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江戸時代の国学者について
Reynellaの回答
「国学者って皆暇な読書人か裕福な人達」 もちろんそういう人も多かったでしょう。そこそこの禄を食む武士の家に生まれたり、上位の神官の家に生まれたり、あるいは豪農で小作人を抱えている、大きな商家の次男坊以下、など。もともと書を読み、学問をするのが本分とされるような家もあれば、武家に養子に出したいと思った親が学問をさせたという例もあります。 しかし、そうではない人達もいました。本居宣長のように早く父親を亡くし、商家奉公のような暮らしをしていた人もいます。平田篤胤に至っては、25歳までは下層階級の生活ぶりだったようです。平田ほどではなくても、足軽の家、ごく小さな商家などに生まれ、他家へ奉公したところその才幹をその家の主に見いだされ、というパターンの人達もかなりいます。江戸時代は身分が固定していたものの、優れた若者を見つけると無償で支援をするという人達も多くいて、貧しい生まれでも運に恵まれた秀才は学者になったり医師になれたりした時代だったようです。
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