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科学=邪教?

宗教の側から見て「科学」=「邪教」である、という話しを聞いたことがあります。理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができないから…だったと思います。 私はその言葉を否定はできないと思うのですが、別に科学を否定する気もありません。皆さんはどう思いますか?ご意見を聞かせてください。 また、「科学」=「邪教」という言葉を論じているのは「~教」の立場だ!というのをわかればそれもお願いします。 できれば宗教に対する偏見のない方の回答をお待ちしております。

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  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.7

宗教と科学の違いについて、私が一番納得している説明は、「宗教は『なぜ?』と訊いてはいけないもの(信仰するもの)が多く、科学には基本的にそれがない」というものです。 神の存在の是非を問うことが許されない原理主義的な宗教は、それを問い質す正当な科学的アプローチに対し、その答えでも見解でもなく、怒りで応じます。前提に疑義を唱えられないのでは、科学の俎上に乗っけられません。 この立場から、自身の浅学を承知で言えば、禅など(を含む一部の仏教)は思想であっても宗教ではないと私は捉えています。「親に会えば親を殺し、師に会えば師を殺し、仏に会えば仏を殺す」は、ある意味で非常に科学的なアプローチではないでしょうか。 以上は科学の立場から(原理主義的な)宗教を見たときの視点ですが、逆の視点ではどのような(理性的な・合理的な)反論があるのでしょうか。寡聞にして知りません。護るものが大きすぎるため、防戦一方のように思います。「欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない」という指摘に対し、科学は「そういう側面もあるかもしれない。それがなにか?」となり、かみ合わないのです。善悪・正邪という観点が、ただの手法である科学にはないからです。宗教の抱える善悪・正邪そのものを検証する手法はなんでしょうか。 ここまでは宗教に対し偏見を極力排除した立場で書いたのですが(笑)、宗教と名の付く、欲望全開で永遠に満たされない多くの教祖・教団を見ると、先の「科学」=「邪教」と断ずる理由が、天に唾するようなものに思えて仕方ありません。これは偏見&蛇足。 科学はただのメソッドなのですから、邪悪な科学者はいると思います。そして宗教者の多くは倫理的に素晴らしい方々でしょう。あとは、倫理的であるために必要なものが、宗教や信仰心なのだろうか、という問いではないでしょうか。

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  • Quant
  • ベストアンサー率18% (23/122)
回答No.6

>宗教の側から見て「科学」=「邪教」である、という話しを聞い >たことがあります。理由は欲望を際限なく増幅させ、満ち足りる >ということができないから…だったと思います。 >私はその言葉を否定はできないと思うのですが、別に科学を否定 >する気もありません。皆さんはどう思いますか?ご意見を聞かせ >てください。 という質問だったと思うのですが、喧嘩を売っているとしか思えない補足がついていたので、科学教の信者としての私の見解を述べておきます。 >「科学教」を信じる人々は、他の宗教に排他的といいますか… 排他的がどうかは個人の資質の問題でどんな宗教を信じているかということとは無関係だと思います。「科学教」を信じる人でも、他の宗教に排他的な人もいるし、そうでない人もいると思います。 >「宗教」を否定するならば、明確な論理がないという点で「おばあちゃんの知恵袋」も否定して欲しい。 科学は論理で否定するのではなく事実で否定します。 コンピュータの世界でGIGO(garbage in,garbage out)といわれます。ゴミを入れれば、どんなに"明確な論理"で貫かれたプログラムを通しても、ゴミの結果しか出て来ないという意味です。まあ、プログラムにバグがあってまともなデータを入れてもゴミしか出ないこともありますが。 論理は推論の末にたどり着いた結論が正しいことを保障するものであって、ある命題が正しいかどうかについては何もいえないのです。科学ではある命題が正しいかどうかは実験で確かめます。実験で肯定も否定も出来ないものは、真偽不明とします。明確な論理によるよりも明確でしょう。 科学は"おばあちゃんの知恵袋"という一括りではものは考えません。個々の事例に当たって実験によって否定できるものは否定し、肯定できるものは肯定し、わからないものはわからないとはっきり言います。 >「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。 いつのまにか、神が自然に変わってますね。よくあるパターンですが。 自然に感謝するかどうかも、個人の資質にかかわる問題で、どの宗教を信じるということとは関係ないと思います。 >キリスト教で「神」=「全能」であるように、「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。 「科学教」を信じる人々のなかで、"科学"の何たるかを知っている人は、「科学」=「全能」などとは思ってはいないと思います。科学で出来ないことは山ほどありますから。 他の存在を全否定するかどうかは、これも個人の資質かと思います。

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  • pastorius
  • ベストアンサー率48% (538/1110)
回答No.5

