• ベストアンサー

江戸時代

江戸の三大改革や田沼政治、大御所時代の政治などの政策・法令は全国一律で実施されたんでしょうか?天領だけってことはないですか? 版籍奉還・廃藩置県を勉強していたら、江戸時代の徴税権・軍事権は藩に帰属していると知ったので、それなら藩政も藩本位で行っているのかなあ・・・とか思って、、、つまり江戸時代は完全な中央集権でなく、地方分権的な要素も多かったのかなあ・・・と思ったわけなんですが・・・。地方分権であるなら、生類憐みの令や三大改革は全国規模でなく、天領だけなのかもしれないという勝手な想像なんですけど、、、どうでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

すでに専門家が回答されていますので、生類憐み令についてちょっと。 生類憐み令というまとまった一つの法令があるのではないですが、その趣旨に沿う政策が幕法として幕府領、私領(大名領)に出されています。 例えば、捨牛馬禁の幕法が諸藩に徹底されています。そのことは、諸藩の牛馬についての政策や規制が幕法の後に目だって多くなることから分かります。 例えば、傷病馬の養生、死馬の届出、放れ駒・取り逃がし馬の注進、失踪馬の捜索等、事細かく規制されたことが、今に残る村の庄屋の記録文書から知ることができます。庄屋の職務の少なからぬ部分を占めていますね。 また、将軍・大名の狩猟は鷹狩でしたが、犬肉を鷹の餌とするので元禄6年9月、幕府は鷹の飼育を止めました。 江戸周辺に幕府から鷹場を与えられていた有力大名は、すべて鷹場を幕府に返上しました。さらに、自国領内でも鷹を飼うことを禁止しています。 しかし、同11年さらに厳守を求めた福井藩や同13年に鷹を放した盛岡藩などの例もあります。 尾張藩では領内で鷹を持って通る者がおり、幕府への聞こえもよくないとして取り締まりを命じたという記録も残っています。 幕法を全国に徹底した例では、宗門改めと鉄砲改めがあります。どちらも、藩主がその必要性を痛切に認識したからですね。 生類憐み令は、犬愛護が喧伝されていますが、それは極論すれば江戸だけの話です。 そんなことより、生類憐み令の生類には人を含んでいます。 諸藩では、捨子は厳罰、行き倒れや病気になった旅人を保護せねばならないと定めています。幕法の趣旨を正しく理解していますね。 なお、幕法は幕府領のみではなく私領(大名領)にも適用されます。

その他の回答 (3)

  • Kohki2666
  • ベストアンサー率23% (5/21)
回答No.4

参考になる本として、鸚鵡籠中記という本があります。 これは、尾張藩の侍で記録魔の人の日記なのですが、生類哀れみの令があるのに、ヤバいよなーと笑いながら何度も釣りに行って、たまに見つかって賄賂を渡して逃げたり、当時の藩政や幕法の流れ方の雰囲気が生き生きと伝わってくる本です。 中公新書や岩波文庫で刊行されていますし、二度ほど漫画にもなっているので、ご一読をお勧めします。

  • been
  • ベストアンサー率39% (490/1243)
回答No.2

少し専門的な話になりますが。。。 江戸時代は、もちろん地方分権社会でした。しかし、それは現代の地方分権とは大分ニュアンスが異なります。 封建時代の権力(法令)は多重構造になっています。これは、権力が土地に附属するものと観念され、土地の所有者は、その土地とそこに住む住民に対する支配権を有すると考えられていたからです(土地の所有者が単なる地主に過ぎない現代とは事情が全く異なります)。そして、土地の支配権は、下は農民から上は将軍に至るまで、多段階の重層構造になっていました。 当時、本百姓は土地の所有者でした(現代の所有権者とは意味が異なります)。百姓の本分を踏み外さない限り、自分の土地を自由に耕作する権利がありました。しかし、その土地には、上級所有者である藩主がおり、藩主もまた、その土地の使用権を保持しています。さらに、藩主の上には最高の所有者である将軍がいます。そして、上級の所有者は、直近下級の所有者の土地の保有・使用に介入する権限がありました(大名の国替えなどはこの権限を行使したものです)。 土地の所有者が多重構造ということになると、当然、その土地に附属する権力も多重構造ということになります。将軍の権力(法令)は、最高の土地所有者として全国に対して有効ですが、地方にはそれぞれ直近下級の土地所有者である藩主があって、将軍の法令は、直近下級の土地所有者である藩主に対して効力を発揮します。つまり、藩主には、その藩において将軍の法令をどのように施行するかについて一定の判断権(土地所有者としての権力)があったのです。ですから、将軍の法令が、現代の法律のように全国一律・完全に実施されるとは限りません。 天領は、将軍の直轄地ですから、将軍の法令は、直接、土地の使用者(農民)と住民(工・商)に作用します。また、参勤交代は、将軍の直近下級の藩主を対象とした法令なので、全国一律に作用したのです。これに対して生類憐れみの令などの諸法令は、藩主を通じて庶民に作用する法令なので、藩によって温度差が生じたのです。 江戸時代は、現代のように一つの物(土地)の権利者はただ一人(一物一権)という社会とは根本的に違う社会でした。また、公権と私権が未分化の社会でした。社会の仕組みが根本的に異なるので、現代社会に暮らす私たちの目から見て理解しにくい部分、理解したつもりでも実は大きな誤解、という部分が多々あるのです。

回答No.1

ものによりますね。 たとえば、生類憐みの令は全国規模でないという意見も多数あります。 逆に、参勤交代などは全国規模ですよね。 おっしゃるとおりかなり地方分権性が強くありましたよ。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう