• ベストアンサー

フィリッピン人の宗教

フィリッピンでは約90%がカソリックで、4%がイスラム教だそうです。 カソリックが多いことは、スペイン統治の歴史が長かったことから、うなずけるのですが、何故太平洋の中の島にイスラム教が根付いているのか、以前から不思議に思っています。 また、イスラム教は、南部の方、例えばミンダナオ島に集中しているそうです。 この現象を見ると、どうやら「古くはイスラム教の支配下にあり、カソリックの布教活動によってこれが駆逐されたが、南の島にまでは布教活動が及ばなかったために、イスラム教が残った」のではないか、という気がしています。 なぜ、太平洋の中の島に、イスラム教が根を下ろしているのでしょうか? どういう歴史的背景があるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ppg-2
  • ベストアンサー率39% (77/193)
回答No.2

前提としてインドネシアやフィリピンはマレーシアやインドに地理的に近いせいもあって文化は影響をうけています。 特にインドでは仏教が廃れて以来ヒンズー教とならんでイスラム教がさかんな地域であり数々のイスラム系王朝が誕生しています。 よってイスラム教の勢力が強い南アジアや東南アジア諸国の影響を受けているため、フィリピンもスペインやアメリカの統治時代がなければ国民のほとんどはイスラム教であったと察することができます。 <参考> http://www.21ca.ac/21c/philippines.html http://www.uraken.net/rekishi/reki-tonan08.html

blueteeth7
質問者

お礼

迅速なご回答有難うございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • tokimune
  • ベストアンサー率27% (187/690)
回答No.3

フィリッピンのミンダナオにイスラムがねずいているのは、1500年ごろアジアではじめてのイスラム マラッカ国が誕生し貿易のルートに沿って東南アジア にイスラム教が広がっていきます、当時フィリッピンの貿易の中心はミンダナオのダバオにあったため、 ミンダナオにイスラム教が広がったのです、 その後、スペインがセブに上陸、のちにマニラを中心として占拠植民地とし、キリスト教の布教に努めましたが、 すでにイスラム化していた、ミンダナオをキリスト教 にすることは、できなかったようです。 このことが現在でもミンダナオにイスラムのゲリラが 活動している原因です。 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/89-islam9.html おり政府軍と戦っている基なのです。

参考URL:
http://www.uraken.net/rekishi/reki-tonan08b.html
blueteeth7
質問者

お礼

迅速なご回答有難うございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • char2nd
  • ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.1

 こちらのサイトが参考になりそうです。

参考URL:
http://www.t-macs.com/kiso/his/his_9.htm
blueteeth7
質問者

お礼

迅速なご回答有難うございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 宗教の布教

    宗教の布教 歴史的にみて、イスラム教とキリスト教の布教の仕方の違いは何でしょうか。 カトリック系の学校はよく聞くのに、ムスリム系の学校をあまり聞かないことと 何か関係あるのでしょうか。

