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82歳の父の結核が再発?しました
去年8月、結核と診断され廃菌があり、入院しました。当時の病院では、菌が出なくなるとすぐ退院ということで、年なのでもう少し様子を着てほしいと頼みましたが12月に出て行けといわれました。悪いことに痴呆症も見つかり、家庭の事情で看病が出来ないので、何とか置いてくれる病院を探して、2月に転院。費用の面で、6月に現在の病院に転院しました。そのころは病状も安定していたので、安心していましたが、8月半ばに病院から、レントゲン検査の結果、胸の状態が、よくない、今のところ菌は出ていないが、咳き、痰の症状と、食事も半分に減り点滴をしている。専門の病院で診察をうけ、結果によってはそちらで、治療してほしいといわれ、驚いています。これは再発なのか、完治していなかったのか、最初の病院の見解も理解できません。徘徊もあり、完璧な治療をしないと再発が怖い危険な病気なのに、簡単に退院させる姿勢も納得できませんでした。これからも、中途半端な形で結核病院の入退院を繰り返すのでしょうか。
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- futukayoi
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こういった患者さんは実際には多いと言うこととmaribanriさんのような考え方で医療不信感をもたれている方も今の日本の風潮では多数派であるとういこともよくわかっております。僕の回答に異論のあるかたの方が多いでしょう。それでもあえて回答させていたきたく思います。ご不快に感じられた場合削除していただいて結構です。 このご質問の場合、結核の治療といったものと痴呆のある老人をだれが面倒みていくべきなのか?という社会的問題がごちゃ混ぜになっておられます。 結核の治療としては昔のようにずっと隔離されて患者さんに苦痛を強いるようなやりかたは人道的に許されないと思います。やはり排菌が無くなって他人に感染させる心配が無くなったら退院して外来通院で経過を追っていくというのが普通の医療従事者の考え方です。 とくにお父様のように高齢になって発病されておられる場合、若いときに感染しても発病しなかったものが加齢による免疫力の低下によって発病してくることが原因でしょうから「完璧な治療」とか「絶対に再燃(再発でなく再燃です。体の中に一匹も結核菌がいない状態にするまで治療し続けるなら無菌室で生活して薬の副作用で死亡するほど続けなければ無理だと思います。)しない」と言うことを求めるのなら20台に若返らせろと言うことになります。実際にはそんな治療はあり得ない訳ですから感染力が無くなれば外来で再燃しないように注意深く経過を追っていきましょうといったことになるわけです。 この時点で結核で入院する必要性が無くなっているわけですからそれ以上の痴呆の世話を誰がするかと言った問題は社会の問題です。現在の日本の社会ではその責務は家族が負うことになっているはずです。また、そういった介護や世話と言った面で肉親である家族以上のものを医療従事者に求めるのには疑問を感じます。お父様が82歳であるならmaribanriさんの年齢は50~60台と言ったところでしょうか?この問題は決して他人ごとではないはずです。今自分が親に対して行っている姿勢は必ず自分の子供から自分に跳ね返ってくるものです。ひとは自分が他人に対して与える以上のものは与えられないものだと思います。全ての不満を医療従事者にぶつけるのでなくご自分の親御さんに対する責任や行動なども含めて建設的にかんがえていかれればとおもいます。 年上の方に口幅ったいことを申し上げたことをお許しください。 maribanriさんのご多幸をお祈り申し上げます。
- siaru
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結核は排菌していなければ入院治療は行なわないのが一般的なようです。 北海道の結核についてですが「正しく結核を理解するためのQ&A」 がわかりやすいかとおもいます。 お父様、お大事に・・・・。
お礼
