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2・26事件
2・26事件に参加した将校や兵士たちは 大部分が小作人や労働者の出身だったし、 貧しい小作人や労働者のために 事件を起こしたと考えていいんでしょうか?
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二二六事件が起こる当時、陸軍は「皇道派」と呼ばれる派閥と、反皇道派ともいうべき「統制派」で内部対立をしていました。 二二六事件を起こしたのは、その皇道派の青年将校たちです。彼らは当時の政治と世相に大きな不満と憂いを持っていました。なにせ世間は世界恐慌の影響で景気も悪く、また東北地方で凶作が相次いで娘を売らざるを得なかった家庭も多かったのです。当時、山形県なんかは役所が人買いを斡旋してたんですよ。「安心の業者を紹介します」って。今なら役所がソープランドの求人の斡旋をするようなものです。 で、その皇道派の親分が真崎甚三郎でした。青年将校たちはある日にその真崎に「このままでは僕ら我慢できません。決起を考えています」と相談しにいったんですね。すると真崎は「そうか。大いにやれ。俺も応援してやるぞ」と抑えるどころか煽る発言をしたのです。 その頃、皇道派は実は力を失いつつある苦しい状況でした。真崎としては青年将校が決起したことを利用して一発逆転を目論んでいたかもしれません。 そして青年将校たちが決起すると真崎は天皇のところに行って「まあ、あいつらの考えも分からんでもないですよ」とアシストしようかと割と楽観的に天皇に接したらしいです。 しかし昭和天皇はクーデターを起こし自分が信頼していた政治家を殺した青年将校たちに大激怒していて、「朕自ら一軍を率い、逆臣を征伐する」とまでいっていたのです。真崎は取り繕おうとしましたが、天皇は激おこぷんぷん丸(死語)でとりつくシマもない。 どうにもならないので、真崎は青年将校たちに「お前ら、逆臣になっちゃったんでよろしく」と壮大な手の平返しをしたのです。 青年将校たちは真崎が「おうよ。俺が錦の御旗を持って来てやるよ」くらいの勢いで応援してくれてたのに、蓋を開けたら「お前ら、逆臣な」となったので「話が違う」となったのです。 付き合わされた兵士たちはもとよりクーデターに賛同しているわけではなく、上官の命令のままに行動したら「お前たち、逆臣だぞ。天皇陛下はお前たちを討つといってるぞ」といわれたので大変に動揺し、投降するかそれともこんな面倒なことに巻き込んだ上官の首を差し出すかくらいに士気が崩壊したので、青年将校たちは投降することにしました。 そして軍事裁判では青年将校たちは「真崎の野郎が散々人を焚きつけておいて手の平返しをしやがった」と訴えたのですが、その軍事裁判は非公開で行われてしまったので世間には知られることはなく、将校たちは反逆罪で銃殺となりました。 そしてその資料も敗戦の混乱で失われてしまっていたと思われていましたが、その記録が発見されてその背景が明らかになっています。 そしてもちろん、この事件によって真崎は完全に立場を失い失脚し、皇道派はここに瓦解することになります。 ではその皇道派の青年将校たちはいわゆる「昭和維新」をどうしようとしていたのか。実はそれはもうアッサリしすぎてしまうほど単純でした。「今の政治を行っている腐った政治家を排除し、昭和天皇の御親政(直接政治)にすれば良くなる」と、それだけだったようです。 いかに優秀とはいえ、軍人ですからね。政治や経済、外交などには疎くて具体的なアイデアがあったわけでもありません。 二二六事件は「雪の中でのクーデター」という映える物語でもあったので世間で大いに有名になっていますが、二二六事件より、その前に起きた五一五事件のほうが後世への影響が大きかったといえます。 五一五事件は陸海軍の青年将校たちが犬養毅首相を暗殺するという完全なるテロ事件だったのですが、大衆は青年将校たちを支持して、ものすごく軽い罪になってしまったのです。これによって「やり方が悪くても、動機が正義なら大衆は支持してくれる」と軍人たちに思わせてしまったんです。だから青年将校たちは二二六事件を起こしたのです。きっと世間は自分たちを支持してくれると思いましたからね。ただ、天皇があんなに怒ることになるとは思いが至らなかったようです。 別にこれは「異常なこと」ではないです。だってつい最近だって、元首相がひとりの中年男に暗殺されましたけど、なぜかこの暗殺者を熱烈に支持している人たちが少なからずいますよね。