  • イスラム教 本来テロに関係なく良い宗教と感じますが

    敬虔なイスラム教徒はテロ、ジハードに関係ないと思いますが? コーランに書かれた教えには異教徒を排除するような教えは 存在していなくて、 それは新約聖書に描かれているキリストの教えと同様です。 イスラム教自体は、極めて差別性とは無縁な宗教であって、 異教徒を差別するような論理は、 真のイスラムの教えには存在しないと言われています。 この点を指摘することは、今後の世界平和を考える上で 重要な論点であって、 イスラム過激派の主張はあくまで政治的なもので、 イスラム教とは基本的に無関係であるという認識が重要です。 この事実は、キリスト教との比較でもより鮮明になります。 一般にキリスト教の信者は、神の子キリストを特別視しています。 しかし、イスラム教信者はモハメッドをキリストのように 特別視はしていなくて、モハメッドはあくまでアラーの神の教えを 人々に伝えるメッセンジャーに過ぎず、 私たちと同じ人間だと考えられています。 この違いは、キリスト教とイスラム教の違いに反映されています。 キリスト教徒の世界では、 キリスト教徒と異教徒とは、もともと厳密に区別されてきました。 それ対してイスラム教徒は、異教徒に対して極めて寛容です。 しかも、その寛容さはコーランの教えに由来しています。 キリスト教には差別の歴史が濃厚にありますが、 イスラム教には基本的に宗教絡みの差別の歴史が存在しないと言われています。 ただし、シーア派とスンニー派の対立など、 宗教的な教えの解釈も絡んだ政治的な対立は、この間に一貫してありました。 しかし、これは宗教的な対立というよりも、極めて政治が深く絡んでいる問題です。 ひとつ象徴的なこととして、キリスト教徒は 歴史的に布教活動を積極的に行ってきましたが、 そもそもイスラム教徒は布教活動自体を行いません。 キリスト教徒の布教活動には、 異教徒を正しい宗教に改心させるという狙いがありますが、 イスラム教徒にはそうした発想がありません。 そこはイスラム教が、異教徒を含めて すべての人間が神の前で平等であるという発想を、 まさに教えの基本にしていることに由来しています。 イスラム哲学の権威として有名な井筒俊彦氏の著書などを読むと、 その辺のことが詳しく説明されています。 こうしたイスラム教についての基本的な認識が、 大多数の日本人には欠落しているので、 上記のような点を指摘することは重要なのです。 イスラム過激派が、コーランの文句を言えない人 を異教徒として殺害したからといって、 そうした常軌を逸した行為をイスラム教と結びつけるのは、 おそらく正しい判断とは言えないのです。 イスラム教自体を批判しても、 およそ発展的な議論にはならないのでは、という感じがします。 少なくともテロに心を痛めている 大多数の敬虔なイスラム教徒との連帯を阻害するだけにしかならないと思います ただ異教徒差別はないものの、女性差別は存在します。

  • キリスト教

    中学生の問題なんですが、歴史はすごく苦手ですし 高校の教科書を見ても見つかりません。 回答お願いします。 フランシスコ・ザビエルが来日した背景にあったヨーロッパでの 宗教活動は?、と、南蛮人が日本にキリスト教を伝えた時代に、海外布教を 積極的に行ったカトリック教会の組織は?、です。

  • 宗教の存在

     宗教の存在意義について自分の意見としては、ただ国というものが存在してそれを治めるためには理想は皆一つの方が都合がいいからかなと考えています。皆が熱心に一つのことを信じていたら無茶なことをする人が全くとは言いませんが減るのではと考えています。無茶なことをすると言いましたがその人たちにも人権があるのでそのことについてはまだまだ考える必要があるのですが…。    さて、宗教の存在の気になることなのですが、日本には沢山の宗教がありますよね。僕の知っているものは恐らくほんの一部なのでしょう。でも、その中にはかなり歴史の浅いものがありますよね?創価学会とかです。創価学会というのはいろいろな企業、政治にかなり影響しているのではないかということです。怖い話日本を征服しようと考えているのでは?とかネットを見ていると思ってしまいました。有名企業が学会系で驚きました。実は近所の噂を聞くと創価学会の聞こえが悪いのです。僕は本当に無知なのでどのような活動をされているのかわからないので批判しようとは思いません。ただ、世の中がこれほどまでに宗教がらみで成り立っていたのかということに大きな衝撃を受けたのです。例えばこの製品を買えば自動的に宗教団体の活動資金に間接的なる。これは良いことなのでしょうか?世の中に良いものが生み出されるのであれば構いませんが、その逆では困ります。そもそもこんな話をしていますが、今こうやって歴史の浅い創価学会を取り上げましたが、私たち日本人が大昔から信仰してきた仏教だとどうなりますか?例えば自分も含めてですが現在ほとんど宗教に触れないような人でも宗教が文化と化して知らないうちに教えに従うようなことはしていないでしょうか?ここまで考えていくと本当にわけがわからなくなってしまうんです。宗教系でない企業のものを買ったけど、実は仏教の何かしらの要素が含まれていたとかです。ドイツ製品を買ったらプロテスタントの考えが入っていて、フランス製品を買ったらカトリックの考え方が入っているのか?等々…。 宗教が必要なのかそうでないのか(最初に書きましたがここまで考えるとわからなくなるんです)、あったらあったで良いものなのか悪いものか本当にわからなくなります。 世の中どう見極めて進んでいくといいですか?

  • 中国海軍のミサイル駆逐艦など8隻、沖縄近海を通過

    【日中関係】防衛省発表…中国海軍のミサイル駆逐艦など計8隻、沖縄近海を通過 太平洋に向かう  防衛省は8日、中国海軍のミサイル駆逐艦など計8隻の艦艇が沖縄本島と 宮古島の間の公海上を太平洋側に向け通過したと発表した。海上自衛隊の 護衛艦が確認、警戒監視活動を続けている。  防衛省によると、8日午前0時ごろ、沖縄県宮古島の北東約100キロの 海域で、時速約30キロで南東に進む潜水艦救難艦など3隻を発見。 同日正午ごろ、同じ海域で太平洋側に向かうミサイル駆逐艦など5隻を確認した。  中国海軍は近年、日本近海での海洋活動を活発化。昨年4月には艦艇10隻が 同じ海域を航行し、艦載ヘリコプターが海自護衛艦に接近した。同7月にも2隻が 通過している。 ソース:http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011060801000795.html これにはどういう意図があるのかな? 尖閣みたいにまた日本の領海や領土が侵犯されて奪われる前触れなのかな?

  • 宗教についての考え方(複数です)

    先日学校で習ったことで、不思議に思ったことが何点かあったので教えてください。 ・ユダヤ教やイスラム教徒の科学者や歴史研究者などでも、  本当に神様が人を作り、 最後はメシアによって救済されると  思っているのでしょうか?  科学者などには宗教を信じている人がいないとも思えないの  ですが。。。 ・例えば核爆弾などによって、「終わり」を迎えることの出来る  絶対的な力を持った気になるというようなことだそうですが、  その宗教以外の人(例えば無宗教な 日本人)が発明したものに  対しても、自分たちの宗教の力に結びつけたりするのでしょうか?  また、そのときどんな都合のいい考え方により、そう思えるの  でしょうか? ・キリスト教といえばキリストの張り付けられた十字架を思い浮かべる  のですが、どうして キリストの復活を信じていたくせに、いつまでも  貼り付けっぱなしなのでしょうか?  エジプトのミイラみたいに、どうして十字架から下ろして傷の手当てを  し、キレイに大切に しないのでしょうか?苦しんだままの格好を  象徴にするのでしょうか? ・そもそもなぜ宗教に入信するのでしょうか?  貧しい国で神に祈るしかもうどうしようもないっていう発展途上国の  女性をテレビで見ましたが、それは何となく分かる気がしました。  一方で、神様なんていない、夢もないと言っている別の発展途上国の  少女も見ました。  (幼い頃から家族を支えるためにごみ拾いをしていました)   現在の日本のように恵まれた条件で生きていくのに、どうして宗教に  はまるのでしょうか?  (心の隙をつく新興宗教ではなく、キリスト教等のような古くから  ある宗教です) 宗教を信じている方を馬鹿にしているとかではなく、純粋に疑問に 思いました。 周りに熱心に何かを信じている人がいないので、教えてください。

  • 甥のキリスト教に対する疑問(批判?)にどう答えれば・・・(字数の関係で見づらくてごめんなさい)

    昨日、甥(ミッション系の高校生)が来た時に、「カトリックはやはり矛盾した宗教ではないのかと思うけど、お姉ちゃんはどう思う?」と質問されました。数年前にもここで、彼の「カトリックは、南米などで『布教活動』の名の下に、自分の宗教を押し付けたり、焚書したり、カトリックを正義として他のものを受け入れられない許容の狭さを感じて、それが言ってる教義と反する。それを信者はどう思われるのか?」と言うカトリックに関する疑問を質問したのですが(その時は彼が質問のお礼を書いたので、ID貸借とやらで削除されてしまいました。)ここ最近、レビ記を読んだときに、不具者の者は聖職者になれない事を知り、21章16くらいに書かれている、「身の欠陥のあるものは、神のパンは触れない。めしい、足萎え、手足の折れた者、せむし、肺病、目に星がある者、かさぶたがあったり睾丸がなかったり、女性は同様である。」・・・等の様々な記述を読んで、「汝の隣人を愛せ」と言っているは偽善か?と憤っているようです。(まあ、これは一部分を見ての話にもなってしまいますが・・・)私自身も結構、様々な宗教・哲学書には目を通していますが、気持ちの中では最初のカトリック=正義には、甥に対して「まあ、分る気もする。」と言うのが正直な気持ちです。しかし、それを伝えてしまって間違った偏見を甥に植えつけるのは困るので、「難しい問題だから、いろんな意見を募ってみようね」と言って休題させました。カトリックの皆様も、そうでない方でも結構です。この解釈と、歴史的事実を踏まえた上で、どのように感じるかのお考えをお聞かせ願えませんでしょうか?(このまま見せますので、なるべく高校生にも分りやすく記述していただけると有難いです。)とてもデリケートな問題で議論なるかもしれないので、お礼は短くしますが、その旨はご了承いただければ幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます。

  • キリスト教系の大学・短大について

    キリスト教に関して、日本の大学などの教育機関は、カトリック系、聖公会系、超教派、プロテスタント系にわかれていますが、実は、私はこれらの大学に友人が多くいながらその実態についてほとんど知りませんでした。最近ネットで調べてびっくりしています。中には、キリスト教系の大学であることすら知らない大学もありました。 それでいろいろ調べてみたのですが、 カトリック系の大学はキリスト教色を比較的表に出しているのですが、プロテスタント系などの大学は、キリスト教を前面に出していないようです。 歴史的に考察すると、バチカンは戦前、日本のキリスト教徒の神道・靖国神社参拝を認めており、日独伊三国軍事同盟の経緯からも、日本社会とは密接な結びつきがありました。それに比べると、プロテスタント系の大学は、第二次世界大戦の戦勝国に属しており、布教活動どころか、日常の活動も遠慮してきた、あるいは今でも遠慮しているように見えます。 こういった私の私見は、ある意味、的を得ているのでしょうか。それとも的外れでしょうか。 その他の説明・意見がありましたらお願いします。 私は、仏教徒で、キリスト教の知識はわずかしかありません。ただ仕事の関係で、現状を性格に把握する必要が生じました。 よろしくお願いします。

  • 日本の歴史上、福祉が発達しなかったのは何故ですか?

    キリスト教では貧民救済活動を古くから行っています。 また砂漠の民ベドウィンは、客がきたら三日間何不自由ないようにもてなすという習慣があるそうです。 日本の歴史を振り返っても、このようなことはあまり行われてこなかったように思います。 神社やお寺が、炊き出しをしたり、病人を救ったという話もあまり聞きません。 全て自己責任に帰されてしまったようです。 日本の文化の中で福祉という概念があまり発達しなかったのは何故ですか? 仏教や儒教の中にはそのようなことは説かれていないのでしょうか? それとも為政者の方針でしょうか? よろしくお願いします。

  • ムスリムの増加を止めるにはどうしたら

    元々頭が悪いのですが、すごく頭の悪い話を今からします。温かい目で見てほしいです。 ムスリムに対してあからさまな差別がありました。しかしイスラム教のある社会と歴史、現実とSFを教養として随分差別的な考えは中和されてきました。しかし、やっぱりイスラム教が日本に広がるのが嫌です。各国で増えていくムスリムに日本は今のところ政府も行政もしっかり対応しているみたいで、残すは国民、ムスリムの近くに住む住民の理解のようです。しかし今後ますます増えるムスリムに、モスクやイスラム教に寛容で変わり行く社会の中でイスラム教で統治を目指す団体が出ても不思議ではないと思います。こんなことは何十年後の話だとは思いますが。 金曜日に日本の田舎町や都会にアザーンというアラビア語で一日数回もでかい音が流れる日が来ると思うと、本気で嫌になります。こうなることが疑わずにはいられない理由は世界のイスラム教の広がり方を見た時に強く思いました。そこで腐敗しきった日本政府も流石に日本の風土を守る為に動く気くらい起こして欲しいと思っています。しかしまだイスラム教の問題も小さいために無関心であるようです。お隣の中国は別のムスリムと仲良くしながらムスリムの多いウイグルを弾圧しています。弾圧しながらも手を組むムスリムがいるということは、習近平さんはイスラム教に対しては迅速に対応しているような気がしています。日本はまだ間に合う気がします。彼らを抑圧するやり方ではない形で阻止したいです。そこでさっと考えてみました。 1-政治家にイスラム教を理由に声を上げまくって人口増加の政策をお願いする 2-僕が新たに子沢山が偉い!日本人皆んな兄弟!あとは現代に合わせて新興宗教的なものを布教 1については全く望みがありません。何故なら今まさに人口問題に直面していますもんね。 2は根拠は0ですが何だか行ける気がします。イスラムは2.3人以上産めと命令されています。それをほとんど真似するんです。教義はまだ考えてません。あらゆる宗教の都合のいい部分を取って現代の形に合わせた教義を確立し、今ある宗教全てを打倒しようと思っています。 変な質問してすいません。