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手紙はかならず宛先に届く

ghostbusterの回答

回答No.17

補足欄拝見するのが遅れました。 水槽様にお願いなんですが、できれば質問の文章をもう少し考えていただけるとありがたいと思います。 ラカンのことばをもとに、こうした一連のやりとりを楽しんでいらっしゃるのでしたら、もちろんそれも一種のインターテクストですから、わたしとしてもどうかご自由にお楽しみください、としか言えませんが、そのなかに入るつもりもありません。 単にお願いと受け取っていただければ良いのですが、もし、今後質問されるのでしたら、希望される回答の性格がある程度判断がつく(もちろんここのカテゴリではどんな質問であろうと、予測もつかない回答がつくときにはつくものですが)ような質問文を書いてくだされば、こちらとしても助かります。 まず、抑圧とか無意識とか、そちらのほうには踏み込まないことにします(わたしもまだラカンは入り口段階で、とてもではないけれど説明できるほど知らないからです。フロイトも基礎文献を何冊か読んだ程度に留まっていますし)。そういうことに踏み込まずに、「手紙はかならず宛先に届く」という字句に限定して、この言葉をもういちど説明します。 手紙がかならず宛先に届くのは、届いた先が宛先だからです。 この手紙というのは、差出人も、宛先も書いてない手紙だと思ってください。 そうした手紙が、ある日舞い込んできます。 不信に思いつつ、封を開けます。 けれども読んでいくうちに、自分に起こった過去のできごとが事細かに触れられていて、これはまぎれもなく自分に向けられた手紙だとわかってくる。自分以外のだれにも当てはまらないことがらが書いてある。 そんな手紙がどうして自分のところに来たんだろう。 宛先も書いてないのに、なぜ、自分のところに? その答えが「手紙がかならず宛先に届くのは、届いた先が宛先だからです」。 この話は何を現しているのか? それは、わたしたちの認識のありようです。 わたしたちは、「過去」を物語の形で認識しています。単独の、剥き出しの事実というものはない。 まず事象Aが起こる。 続いて、事象Bが起こる。 わたしたちは、かならずこのふたつのできごとをつないで理解しようとします。ふたつの事象の間に因果関係を見出そうとします。けれども、因果関係というのは、一種の「物語」なんです。 できごととできごとの間の空白を埋めるのが「物語」です。 そうして、わたしたちは「物語」という形でしか、ものごとを認識することができません。 わたしたちはさまざまな経験をします。けれども、この経験は、単独では意味を持ち得ません。いくつかの経験をつなぐ「物語」として、わたしたちは記憶に留めています。 けれども、この「物語」は、完了したものではなく、「いま」に繋がっています。 手紙が舞い込んでくる。 それに書いてあることを「まぎれもない自分の出来事」と思ってしまうのはなぜか? それは、わたしたちが過去の記憶の書き換えを行っているからです。 こんな経験はないでしょうか。 夢の中で、電話が鳴っていて、それに出なくては、と思ったところで目が覚めてみたら、ほんとうに目覚ましが鳴っていた。 ところが不思議なのは、その夢のストーリーというものが、電話が鳴らなくてはいけないようなストーリーを持っていることが少なくないのです。 実は、夢、というのは、目覚めたその瞬間に、遡及的に作り上げられるストーリーなのです。人間の頭というのは、それくらい瞬時にストーリーを作り上げることができる。 「合理的なものは現実的であり、現実的なものは合理的である」 「現実」というのも「物語」です。現実とは何か、というと、さまざまなできごとの意味のネットワークです。それが「合理的」というのは、まったく当然なのです。「合理的」という文脈で編集した「物語」を「現実」と呼んでいるのですから。 ここでは、ヘーゲルが言ったような、超越的な、主体の外にあるような「現実」というのは、どこにも存在しません。 手紙の受け取り手が、遡及的に、自分が「受け取り手」であるという物語を紡ぐように、「現実」の読み手が、「現実」という物語を「合理的に」紡ぐのです。

noname#15238
質問者

お礼

花売りの娘は、浮浪者の手に触れても、手紙は届かない事もあるのでは。 その時、花売りの娘には、別の手紙が届いたのでしょうか。 人間の記憶はそのような傾向が有りそうです。 「世界内存在」「投企」(された)のなら判るような気もします。 それを、「手紙はかならず宛先に届く」などと表現するのが、私には判りませんでした。 それに、決定論に傾きそうですし・・・ ご迷惑をお掛けしたかもしれませんが、 できればいつか、無意識にも踏み込んで見たいものです。 ただ、インフレは如何なものかととも思います。 他にも、誤解や理解不足な部分も有りますが、 お時間が有りましたら、またお付き合いいただけるよう、質問してみます。

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