- ベストアンサー
親の面倒を見る…とは?
妻子ありの43歳男性(長男)です。 両親と同居しております。(父:72歳、母:67歳) 現状の生活は、ほとんど両親と別かまどで、食事は別々です。光熱費は折半しています。 別に、中が悪いわけではありません。 両親は年金収入のみで、月額換算で二人で30万円以上の収入です。(公務員OB、OGです) 二人とも車を所有し、健康でそこそこ趣味を楽しんでおり、普通よりは贅沢な生活を送っていると思われます。 ゆえに、親に対する金銭的な援助は全くなしです。 タイトル通り、親の面倒を見る…とは、どういうことなのでしょうか? 金銭的な援助がない場合は、親の面倒を見ているとは言わないのでしょうか? 古い考えかもしれませんが、長男である以上、親の面倒を見るのが当然と考えています。 将来、片親になったり、年金収入が減ったり、体が不自由になったときなどは、もちろん金銭的な援助を含めて、具体的なサポートをするつもりでいます。 しかし、このまま両親がポックリ逝ったら、面倒をみなかったことになってしまう事が、将来悔やまれるのではないかと… なかなか微妙な悩みですが、どなたかアドバイスをお願いいたします。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
昔のお年寄りはそうだったかもしれません。 私もそう思ってきましたし、実際、子に面倒を見てもらうのが当たり前の親も多かったかもしれません。 しかし、最近のお年寄りは子に面倒(金銭面も生活面も)かけずに、自立していきたいと思う人が増えたように思います。 若い人にとってお年よりはもう、人生を大半終え、子供達の言う事を聞いていればいい、と思うかもしれませんが、実際は人生のプライドがあり、同居を嫌うお嫁さんと同じくらい、自分たち夫婦だけで生活して行こうと言う人が多くなっているのも確かです。 お父様も長年公務員をなさって恵まれた年金収入と、同居し、恵まれた親孝行な息子さんを持って幸せですね。「親の面倒を見る」という言い方にはちょっと違うかもしれませんが、十分親孝行です。 「親の面倒を見る」という親を下に見るのではなく、親としては「子はいつまでも子」、上でいたいものです。 現実が許されるのなら、「面倒をみない」でいられるのなら、「対等である」それが一番親孝行です。
その他の回答 (1)
私は父を亡くしましたが、その時(死んだ時より1-2ヶ月ぐらい後)に思いました。 思い出が足りないなー。と。 孝行したい時に親は無し。と、言われますが、本当です。 生きている時には十分と思っていても、いざ死んでみるとあれもしておけば、これもしてやりたかった、後悔が尽きません。 両親が、死ぬ時までの思い出を造るのが良いと思います。 あなたや奥さんや孫たちの良い思い出を与えてあげることだと。 あなたがこれまで両親の子供として受けてきた無償の愛を返しましょう。 今までを思い出して少しづつ・・・ お金をかけることが面倒を見るとは思いません。 個人的な思いで恐縮ですが。
お礼
早速の回答をありがとうございます。 >生きている時には十分と思っていても… それだけでも、羨ましいです。私は不十分と思っているのですから… 思い出づくりですか。大事なことですね。 努力したいと思います。 お金をかけることが全てではありませんよね。 気持ちも重要ですよね。 とても安心しました。
お礼
回答をありがとうございます。 こういう気持ちが親孝行になっているのであれば嬉しいです。 これに甘んじることなく、努力したいと思います。 >親としては「子はいつまでも子」、上でいたいものです。 そうですね。私も上になりたくはありません。 私にとっても、両親が健康でいられるのが何よりの幸せと思っています。 こういう状態がいつまでも続くことを願っています。