科学のようなものであっても、似非科学といわれるものが大手を振ってまかり通っていたりします。また科学的常識も日々「新しい発見」によって覆ってゆきます。 科学とはそもそも教義ではありません。しかし真に科学的な態度で科学に接している人は、少ないのではないかと思います。科学者の中にも、科学を教義であるかのように振り回す人がいる。 真に科学的な態度とは、可能な限り真実を究明することに努め、それでもわからないことはわからないとして尊重する態度です。 わからないということを許容するかどうかが、宗教と全く異質な部分のひとつではないでしょうか。宗教と科学は部分的に矛盾することがあっても並存できます。 「欲望を際限なく増幅させ、満ち足りるということができない」という宗教からの科学に対する批判があるとします(ぼくは直接知りませんが)。しかし欲望に際限が無いという特質は、科学の持つ特質ではなくて、人間を人間らしくしている極めて重要な特質だと言えます。 この特質が無く、人間が以って足りることを知っていたとすると、人間は種として滅びていた可能性すらあります。 人間種の中にもいろいろなグループがあったと想像して下さい。その中で最も貪欲であった種が生き残ることができたのです。卑近には、オーストラリアのアボリジニやアメリカンインディアンよりもヨーロッパ民族の方が貪欲であったし、アイヌよりも大和民族の方が貪欲であったから、オーストラリア大陸や南北アメリカ大陸の原住民族は事実上滅ぼされていますし、北海道のアイヌ民族も事実上滅亡しています。これは日本は豪州や米国がどうかという問題ではなく、おそらくヨーロッパでもユーラシアでも、歴史上ものすごく膨大な数の民族が民族として滅びて消滅しているのだと考えられます。他の民族に吸収されたのではなく、全滅したと記録されている民族だってたくさんあります。 これについて、北米インディアンが事実上滅ぼされた理由が、鉄の武器、銃器によると言うなら、それは科学によるということができますが、北米で原住民族を侵略するときに先鞭をつけたのは、常にキリスト教を布教する牧師であったという事実もまたあります。 いかなる宗教も、人間が子を生み、生まれた子を健康に育てることを禁じません。現在信じられている主だった世界の宗教は、1000年以上の歴史がありますが、もし1000年前から人の繁栄を禁止する宗教を信じている民族がいたとすると、その民族は1000年前と同じ生活をしていて、1000年前と同じ人口しかいないということになります。そのような民族、宗教は、1000年の間に他の民族に滅ぼされていると考える方が自然でしょう。 人が栄えることを戒める宗教は無いのです。人口増加を抑制しようだとか、或いは無駄な消費を慎もうといった考えが近年世界的に主流となっているのは、人口の増加や資源の消費が人類にとって悪影響となる程度になったからに過ぎません。私たちが環境に対する影響を口にするのは、環境が悪いことが私たちにとって良く無いことだからです。そもそも或る環境が「悪い」か「良い」かと判断するのは人間なのです。 宗教か科学かではなく、本質的には人間が欲するところの際限を知らないのです。しかし近年は、この特質のために、「人間にとって有効な」地球資源を枯渇させて、人間は自ら滅びへ向かおうとしています。 満足すべきか貪欲であるべきかという短絡的な白黒議論ではなく、極端にならない適当さと臨機応変であることが必要じゃないでしょうか。 話がかなり飛びましたが、科学は欲望の際限が無いから邪教であるなどという宗教信者は、科学とは何か、人とは何か、或いは宗教それ自体に対しても、考えが足りず短絡的な人だと思います。 現代の状況に対して「何が悪い」などという魔女探しをしても、目の前にある問題の解決には近付きません。

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  • Quant
  • ベストアンサー率18% (23/122)
回答No.4

「科学」=「邪教」というのは、科学は教義の矛盾を暴くことがあるので、教祖にとって都合が悪いからでしょう。 キリスト教と錬金術の関係では、錬金術はキリスト教グノーシス派の人たちと関係があるようで、神のやったことを真似て鉛から金を精製しようとしたことが正統派キリスト教の怒りを買ったようです。神の領域に踏み込んではいけないということですね。科学が錬金術の延長線上にあるということを否定する見方もありますが、ニュートンが錬金術に傾倒していたという文書もあるようで、現代の科学が神の領域に踏み込んでいっているのが気に食わないのでしょう。 人が賢くなることは、旧約聖書で神から禁じられていますからね。信者が知的好奇心をもって、知識を追求することは教祖にとって都合が悪いんでしょうね。

ituka67
質問者

お礼

>科学は教義の矛盾を暴くことがあるので、教祖にとって都合が悪いから 確かに不都合なことはあるでしょうね。しかしこの場合、「科学」が「宗教を否定」するということを踏まえてということですよね。 私は「科学」も否定しませんが、「宗教」を否定する気もありませんのでなんとも言いがたいのですが…。 >神の領域に踏み込んではいけない~ でも、科学が神の領域を云々という話しは、むしろ科学自ら神の領域に挑戦!っていうのもあると思うのですけれど。 >人が賢くなることは、旧約聖書で神から禁じられていますからね。 確かにこれは言えますね。納得です。 ご回答ありがとうございます。参考になりました!

