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大山倍達って強いの?

taka-ismの回答

  • taka-ism
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回答No.4

 No1です。  質問者さんの言うとおり、ストリートファイト最強=実際の強さと言う事か? と言うことに関しては確かに言い切れません。ただ、喧嘩最強ではあったとは思います。だって、ストリートファイト=喧嘩ですから。  そして、当時空手どころかほとんどの立ち技系格闘技(ボクシング以外)にはしっかりとしたルールがありませんでした。ですから、他流試合の為のルール調整も無く、目潰し金的噛み付きまでありのなんでもありとしかやりようがありませんでした。  さらに、それはSHOWの国アメリカだからマシな話であり、日本やアジアの場合、観客と金を集めて広い場所で衆人環視の中試合をするなんて習慣自体がありませんでした。立会人と試合人の3人でやったとしても、お互い自分の道場の看板が建前上かかっているため、試合結果がばれた時点でその道場はつぶれる為、お互いの名誉の為結果は伏せられたようです。ですから、闇では柔術、柔道、合気道(塩田剛三には負けたらしい)ともやっていたらしいです。後の人曰くそこでも負けなしだそうですが。  また、ムエタイなんかは知名度が一切無い時代でしたし、アマレスはオリンピック競技であくまでスポーツ、中国拳法は本格的な人は他流試合禁止だったのでおそらくやっていません。  もしかしたら、本当に最強を名乗る為には、ただ単純に力が強く、角があり、人が殺せる家畜の牛を殺すしか方法が無かったのかもしれませんね。  その後、ほとんどの立ち技系の競技はしっかりとしたルールが出来始めました。空手もルールが出来ましたが、フルコン、型、伝統系、競技系と今でも統一は出来ていません。さらに、極真空手ルールも出来ましたが、これは大山総裁が作ったものです。この中で他流試合が行われるのも変な話ですし、逆に大山倍達自身が相手のルールで戦うのもおかしな話です。  猪木がアリやウィリー・ウィリアムスと戦ったのはそれだけで意味のあることであったのです。  現在のように他流派同士が統一ルールでお互いの道場の威信をかけて戦えるようになり、その結果が報道されるようになったのはK-1が出来たここ15年ぐらいの話です。大山倍達の時代でそれを考えると、さぞうらやましい時代なんでしょうね。  おそらく、大山倍達は本当に強さを求めた求道者だと思います。そして、本当に強かったのだと思います。その強さを人に見せる方に進むと猪木に、自身を高め人を育成する方に進むと大山倍達になるのだろうなと思います。  まあ、ようするに大山倍達はすでに歴史上の人物です。戦後であっても、格闘技の創設期で結果の報道もされていないのですから、少なくとも現代の話ではありません。ですから、宮本武蔵や沖田総司が強かったのか? と言う質問と同じようなことになってしまいます。  ですから、言える事は唯一つ。文献や証言で強いと言っていたから強い!! 最強かどうかは結果が残っていないから分からないけど、現在もその道を進む人がいて大山総裁を尊敬する人がいる以上、極真の中では最強である!!  それしか言い様がありません。  納得いきましたでしょうか?

takenoko3
質問者

お礼

度々回答ありがとうございます 文献や証言で強いと言っていたから強い と言われてしまえばそれまで何ですが… 極真における大山さんのポジションは わかってるつもりです ただ本当はどうだったのかなという興味が わいて来てしまいまして… 疑問に思うのは戦歴が見事なほど あやふやなんですよ 特に勝ったのであればある程度誰に勝ったというのは わかると思うんですよ たとえば「こうどうかん」の柔道なんか明治の話しですが 大山さんよりは具体的な対戦記録が残ってると思います あえて記録を表に出さなかったとしか 思えなかったり 求道者にしてはあまりにも組織が大きくなってるのも 不思議です 求道者であれば相手の土俵ででも勝負してやるという 気持は無かったのでしょうか? 本当に一流の対戦相手を求めると言う意味で ストリートファイトでは本当の意味でのボクサーなんか出て来ないと思うんですが せいぜいボクサー崩れであったりプロレスラー崩れ が対戦相手ではと思っています その辺は個人としての強さよりも組織としての立場を考えていたのかもしれませんね

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