参考資料読ませていただきました。 父は、病気と、徘徊を伴う痴呆とでどうしてよいのか。 こういう老人が増えてくるのでしょうね。 回答有難うございました。
補足
ご回答有難うございました。おっしゃることいちいちごもっともです。 maribanriさんのような考え方で医療不信感をもたれている方も今の日本の風潮では多数派であるとういこともよくわかっております 今自分が親に対して行っている姿勢は必ず自分の子供から自分に跳ね返ってくるものです。ひとは自分が他人に対して与える以上のものは与えられないものだと思います。全ての不満を医療従事者にぶつけるのでなくご自分の親御さんに対する責任や行動なども含めて建設的にかんがえていかれればとおもいます. このような書き込みは、躊躇したのですが・・、ここでくどくど我が家の込み入った家庭事情を書くわけに行かないので省略しましたが。 やはり一般的な上滑りな説明になってってしまったので、当然、現在にいたる状況から、又、家族の思いからかけ離れた、誤解を、皆さんに与えてしまったようですね。私のような考え方とお答えいただきましたが・・・私の考え方は、書いたつもりは有りませんでした。親にたいする思いと、取り巻く状況は、比例するものではありません。勿論、家庭看護を当然に、介護認定を受けるべく申請しましたが、気持ち悪い病気なので、認定にいけない、ヘルパーも事業所がいやがるので派遣しないなどと区役所で断られました。徘徊する父を、また、再燃したときに非常に恐ろしいことになるので完璧な看護をと担当医に言われたような、危険な状態の病人 を、素人の80になる母と小商いで、その日を暮らしている、50台の女性だけでは、完璧な看護が出来るわけなく、途方にくれて、病院に相談したところ、病院もとても、家庭看護は無理ということで、退院後の病院を、紹介してくれたのです。ただ、次の病院は、この状態で、退院は、早すぎるので、後半年、きちっと治療してほしい。といわれました。 当然私たちは素人です。病院によって、病気に対する見立てがが正反対で、なおかつ、患者サイドには、危険だ危険だと、いわれて。一年後に又、再燃したのなら、なぜもう少し、専門病院で、置いていただけなかったのか、それこそ、体力のない老人なのですから。私たちにはなすすべがなく、こういうものなのなのかと思ったので色々ご意見を伺いたかったのです。再燃なのか、新たに、かかったものなのか、結核というのはそういうものなのか。 要するに、専門家の皆さんは、専門的な立場で慣例に沿って、それぞれお仕事をつつがなく遂行する。でも、それで終わりでなく病人、それを取り巻く環境はちがいます。勿論、いちいち親身にやってられない、次々患者、相談者は来る。きりがない。それもよくわかります。 ただ、病院、行政、家族との、つながりを、上手くいえませんが、連携がきちっとできるシステムになっていれば、そしてもう少し上手に病状なり、予後に関して説明くだされば。病院、行政、それぞれ自分の仕事をつつがなくやれば、それでおしまいと感じなくてすんだのにと思います。 もうひとつ、医療に不満をぶつけていると有りましたが、今回のことを通じて、病院関係者、ケースワーカー、看護婦さん、やっと認定してくれた介護事業所、のかたがたの仕事のあり方を見て、本当に頭の下がる思いでいます。決して、家族以上のものを医療従事者に求めておりません。それで助かっている以上、やはり何らかのリスクはあって当然と思います。医療に不満は有りません。不信感が残っただけです。 そして、皆さんとてもよくしてくださいますが、やはり他人にゆだねなければならない、これでよいのかという心の葛藤を、なだめなだめ、お世話になっているという次第です。一応、これが今の私どもの状況では、母にとってベストという結論で無理やり自分を納得させているというところです。 貴方は’父、帰る’という小説読んだこと有りますか。 勿論、それは個人の事情で、医療も行政もしったことではありませんが、それぞれ家庭、個人の人生は十派一からげというわけには行かないので。 貴方のおっしゃること、とてもよく理解できます。決して口幅ったいと思わないでくださいね。立場立場で、色々な考えがあって当然です。又貴方のように、病状を このようにきっちり説明してくだされば、よかったのにと思います。再発ではなく再燃、これだけでも、うーんなるほどと。 有難うございました。 また、何か有りましたら登校します。ぜひご意見お聞かせください。