ituka67
質問者

補足

う~ん。 なんといいますか、「科学教」を信じる人々は、他の宗教に排他的といいますか…、私にはそう思えてなりません。 キリスト教で「神」=「全能」であるように、「科学教」も「科学」=「全能」、他の存在は全否定というような…。 すみません。喧嘩売ってるわけではないのですが…。 私の考えでは「宗教」の中に「科学」は含まれている思うんですよね。 古代から天文学は発達していましたし。オーパーツもありますし。 そこから宗派が分かれたように、「科学」が一つの宗教として確立したようなイメージなんですが。 異論反論があるのはわかっております。 しかし、「宗教」も「科学」の意外と近い領域あるのでは…と思えてなりません。 「宗教」を否定するならば、明確な論理がないという点で「おばあちゃんの知恵袋」も否定して欲しい。 いえ、Quant様がそうおっしゃっているとは思いませんが。 脱線してしまいましたね。 人間が「科学」を用いて「神」になれば、やはり他の存在に対して傍若無人になるのではないかと。 「宗教」は少なからず神(自然)に感謝していると思うのですよね。 うまく言えないのですが、「宗教の中に存在する科学」では自然をないがしろにはしなくても、「科学」はないがしろにしているように感じられるんですよね。 そういう意味で「邪教」というか…。 しかし、私個人の意見が正しいとは全く思っておりませんので、皆様のご意見、まだまだお待ちしています!

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  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

「科学」=「邪教」という言葉を論じているのは「~教」 これは、世界三大宗教の一派に有りますね。原理主義という一派ですね。世界三大宗教の発祥は遅いものでもすでに1500年以上が経過していますね。原理主義はこれをその時代に戻そうというのですから科学文明否定ですね。言い換えれば、「科学」=「邪教」ですね。現在一番目に付くのがイスラム原理主義ですね。あちこち爆破していますね。それからキリスト教原理だって危ないですね。仏教にも原理主義ありますね。山にこもって滝に打たれる日々ですね。こういう一派に染まれば「科学」=「邪教」になるでしょうね。過去を懐かしみ過去のままでいたいということでしょうね。宗教も日々変化しているのですね時代にあった教えが必要ですね。文明の進化に逆らえば過去ものは葬り去られるということですね。

ituka67
質問者

お礼

>原理主義はこれをその時代に戻そうというのですから科学文明否定ですね。 これぞまさに!って感じですね。 >過去を懐かしみ過去のままでいたいということでしょうね。 たしかにこのような思想は宗教のみならず生きている上でもありますよね。 >こういう一派に染まれば「科学」=「邪教」になるでしょうね。 凝り固まった思想は、排他的な立場になりやすいということでしょうか? これで「原理主義が元」に2票(?)ですね。 ご回答ありがとうございます。解説わかりやすいです。参考になりました!

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  • nobuchi
  • ベストアンサー率54% (475/875)
回答No.2

