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江戸時代の銭の発行

地方の藩で銅銭などの発行が許されてた藩がありますがこれは今の時代と同じく古い古銭と交換と言う形で世に出されていったのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.3

江戸時代銭や文という貨幣は価格も低いので消耗するまで通用させるのが普通で、各種の通貨が混在していました。 回収などは行いません。 それより高額の銀貨金貨は多くの場合改鋳して品位を下げるので(通貨量を増して流通や財政の建て直しの為)回収、交換が行われるのが常でした。 銭や文という貨幣は後に硬貨と藩札という各藩が独自に発行した紙幣とが併用されました。 これは鉄、銅の資源が次第に枯渇してきたからです。

mersess
質問者

お礼

銭は併用ですね、ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

 併用して流通していました。当時の「日本」は今の日本のような中央集権国家ではなく、むしろEUにちかい状態だったので、何種類もの貨幣が併用されていたのです。古い貨幣も、今のように造幣局が徐々に回収するのではなくて、普通にいつまでも市場で使われていました(改鋳の場合には次第に回収していったようですが、民間で供出に応じないことが多かったようです)。古い貨幣ほど貴金属(金銀)の含有率が高いので、何時代の小判は今の小判何枚分というふうに細かいレートが設定されていたようです。両替商というのは、こういう複雑な貨幣制度に対応するために存在していたものです。

mersess
質問者

お礼

民間が供出に応じないのですか、どうもありがとうございます。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

ふつうに銭として発行されたものです。 別に昔の銭と交換でしか世に出なかったということはなかったと思いますが。

mersess
質問者

お礼

ありがとうございます。

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