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- oska2
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>貧しい小作人や労働者のために事件を起こしたと考えていいんでしょうか? 純粋に「世の中を変えたい」と考えた将校も、存在したでしようね。 世界が恐慌で、日本も多くの庶民が生活苦に苦しんでいました。 が、財閥などは「悠々自適で我が世の春を謳歌」していたのです。 金持ちは益々金持ちに。貧しい者は益々貧しく・・・。 農村漁村では、「婦女子の人身売買」も多く行われていました。 令和の現状と同じですね。 国会議員・公務員・大企業職員・金融業者は、益々金持ちに。 反対に、庶民は益々生活苦に・・・。 これらの事を、憂慮したのが「現実を知っている軍人」でした。 有識者は「机上理論だけ」ですが、経験者は「現場を知っている」のです。 「何とかしなければ」 この純粋な考えに「政治は陸軍が行う!」との考えを持つ「陸軍統制派」が、「これは、利用価値があるチャンス到来」と参加したのです。 陸軍反統制派である「陸軍皇道派」も、「統制派幹部・永田鉄山軍務局長殺害」を行い権力回復。 「皇軍派」も、統制派と同じ立場で参加したのです。 まぁ、純粋な行動が「陸軍の政治支配の目論見」に利用されたのですね。 もちろん、天皇(陸海軍の統帥権者)は(信頼していた大臣殺害に)激怒。 困った陸軍幹部は、陸軍の被害を最小限にする事を計画。 「純粋にクーデターを起こした指揮官2名は自決」 「皇軍派指揮官は、統制派の陰謀と看做し裁判に臨みます」 まぁ、純粋な行動が色々な邪悪な力が絡み合ったのが2・26事件です。 余談ですが・・・。 外国では「日本最後のクーデターは、オウム真理教事件」と言う報道関係者もいます。
お礼
- gunsin
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あらましは#1さんお回答の通りです。 兵士は庶民のですが、将校の半数は、武家の出身ですね。 兵士は安藤隊以外は将校の命ずる儘に訳も分からず行動しました。 地方が疲弊している事は政治の怠慢として、政党の解体と農地解放 を要求しているので、決起の要因の一つになってますね。 その他に、軍閥、財閥、重臣の解体を要求してます。 これらが記載された蹶起趣意書は現代語に訳された文でも、難解で 研究者でも良く理解出来ない様です。 彼らの大きな過ちは昭和天皇は裸の王様で何も知らないので、 直訴すれば必ず決起の主意を解って下さると思っていた事です。 この事件の報を受けた天皇は、帝都を騒がして、朕の臣下を殺す とは何事か、朕が兵を率いて成敗すると怒ったのです。 天皇の言葉を聞いた、黒幕?の皇道派の上級将校は身の保身に 走ったので、決起将校は寄り処が無くなり、天皇への直訴が叶わなくなり、政治家を数人殺しただけでクーデターは失敗に終ったのです。 裁判も形だけの暗黒裁判で将校全員が銃殺刑になりました。 兵士の方は、元の部隊に帰り、罪は問われませんでした。 軍備拡張などに反対すると、わしらは良いが若い者が黙っておら んでの~と言われ、政治家も官僚も口を閉ざしてしまい、 戦争拡大の道へまっしぐらで太平洋戦争に突入しました。 決起将校達の熱い想いは、天皇や国民には伝わらず大本営に悪用 され、戦争で多くの国民が犠牲になったので、小作人や労働者の 為の決起とは言えないと思います。 松本清張の渾身の著作「昭和史発掘」を読むと詳しく解ります。
お礼