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フィリピンの地理について教えてください
今年は終戦60周年です。 これを機会にフィリピンで戦死した叔父さんの慰霊へ行きたいと考えているのですが、死亡告知書に記載されているルソン島リザール州ダンバリツトの場所が分からなく困っています。どなたか分かる方がおりましたら教えて下さい。また死亡時の所属部隊が海上挺進基地二十大隊のありますがこの部隊の規模やどのような任務だったのか、知りたいと思います。なにか情報をお持ちの方がおりましたら教えて下さい。 なお叔父は昭和20年2月13日に戦死したことになっています。よろしくお願いします。了
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確信がもてませんが、何かのお役に立つかと思い。 旧リザール州の沿岸部は現在マニラ首都圏(MetroManila)に統合されていて、北からマラボン市、カロオカン市、マニラ市(これは戦時中もマニラ市)、パサイ市、パラニャーケ市、ラス・ピニャス市に分かれています。このうちマラボン市にDampalitという地名があります。 公共交通は路線バスがLRTの終点モニュメント駅あたりからあるでしょうが、ホテルでタクシーを拾うか、車を一日チャーターしたほうがいいでしょう。マニラ中心部から、渋滞にひっかからなければ1時間かからないくらいで着くはずです。 海上挺進隊は陸軍所属なので、戦死場所と時期から見ると、おそらく振武集団と呼ばれたマニラ守備隊の一部で、昭和20年2月から3月にかけて行われたマニラ戦に参加されたのだと思われます。アメリカ側の記録によると、2月13日は巡洋艦と掃海艇によるマニラ湾の掃海作戦が開始された日にあたります。
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- k99
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海上挺進隊というのはモーターボートに爆雷を搭載して敵の艦艇に攻撃を掛ける為に編成された陸軍の部隊です(いわゆる特攻ではないのですが、投弾後の退避時間が短いことなどから事実上の特攻となった模様です。参考上をご覧下さい)。 で、基地大隊の所属とありますので、その支援部隊であったと思われます。詳細な記述はネット上で発見されませんでしたが、参考になりそうな戦史がまとまっていたページは発見できました(参考下)。 部隊規模は他の基地大隊と同様とすれば1000人くらいの模様です。たぶん基地自体の整備や警戒、ボートの整備などが任務と思われます。 それ以外の軍暦をお調べになるには役所に照会するのが手っとり早いようです。 以下引用。 【質問】 亡くなった祖父の所属していた部隊や経歴を知りたいのですが、何か方法はないでしょうか? 【回答】 その手のデータは、陸軍省がなくなった後は厚生省援護局調査課が引き継いでるはず。 問合せ先等はgoogle検索してください。陸軍の場合、各県庁の福祉指導課(なければ恩給を扱っている部署)に問い合わせても良いようです。 恩給手帳があればたぶん一発で判明するでしょう. 部隊や経歴は「軍歴」と言うものに記録されており、入手先は 海軍:東京都千代田区霞ヶ関の厚生労働省社会・援護局業務課 陸軍:終戦時に本籍のあった都道府県庁の社会福祉課恩担当部署 になります. http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/sosiki/gaichi/onkyu.html 海軍の場合、丁寧に対応してもらって入手できたと言う話しをnetで見かけますが、陸軍の場合、軍歴を当人にしか発行しない県もありますので、まずはTELで確認をされると良いでしょう (DRG-LOGO in FAQ BBS他) (以上 http://mltr.e-city.tv/faq08j02.html#00221 より)
お礼
回答有難うございました。海上挺進基地について私なりに本やインターネットで調べたのですがほとんど情報がなく、挺進戦隊と挺進基地の区別も分からなかったのですが、回答を見て納得いたしました。 また参考に紹介していただいたホームページを見ましたが大変参考になりました。今まで知らなかった海上挺進戦隊について知ることができました。 私の叔父を含め多数の若者が犠牲になったことも始めて知りました。貴方様の情報のお陰で叔父の戦死の状況がおぼろげながら分かり感謝しております。
お礼
フィリピンの地図や第二次世界大戦のマニラ戦に関する本などをかなり時間をかけて調べたのですが、分からず困っていました。早速の回答ありがとう御座いました。多分教えていただいたDampalitだと思います。 早速週末にでもDampalitを地図で確認したいと思います。これでようやく叔父さんの慰霊への計画に着手できます。 大変参考になりました。 本当に有難う御座いました。