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なぜ「紙一重」なのでしょうか。

noname#155689の回答

noname#155689
noname#155689
回答No.4

二律背反(Antinomie)は「大辞林 第二版」によれば ◆二つの相矛盾する命題である定立とその反定立が  等しい合理的根拠をもって主張されること だとあります。 #3さんが >「紙一重」というのは結果論だと思います。 と仰っていますが >「二律背反」はなぜ存在するのだろうか? も、二律背反という事象がまず存在するのではなく ある状態を「二律背反」と名づけただけだと思います。 思うに、 >「二律背反」は「紙一重」 という前提に誤謬があり 加えて「紙一重」と「表裏一体」と「二律背反」を 同意とするのもどうか?と思います。 さらには >この世の中のことはふたつの要素で成り立っていてる というのも疑問です。 それはキリスト教的に代表される 一元論二分法の論理観です。 そもそも、この質問が一元論二分法の論理観に 基づいた質問だと思います。 >幸福も不幸も見方次第ではいずれにも移行できる。 仏教的論理観に基づけば 幸福も不幸も、単なる「関係性」に起因する 瞬間瞬間の価値判断でしかなく 固定された「幸福」とか「不幸」といったものはない、と考える筈です。 現代哲学においても、「幸福」とか「不幸」は単なる「差異の体系」に過ぎず 幸福や不幸といった概念に「根拠はない」と考えます。 http://d.hatena.ne.jp/suousan/20040726

frau
質問者

補足

「一元論二分法」についてもう少しお聞かせください。 初めて聞く文言ですが、「一元」とは二次元、三次元などの次元のことで、「二分法」とは二律背反と思っていますがそうでよいのでしょうか? 快楽、幸福などの普遍的なものは瞬間的な積み重ねだと思います。でもその連続性は実は存在していないもの、ということなのでしょうか。 ありがとうございました。

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