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アプリオリな認識について
「1+1は2である」はアプリオリな事実ですが、「Aさんは”1+1は2”だと信じている」はアプリオリな事実もしくはアプリオリな認識でしょうか 理由も教えていただきたいです
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- hiro-hiro-hiro
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回答No.3
こんばんは! A さんをアタマの中へ外挿するには A さんを経験的に知らねばならない。アポステリオリな認識。登場人物が・・・と信じているは入れ子のような構造。聞いてみないとわからない。個々の事例。アポステリオリな認識。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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回答No.2
a) 「1+1=2」は、アプリオリでなく、帰納的な認識とも考えられると思います。1個のりんごに、1個のりんごを加えると、りんごは2個になる、というような。
- Nakay702
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回答No.1
>「1+1は2である」はアプリオリな事実ですが、「Aさんは”1+1は2”だと信じている」はアプリオリな事実もしくはアプリオリな認識でしょうか 理由も教えていただきたいです ⇒アポステリオリな認識と言えます。 「〇〇は~と信じている」は、全体としてアプリオリな認識でなく、アポステリオリな認識です。「~(と)」に当たる「Aさんは”1+1は2”だ」は、中に組み込まれた目的語という《部品》に過ぎません。それが何であろうと、《全体的認識とは関係ありません》。