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なぜ「紙一重」なのでしょうか。

Syo-yaの回答

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.11

再度の3です。何度もすいません。 どうにも気になる質問だったので、また来てしましました。すいません・・・。 ちょっと単純に考えたんですが、逆に、二律背反が存在しない状況って、例えば、完全に抵抗・妨げとなるものの無い、無限の空間にボールを放ったようなものだと想うんです。これには一切の矛盾が無く、永遠に進むと思いますから二律背反も存在しないと想うんです。 でも、これは在り得ない話です。(少なくとも物質界では) だって「縁起説的」に言えば、ボールも何らかに縁って生起しているハズだからです。 ボールが存在するということは、同時にボールの縁起となった何かが必ず存在するんです。 ですからそれ自身が抵抗となり、ボールには絶対に上下、左右、加減速が生じると思います。 つまり、この矛盾が、あらゆるものが二律背反を潜在的に有するように想える根本的な理由だと思います。 「縁起(存在の条件)」とは、同時に抵抗であり矛盾を含むのだと思います。 (だからお釈迦さまは「この世は苦界だ」と言ったのだと思います) 例えば「色」です。 もし、この宇宙の全てが矛盾・対立・抵抗の無い「赤一色」だったら・・・ 青、黄色、白、黒・・・・が無くなるのは当然ですが、同時に「赤」も無くなってしまうんです。 だって識別する必要が無いんです。 そうして、果ては「色」という概念も無くなるんです。 つまり「色」という認識は、相互依存関係で成立しているんです。 さらに逆説的に、もし縁るものが無く、存在の条件を満たせないと「色」は滅尽するんです。 先に「剣」に防御と攻撃が内在されると書きましたが、 これもこの世から「攻撃」が無くなれば、「防御」も無くなります。 そして「剣」も消滅するんです。(つまりこの世から争いはなくならないということです) 「長いもの」があって「短いもの」も存在出来ています。 もし、この宇宙のものの長さがみんな同じなら「長さ」という概念もなくなるんです。 最大の矛盾は「生と死」ですよね。 これも「生まれる」ということが無くなれば、「死ぬ」ということも無くなるんです。 そして果ては、生命は消滅するんです。 全てが縁って起こることが存在の条件ですから、 同時に、全てのものに二律背反を認識できるのだと思います。 (これは宇宙の起源(ビッグバン等々)も勉強しないといけない問題だと思います) 我々はとても混沌とした矛盾の中にいるんです。 だから、お釈迦さまは「苦界だ」と言ったのだと思います。  『この一尋ほどの体のなかに、知覚する心があり、   それによって自分の内側に宇宙が見える。   宇宙の始まりが、宇宙の死滅が、そして宇宙の死滅に至る道筋が見える』 そして全ての執着を断って、苦と、存在の条件を滅尽して涅槃に至ろうと教えたんだと思います。  『あらゆる苦は反応より生じる。反応が止滅すれば苦も止滅する』 この具体的な方法論が八正道の正定に該当する「ヴィパッサナー瞑想」という自己洞察の瞑想です。方法論もちゃんと教えてくれているんです。 で、ここに意味を見出そうとすると、どうしても「創造主」とか形而上の存在に頼らざるを得なくなりますから、それを実体化しようとする試みに至ると思います。 私は哲学には詳しくないんですが、 「ラッセル」という人は、とても仏教的とでも言いましょうか興味深いと思うんですが、 『実体という概念は、真面目に考えればさまざまな難点から自由ではあり得ない概念である。  実体とは諸性質の主語であり、全ての性質から区別される何物かである。と考えられている。  しかし諸性質を取り去って、実体そのものを想像しようとすると試みると、  われわれは、そこに何も残っていないことを見出す。  実際には「実体」とは、さまざまな出来事を束にして集める便宜的な方法に過ぎない。  例えば「フランス」とは言語的便宜であり、フランスにフランスという実体は存在しない。  それは多数の出来事に対する一つの集合的な名称なのである。  でも、我々がそれ以上のものだと解釈すれば、それは全く知り得ない何物かを指示することになり  従って、我々の知っていることの表現には、その何物かは必要でなくなるのである。  一言で言えば、「実体」という概念は、形而上的な誤謬である。  主語があって述語があるという構造を、世界の構造にまで移行したことにその原因がある』 ・・・・と、言っています。 まあ、私的には、諸性質を取り除いて、何も残っていない空間こそが 矛盾の無い永遠の安らぎの世界では・・・と思うんですが。 今後の考察のお役に立てれば幸いです。

frau
質問者

補足

Syo-yaさんお待ちしておりました!光栄です。 「例えば、完全に抵抗・妨げとなるものの無い、無限の間にボールを放ったようなもの」 とは宇宙のこと…?? 「矛盾が、あらゆるものが二律背反を潜在的に有する」 わかります、説明するには難しいけれど感覚的に。 森羅万象は「秩序」から生じたのではなく「矛盾」から生まれた、「反射」のようなものでしょうか。 たとえば鏡に鏡をみせるとその対になった世界がどんどんその向こうで広がってきますよね。この世界も、宇宙もそのようなイメージです。 剣のお話の戦争については、もちろん「必要」のないものですが、形而上的にはそのように「必然」であるというわけですね。 確かに人、ひとりひとり宇宙を内包しているとこの人生の上にて、いつも感じています。 神様(どこそこの神様ではなく存在としての)に切り離された世界が、二律背反の世界なのでしょうか?この世界が二項対立で成立するその理由と苦しみの理由は形而上的にしか求められないのだとしたら、イデアの世界から落ちた私たちは本当に「悩める葦」なのですね。 ところで愚問ですが、お釈迦様は二律背反の要因が「苦」であると解かれましたが、実在していた方なのになぜその世界の中で「悟り」を開くことができたのでしょう。物質上の存在でも悟れることができるのならば、ふたつのもので常に拮抗状態にある「苦」なるものから自らをいかにして切り離すことができたのでしょうか? またお釈迦様はあらゆる存在、森羅万象の起源についてはどのようにおっしゃっていたのでしょうか?たとえば西洋ではゼウスという神話的な神が父なる存在です。唯一絶対神の西洋的な宗教と仏教とは違うと思いますが、仏教はより人間に近い教え(哲学?)なのでしょうか?

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