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愛の賛歌についての解釈について

新約聖書のコリントの信徒への手紙の13章「愛」についての解釈をいろんな方からご意見をいただきたいと思っています。よろしくお願いします!!!

みんなの回答

  • tokkey
  • ベストアンサー率42% (16/38)
回答No.3

 ここでいう「愛」とは、次のようなことだと私は信じています。 それは、「神様から愛されていることを心から信じている人の中に芽生える愛」です。試しに第一コリント13章の全ての「愛」の部分を置き換えて読んでみてください。何となく意味が分かってきませんか。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

参考程度に king James version Holy Bible のコリント13章には、charity についてかかれてます。Love ではなくCharityですね。Charityなくば、精霊の声も神の声も単なる楽器の音と同じであるともかかれてます。つまり、自分自身や肉親の愛という意味ではありませんね。Charityという表現は、日本語訳の愛よりもっと広い意味の慈悲に近いものでしょう。 日本語訳の新約聖書だけでなく、いろいろな原書も参考にされるといいでしょうね。

  • Jchris
  • ベストアンサー率40% (2/5)
回答No.1

愛とは感情からくるものではないということです. 分かりやすい例は人を好きになることです.異性を好きだといのは,感情であります.それは聖書が言う真の愛とは違います.愛とは決心することです.この人を愛そうと決心することです. 創世記にあるノアの箱舟の話で8章の後半から9章にかけて書かれているように,神は堕落した人間を滅ぼし,全き人であったノアとその家族たちから人類を築きなおそうと計画しました. 洪水の後神が「人の心の思い計ることは初めから悪だからだ」(創8.21)と語りながらも,ノアと契約を結び,ノアとその家族から再出発する人類を永遠に愛そうと決心されました. 神様から来る愛は,私たちの欠点を赦した一方的な契約です. 愛とは報酬を求めない決心です. 新約の時代になると,神様は人類と新しいい契約を結ぶために,ひとり子イエスキリストを人間として地上に与え,さらに私たちの罪のために十字架につけました.これも一方的な愛です. ヨハネ3.16,(1)ヨハネ4.10などにあるようにです. 感情のみに支配された恋愛の末,結婚した夫婦は,ほんのささいな問題が起こると,どちらかの感情に変化が生じ, 「愛がなくなった」言って離婚してしまいます.しかし,そんな二人は初めから真の愛について何も理解できていなかったのです.本当の愛を育てることができなかったのです.

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