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戦前の軍隊のパワハラ
戦前の軍隊では、何かあると殴っていました。 パワハラを超えた傷害事件です。殴られたり、暴言を吐かれた兵士が、刑事、民事で訴訟する事はありましたか? また、殴りたいなら、味方ではなく、とっとと敵をなぐつてこんかい! と言えば、そうだな。ごめんとおさましましたか?
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>パワハラを超えた傷害事件です。殴られたり、暴言を吐かれた兵士が、刑事、民事で訴訟する事はありましたか? ありません。 訴訟を起こすには「お国に戻る必要」がありましたが、そう簡単には帰国できないし証拠も持ち帰れないし裁判所は上官の主張しか信じないので、訴訟は起きませんでした。 仮に訴訟を起こしたとしても、訴訟を起こした瞬間に「特高に連行され行方不明」になるでしょう。 戦前の日本には「裁判をしないで容疑者を秘密裏に死刑にする、特高警察」という組織があったのです。もちろん「容疑者を秘密裏に死刑にするのは違法行為」ですが、建て前は「拷問したら容疑者が事故死しちゃった」なので、誰も咎める事は出来ませんでした。 >また、殴りたいなら、味方ではなく、とっとと敵をなぐつてこんかい! と言えば、そうだな。ごめんとおさましましたか? 「殴りたいなら」の「な」を口にした瞬間「口ごたえするな」と言われビンタが飛んで来るか、「歯を食いしばれ」と言われビンタが飛んで来るので、そういう事はありませんでした。
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- oska2
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>戦前の軍隊では、何かあると殴っていました。 その通りですね。 陸海軍では、一般的に「ビンタ」が行われていました。 特に陸軍では、爵位を持った者は率先して軍隊に入る!という不文律がありました。 上官の多くは、貧しい庶民の次男三男坊ですから貴族と言えども階級が低い者は「ビンタ」を受けています。 最後の将軍「慶喜家=公爵」の子孫も、陸軍では一兵卒として入隊。 上官から「ビンタ」を受けたとの記録が残っています。^^; 慶喜の孫が一般野戦病院に入った時に「公爵」という事が軍医からの報告で発覚し、慌てて将校がお見舞いに来たとの事です。 軍医「名前は?」 孫「徳川です」 軍医「爵位はあるの?」 孫「あります」 軍医「子爵?」 孫「もっと上です」 軍医「伯爵?」 孫「もっと、上です」 軍医「侯爵?」 孫「はい、ハムの公爵です」 驚いた軍医は、直立不動になり敬語になったとか・・・。 ※自伝より。 まぁ、陸海軍は「天皇が統帥権」を持っていましたよね。 当時は、「上官の命令は、恐れ多くも天皇陛下の命令」だったのです。 >殴られたり、暴言を吐かれた兵士が、刑事、民事で訴訟する事はありましたか? 100%以上の確率で、存在しません。 終戦まで、天皇の名前は絶対でしたからね。 海軍が「大和を東京湾の浮沈砲台」としての作戦を考えていた時に「もう、動く船(軍艦)は無いのか?」との昭和天皇の一声で沖縄特攻作戦が決まった程です。 上官に逆らう事は、天皇に逆らう事になります。 不敬罪・国賊・非国民となりますから、矛盾していても「我慢」でした。
- nagata2017
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まったくありませんでした。 上意下達の世界で 地位が上の者の言うことには反論できませんでした。 反抗すれば最前線に送られるので逆らえません。
- okvaio
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当時にパワハラと言う概念は存在しなかったと思いますが・・・