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「力は山を抜き…」この抜くの意味は?

力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う) ここの「抜く」は、 「引き出す」の意味 → 愚公山を移すように山を引っこ抜く意味 「追いこす」の意味 → 天を衝く勢いが山の高さを上回った状態 のどちらに解釈するのが適切でしょうか? よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • m770
  • ベストアンサー率21% (140/653)
回答No.1

 わはは、子どもの頃、万国びっくりショーに出てた謎の韓国人「力抜山」を思い出した。  引き出すと言うより、山を突き抜くと言うのが正解では?

cx117cx
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 > 突き抜く これは想定していませんでした。 「引っこ抜く」が定説のようですが、個人的には この「突き抜く」を選奨したいところです。 というのも、引き抜くには山以上の背丈が必要で、 となれば、力の凄さよりスケール感の無理が先に 気になります。同じ誇張するにも地に足のついた 表現をしてほしい。その点この「突き抜く」なら、 等身大の人間が山に向かってギャラクティカマグナム を放った(少数にしか通じない例えでスミマセン) という感じでしっくりきます。 ※ 偏見で良解答20ptつけました m(_ _)m

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その他の回答 (3)

  • skytear
  • ベストアンサー率18% (16/88)
回答No.4

力拔山(兮):覇王・項羽の勢威が巨大な様をいう。「山を抜く」いうイメージは、日本の山からは、分かりにくいですね。中国の山の写真をみるとイメージが湧くかも、、

cx117cx
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 水墨画に見られる峻険な山容が現実に望める桂林は 以前から訪れてみたい観光地の一つでした。 頂が裾より拡がる姿は、取っ掛かりがあって引き抜 くに持ってこいですね。(大根じゃないけど^^;)

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  • fromMtoM
  • ベストアンサー率64% (70/108)
回答No.3

「史記」の項羽と劉邦の「四面楚歌」の場面で項羽が歌う詩の冒頭部分ですね。 「引っこ抜く」の方が一般的なようですね。肉体的にも精神的にも壮大で抜きん出て優れている、という対句表現として解釈するのがよいと思います。

cx117cx
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 肉体と精神で対だから、山は物理的に抜かれるわけですね。 これに納得です。

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  • chatea
  • ベストアンサー率69% (922/1323)
回答No.2

項羽の詩ですね。慣用句である「抜山蓋世」の元になった語です。 「山を抜くほどの力と、世を覆い尽くすほどの気力」という意味ですから、「引っこ抜く」と解釈するのが正しいです。

cx117cx
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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