ituka67のプロフィール

@ituka67 ituka67
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  • 登録日2005/06/05
  • 初期仏教の慈悲の概念?

    宮元啓一『ブッダが考えたこと』を読みました。 それによると、・・ 仏陀の時代、仏陀教団は、周りのバラモン達と対立関係にあった。 そのため仏陀は、彼ら敵対者を「悪魔」と呼び、親和的な人を「神」と呼んだ。 敵対者からの迫害に耐えるのが、慈悲であり、本来は難行苦行であった・・、 とのことです。なお、悪魔の概念としては、この他、自然環境(災害)など修行を邪魔するものも含むとしています。 残念ながら根拠についてはほとんど触れられていません。 著書に於いて、そのことについて触れた部分の最初では、「後ほど細かく根拠を言う」としつつ、後の部分では「先ほども言ったように」と書かれていて、結局触れないままで、現在の仏教学を否定されております。これでは分かりません。そこで私なりに、どのあたりを根拠とされているのか、一応の目安を付けてみたのですが、綺麗に割り切れるとも思えず、どうなっているのか、詳しい方の意見も聞きたいです。 前提になる問いが2つと、本題の問いです。 1,まずは、前提。釈尊時代、教団は、伝統的教団からさげすまれ、攻撃される立場でしたか? 確かに或る経典などには、異教に対して手厳しい釈尊ですが、そうでもない要素もありますし、攻撃性が釈尊時代のものであったか、というのをどの経典のどういう部分から根拠とするかが大きな問題となり(同氏の本は、成立論と根拠に一切触れないので結論だけが唐突に出ているのだと思います)、色々難しいと思うのですが、基本ラインのお考えで結構です。 2,神とか悪魔は、人のことと言い切れる根拠をご存じですか? 3,本題。慈悲の概念は、伝統的宗教家からさげすまれた自由思想家が、迫害者へ向けた克服法で、苦行だったのですか? そういう伝統が仏教のみならず、沙門にあったかのような書き方でしたが、何か根拠をご存じでしょうか? 長文失礼しました。お願いします。 

  • 「おそれがある」の使い方

    毎年、台風シーズンが来てNHKの台風情報を聞くたびに気になるのですが、台風の上陸がほぼ確実になった段階になっても、時には上陸寸前の段階になっていてもまだ「上陸するおそれがあります」という表現が使われています。 私の感覚では、「おそれがある」は「可能性がある」と同義(ただし良い事には使えないが)なので、あくまで「可能性」の段階で使われるべきであって、ほぼ確実になった段階では「見込みである」「見通しである」「予想されている」などが使われるべきではないかと考えます。 もしも「おそれがある」が「見込みである」と同義に使われると、視聴者に危険度に関する誤った認識を与えるおそれがあるのではないかと思います。 (この文章の{おそれがある}は{可能性がある}と同義で書いています) たとえば、地震の後で「津波が発生するおそれがあります」と言われたら、「津波が発生する見込みです」と言う風に理解しなくてはいけないのでしょうか?

  • 自殺って?

    何で人間は自殺することができるんですかね? 他の生物で自殺したってのはあまり聞いたことがないですよね? 生物の第一の目標が生きることだと思うのですが。 借金とか罪の意識とかいじめられたという理由は理解できるのですが、なぜそこから自殺という選択肢を選ぶことができるんでしょうか? 皆さんの意見が聞きたいです。よろしくお願いします。

  • 対義語を教えてください。

    「当商品では・・・」などで使う『当』の対義語って あるのでしょうか? 教えてください。

  • 「と」

    日本語を勉強中。 「これでよし、と!」 「と」は、どういう意味でしょうか?どう理解すればいいでしょうか?