こんにちは、 私は科学者でも宗教家でもない、ただのオカルト好きなので・・ そのような観点と知識から考察しますね。 まず、そこでいう「科学」と「宗教」 おのおのを定義しておく必要があると思います。 ・・っと言うのも、「自然科学」と「実験(検証)科学」では意味合いが異なりますし。「宗教」も「自然信仰」と「一神教・原理主義」ではまったく性格が異なります。さらに、「宗教」は必ず大衆操作としての思想システムの面と、真理探究の秘教的な面を持ち、これらは別に論じなければなりません。 多くの東洋系思想では必ずしも「宗教」は「科学」と対立するものではありません。むしろ、自然の神秘を解き明かし、知恵を深めるのは秘教的意義からも重要な事だとされています。 実際にチベット仏教などでは高僧と呼ばれる人も大学で物理学を教えていたり、物理学者が古代の哲学を学ぶために僧院を訪れたりします。 インドのヴェーダをはじめとする知識体系も「西洋科学」の何千年も前に成立しています。 さて、目先を変えますと その「科学=邪教」というのは中世ヨーロッパの話なんじゃないでしょうか。 いわゆる「キリスト教 vs 隠秘学(オカルト)」の時代です。 よく知られるように「西洋魔術」の中には「錬金術」というカテゴリがあり、これが現代科学の「化学」の基礎になりました。 当時の「キリスト教」は土俗信仰も魔術もすべて異端とされていたわけで、その影響が「科学=邪教」につながっているのでしょう。 「欲望を際限なく・・云々」ってのは異端視するための理由付けでしかないのではないでしょうか? また、なぜ当時のキリスト教が科学を恐れたかというと、その理由は一つ・・「神の威光が揺らぐ」からです。往々にして当時の「神」は絶対唯一の存在ですべての自然を司り、すべての存在原理であったから。「科学」がその神秘を解き明かしたら・・「宗教」というより「宗教家・教会関係者」が生活に困りますからね。 ですが、現代においては一部の過激な宗派を除き、「科学」は人の知恵として探求すべきと見方が変わっています。 あのヴァチカンも科学アカデミーを持ち、最新科学について論じているそうですし。例えば、「宇宙の始まり」などといったテーマの探求者(科学者)は科学と哲学と宗教の接点であり、そこから新たな「科学」が生まれるかもしれません。科学は神の存在を立証し、宗教は科学によって神に近づく・・そんな関係が将来の姿かもしれないのです。 で、その一部の過激なものですが 原理主義と呼ばれる宗派(西洋・東洋を問わず)の中には強烈な「自然回帰思想」を持つ場合があります。いわゆる「物質社会」を嫌い「精神性」の中に価値を見出す人達。 彼らにとってはまさに「科学=欲望」となっても然るべきです。 現代においても科学を敵視する宗教があるとすれば、そういった宗派ではないでしょうか。 えーっと、んーっと・・・具体的な名称を挙げるとすれば・・ あ~~ 資料が見つからない(^-^;  本の山のどこかにあるのですが、 世俗を絶って独自のコミュニティを作るような人々が、そうした「科学=邪教」とのたまうのでしょう。

ituka67
質問者

お礼

>私は科学者でも宗教家でもない、ただのオカルト好きなので・・ 同じく私もです(しかも知識が浅い)のでドンとコイです(笑) >おのおのを定義しておく必要があると思います。~ 確かにそれは言えますね。明確にしておく必要がありますが、残念ながら私の記憶は曖昧です。申し訳ない。 >多くの東洋系思想では必ずしも「宗教」は「科学」と対立するものではありません。むしろ、自然の神秘を解き明かし、知恵を深めるのは秘教的意義からも重要な事だとされています。 「科学」が「自然の神秘を解き明かす」という面においては、「宗教」にも同じ面があると思っていますので、うなずけます。 >その「科学=邪教」というのは中世ヨーロッパの話なんじゃないでしょうか。~ >キリスト教が科学を恐れた そうかもしれません。ある本で読んだのですが、キリスト教の信者はいまだに「地動説」ではなく「天地創造」の話しを信じているとか…。これは本当なのでしょうか? >原理主義と呼ばれる宗派(西洋・東洋を問わず)の中には強烈な「自然回帰思想」を持つ場合があります。いわゆる「物質社会」を嫌い「精神性」の中に価値を見出す人達。 >彼らにとってはまさに「科学=欲望」となっても然るべきです。 なにやらとっても私の聞いた話と近いかもしれないですね。 「科学」は楽するものを生み出すので、そしてさらに生み出そうとしているので「邪教」といったかんじだったような…。 たくさんのご意見、参考になります。ありがとうございました。

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  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.1

「科学は邪教」で検索すると中国政府が法輪功を批判しているページが出てきたのですが… 国内の宗教についていえば、宗教団体でも自動車や電話やコンピュータや印刷機など文明の利器を大いに利用しているわけですし、科学の中で自身の教義に反する部分は否定するが、それ以外の部分は否定しないという態度だと思います。

ituka67
質問者

お礼

>科学の中で自身の教義に反する部分は否定するが、それ以外の部分は否定しないという態度 ああ、なるほど…。 確かに宗教者も文明の利器を使っていますよね。私も使っているので「科学を否定はしない」という言葉を使いました。 >法輪功を批判しているページ いくつか見つけて読みました。これは「法輪功」が「科学」を否定しているかのようなので、「法輪功」=「邪教」という内容でいいのですよね? そういう面では「「科学」=「邪教」と見なしている団体」と捉えてもいいのかもしれません。私は「法輪功」を詳しく知らないので一概にそうとも言い切れませんけど。 でも、その話しを聞いたのは仏教大の宗教学を学んでいた時期でしたので、そうかもしれません!参考になりました! ご回答ありがとうございます。たくさんの方の色々なご意見を聞きたいと思っていますので、shkwta様のご意見を伺えたこと、大変うれしく思っています。

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