげられるくらい自分を成長させて、トラウマから開放されたいって思いながら毎日を送っているところです。 前向きにいきましょう!

  • haruka18
  • ベストアンサー率36% (78/213)
回答No.6

私は「お互いさま」だと思っています。 何気ない一言や態度って自分ではあまり覚えてないんですよね。だから私も母を傷つけることをしたんだろうな、と思います。またけんかの時に言った言葉は覚えていて「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう」と後悔の念に襲われることもあります。 大切な人とのトラブルって傷つけた方も傷ついた方もダメージが大きいですよね。 私には年子の妹がおり、彼女は要領がよくて母にもよくほめられてました。私が同じことをしても特にほめられず、「いつも妹ばっかり・・・」と思ったものです。でも今思えば、しっかりしていた私がいろいろできるのは当たり前でそこそこ一人前として見てくれてたのかもしれません。 お母様を愛していらっしゃるのはお母様から愛情を注がれた証なので、無理に意識して埋めなくても、渡ってその愛で超えられる溝だといいなと思います。

  • nippar
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.5

私は出産里帰りした時に母と赤ちゃんを見ながら過去の話をしました。 うちの父は小さいころとても厳しく(生活態度が悪いと暴力を振るう方で今思えば完全にDVです)母や兄、反抗期の私にとてもひどいことをしてました。たとえば、(私が悪い前提で) ■雪降ってる中外出され水ぶっ掛けられた上、30分ほど放置。 ■玩具をめちゃめちゃに壊され、ものすごく叩き回された。 ■ラジオ体操遅刻したからみんなの前で平手打ち(めがね吹っ飛び) ■母、けられて腰骨折(これは最近分かった事で、子供に言うとなんて父親!となるから言わなかったそうです。でも当時言っても納得してたと思いますけど) と、数えられないくらいまだまだあります。厳しい父でしたがその分母親がカバーしてたのもありますから非行に走らなかったのかも(^^ゞ 両親のうちどちらかが怒り役、慰め役をするのでしょうかね…。質問者様のお父さんはどうでしたか? 一番頭に来たのは、弟の行動が私のせいだ!と言ったので切れてしまい、それから3年位かな?家の中でも口もきかず、目も合わせずしてました。 転機は兄の結婚です。家族が一人増えることでなんとなくしがらみみたいなものがとれました。(別居してますが) そして孫が出来ればますます丸くなり、もうあの血気盛んな父ではなくなりました。 今、思うのはそんな父でも私の将来のことを考えてくれてたことや暴力以上に恩があるので全部許してます。孫が出来てとっても仲良しになってます。 言葉で受けた暴力ではないので質問者さまとはちょっと違うかもしれませんが、姪っ子や私の子供が更に溝を埋めたように思います。そしてここまでこれたのも親のおかげだと思うと親に対し優しくなれます。 ひどいことされましたけど今では笑ってあんときはきつかった~と話してますよ。

noname#13554
noname#13554
回答No.4

私も同様かも。 妹は顔立ちが美人と評判だった祖母に似ていたので、 妹のことはかなり自慢だったようで。 一方、姉の私は「女の子なのに少しも女らしくなくて恥ずかしい」とよく言われてました。 溝ですか? 埋まってませんね・・・私ももう40になりますが、 普通に接するし話もするけど、愛情はないと感じます。 何かあれば親だから、一応恩だけは返すけど、何をしてあげたいとか、喜ばせてあげたいとは思いません。 残念ながら・・・恨みや憎しみはないけど何も感じませんね・・・ もう歳のせいか子供の頃の記憶もよく思い出せなくて。何を言われたかも覚えてないのですが・・・ 自分の子どもには言葉より、いっぱい抱きしめてあげたいと思ってます。愛されたという実感を与えたあげたい。まあ、難しいことも多々あるんですけどね。 やっぱり、子供も上と下では性格も違うし、かわいいと思う度合いも違うので、母の気持ちも少しはわかるし。やっぱり同じことしてしまうのかな・・・ もう一度、同じ親の元に生まれてきたいと言える人がうらやましいですよ。

noname#15782
noname#15782
回答No.3

私の場合は父親です。 思春期には、生活態度を注意され、3姉妹の中で私だけが、父親に殴られる というような経験をしていました。でもそれは、やはり私に否があるのだ ということがよくわかっていました。だから、無意識に封印していた事柄 について思い出すまでは、父の事を心から尊敬していました。 結婚前に初めて思い出してしまい、結婚式の両親への手紙を書くのにとても 苦労しましたが、それからまた第3子妊娠中まで忘れていました。 第3子妊娠中思い出した時には、姉に相談の手紙を書きました。 『思い出すと許せない。父は最低。罵倒したいがどうか。』という内容です。 姉は、『もう老い先短いのだから、仲良くしようよ。』と返事をくれました。 そこで、私も許しはしないけど、他の家族のためにも、このまま波風を 立てるような事はしないと心に決めました。今は一応普通に付き合いを しています。 でも多分、父が死んだら、墓参りの度に心の中で『あなたのことを 軽蔑 していた。』と話しかけると思います。悲しいですけど。

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回答No.2

私も全く同じように、結婚してから(妊娠してから)忘れていた子供時代を次々に思い出しました。 かなりハードな内容です。(下記参考URLにて) その時の親の気持ちを聞きたくて、子供時代に伝えられなかった気持ちを、親に伝えようとしたのですが、「そんなこと忘れた」と言い捨てられてしまいました。 すごく腹が立って、6年間くらい、親のことを考えるだけで怒りがこみ上げてきました。 最近やっと心の整理が付いて、私が辛い思いをするなんて当時は考えもしなかったんだと思えるようにもなってきました。 本当は、母親と当時のことを話し合って、母親の愛情を再確認する事が一番良いように思うのですが、私は否定されてしまったので逆効果でした。 当時のことを、妹さんやお父さんと話してみるのも、良い手だと思います。あなたから見た母親とまた違った見方をしているかも知れません。 それで母親の愛情を再確認できたら、幸いだと思います。 直接母親は、返り討ちされるかも(あなたの母親は違うとおもいますが...)知れないので、ここでは、お奨めはしないことにします。 溝を埋められなかった人のアドバイスですいません。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=786292
回答No.1

僕もあります。 「思い出すと溢れてくるもので…」と書かれているとおりですね。 テストで90点取ったら「こんな点数誰でも取れる」だとか、大学進学のときも「あんな大学…」といわれましたし、大学4年の教育実習の前日に「あんたは教壇にたったら緊張して声が出えへんやろな、ハハハ…」なんていわれましたね。一番の喧嘩の原因になったのは「あんたは何してもブサイクや!ブサイクは何しても変わらへん。死ぬまで我慢せな仕方ない!」て言われました。この言葉で僕は家を出て一人暮らしをしました。 よくぶつかりましたね。この人は親失格やとずっと思っていました。一番下の言葉はいまでもこたえます。 僕が30歳の誕生日、母からの携帯のメールが忘れられません。「よおここまで大きなってくれた、おおきに。頼りない親やけどこれからもよろしく。」 涙が止まりませんでした。この拙いメールで吹っ切れました。

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